彦根城は、手始めに「埋木舎」(うもれぎのや)へ。
ここは、13代彦根藩主、井伊直弼が、三百俵の捨扶持居候の身で、
17歳から32歳まで、15年間過ごしたところです。
国指定の特別史跡。

11代藩主・直中の十四男として産まれ、5歳で母を亡くし、
17歳で父を亡くしてから、ここに弟とともに暮らすことになります。
当時の大名の息子は、跡継ぎ以外は他に婿養子に行く、
というのが通例だったようですが、直弼はそれにももれます。
そんな不遇の身でありながら、和歌を詠み、茶道を究め、
焼き物をし、居合術の流派をつくり、国学者・長野主膳と交流。
それらが、直弼の人格形成につながったと言われています。

建物の内部には入れませんが、庭から、
建物内をみることができるようになっています。
説明書きの看板がいっぱいあって、
ちょっと興ざめなところもあるけど、ま、いいか(苦笑)

この建物は現在、大久保家の持ち物らしいです。
彦根藩の側近で、直弼のときは大久保小膳が務めていたとか。
明治になり、井伊家から大久保家に寄贈されたようです。
桜田門外の変以降、幕末、明治の、忠勤、功績が認められたのですね。

直弼に関しては、いろいろな評価があるようです。
大老になってから、日米修好通商条約の締結し、
対立する諸勢力を押さえようと反対派を処刑、安政の大獄・・・
これが、直弼を悪人にしてるんですよね~
直弼が老中に上がった頃、幕府は将軍の後継者問題でもめていて、
そこへ、黒船に乗ってハリスがやってきて、開国を求め、
貿易をしたくて、条約を結ぼうと迫るんですね。
でないと、イギリスが攻めてくる、なんて脅してたかも。
開国に賛成してたわけでもないようやし、
大老になった直弼にも、いろいろ事情があったみたいですけど、
でも、結果、反対派に暗殺されてしまうんです。

歴代の、井伊直弼を演じた俳優さんの大きな写真パネルが、
ずらっと並んでました~~
けっこう、いろいろな方が演じてはるんですよ。
古くは、「花の生涯」で直弼を演じた尾上松緑さんとか、
一番新しいのは、「花燃ゆ」での高橋秀樹さんみたいです。

井伊直弼は、文化人としての評価は高いですね。
茶道に通じ、「一期一会」の言葉を広めた人、らしいですよ。
著書の『茶湯一會集』の冒頭に書いてあるそうです。
その考え方は、わび茶を広めた千利休が説いているのですが、
四字熟語にしたのが、直弼らしいんです。
現代も使われる言葉ですよね~

時代劇のロケでよく使われるという、埋木舎の前の小道。
お堀端には、直弼が好きだったという柳の木があります。
部屋住み時代に、庭の柳をよくながめていたとか。
風に身を任せて、部屋住みから幕府の大老まで登りつめた人。
「独裁者」と言われたり、「開国の元勲」と言われたり。
でも、地元の人には、自慢のお殿様ですよね~
ここは、13代彦根藩主、井伊直弼が、三百俵の捨扶持居候の身で、
17歳から32歳まで、15年間過ごしたところです。
国指定の特別史跡。

11代藩主・直中の十四男として産まれ、5歳で母を亡くし、
17歳で父を亡くしてから、ここに弟とともに暮らすことになります。
当時の大名の息子は、跡継ぎ以外は他に婿養子に行く、
というのが通例だったようですが、直弼はそれにももれます。
そんな不遇の身でありながら、和歌を詠み、茶道を究め、
焼き物をし、居合術の流派をつくり、国学者・長野主膳と交流。
それらが、直弼の人格形成につながったと言われています。

建物の内部には入れませんが、庭から、
建物内をみることができるようになっています。
説明書きの看板がいっぱいあって、
ちょっと興ざめなところもあるけど、ま、いいか(苦笑)

この建物は現在、大久保家の持ち物らしいです。
彦根藩の側近で、直弼のときは大久保小膳が務めていたとか。
明治になり、井伊家から大久保家に寄贈されたようです。
桜田門外の変以降、幕末、明治の、忠勤、功績が認められたのですね。

直弼に関しては、いろいろな評価があるようです。
大老になってから、日米修好通商条約の締結し、
対立する諸勢力を押さえようと反対派を処刑、安政の大獄・・・
これが、直弼を悪人にしてるんですよね~
直弼が老中に上がった頃、幕府は将軍の後継者問題でもめていて、
そこへ、黒船に乗ってハリスがやってきて、開国を求め、
貿易をしたくて、条約を結ぼうと迫るんですね。
でないと、イギリスが攻めてくる、なんて脅してたかも。
開国に賛成してたわけでもないようやし、
大老になった直弼にも、いろいろ事情があったみたいですけど、
でも、結果、反対派に暗殺されてしまうんです。

歴代の、井伊直弼を演じた俳優さんの大きな写真パネルが、
ずらっと並んでました~~
けっこう、いろいろな方が演じてはるんですよ。
古くは、「花の生涯」で直弼を演じた尾上松緑さんとか、
一番新しいのは、「花燃ゆ」での高橋秀樹さんみたいです。

井伊直弼は、文化人としての評価は高いですね。
茶道に通じ、「一期一会」の言葉を広めた人、らしいですよ。
著書の『茶湯一會集』の冒頭に書いてあるそうです。
その考え方は、わび茶を広めた千利休が説いているのですが、
四字熟語にしたのが、直弼らしいんです。
現代も使われる言葉ですよね~

時代劇のロケでよく使われるという、埋木舎の前の小道。
お堀端には、直弼が好きだったという柳の木があります。
部屋住み時代に、庭の柳をよくながめていたとか。
風に身を任せて、部屋住みから幕府の大老まで登りつめた人。
「独裁者」と言われたり、「開国の元勲」と言われたり。
でも、地元の人には、自慢のお殿様ですよね~