おかんのネタ帳

日々の雑感や興味のあることを書いています

あの日のこと

2021-03-12 13:39:28 | 日々のつれづれ
あれから10年ですね。
もう何度もこの日を迎えて、同じことを書いてきたような気がするけど、また書きます。


わが家のスイセン・・

地震があった時、私は仕事中で、いったいナニをしてたのか、
車で移動中やったようで、まったく揺れを感じませんでした。

「今、揺れましたよね?」

直後に行ったところで言われたんやけど、そうでした?って感じで。

仕事先にもどって、「宮城で地震があったらしいよ」と聞いたけど、「そうなん?」ぐらい。

「かなり大きい地震みたいやで、ネットニュースがすごいよ」

そう聞いてから、宮城の友だちに「大丈夫?」というメールを送りました。
でもそのときはまだ、それほど大きな地震やと思ってなくて。

長女は仕事がら、地震発生後、かなり忙しかったらしく、
関係各方面の安否確認の作業があって、残業してたみたいです。
地震が発生した時は、気持ち悪くなるくらい、建物が揺れたみたいやったと。
職場の人みんなが、「めまいしてる」ような錯覚に陥ったって話してました。

・・・コンクリートの建物内で仕事してる友だちも、そう言うてた。
職場の、事務所の人も言うてました。

「めまいしてると思った」って。

関西でも、異常は感じられたんやね。
・・・運転中の私はわからんかったけど。

17時過ぎて帰宅したら、その日休みやったダンナが、テレビを指さして言うんです。

「すごいで、津波が、もう、ほんますごいで」

仙台空港に押し寄せてくる津波。
自衛隊機が流されていくさまを、定点カメラがとらえていたんですね。
それをずっと、実況中継のように見てたらしいのです。

それから、もうずっと、テレビにくぎ付けでした。
いろいろな映像と特番のニュース。

宮城の友だちから返事が来たのは2時間後、6時過ぎでした。

「雪の中を職場から歩いて帰ってきたら、家の中がぐちゃぐちゃで・・」

それでも、ご家族は無事やったそうです。
電気が来ていないので情報が入らず、自分たちの状況が全くつかめていないようでした。
宮城とメールが通じたことがうれしかったけど、ひとまず安否確認だけ。
なんせ、関東の友だちにもメールを送ったけど届かなかったしね。

あの頃はLINEはまだ普及してなかったし。(もうあったのかな)
携帯のメールよりもパソコンのメールの方が届く、みたいなことも言うてたような。

1週間後の彼女からのメールは、「電気が使えるようになりました」でした。
お母様は、1週間、朝ドラが観られなかったのを残念がってたけど、
緊急事態で1週間、朝ドラが放送されなかったので、結局、ちゃんと続きが見られたから喜んでるって。

のんびりとした穏やかな彼女の、なんともノー天気なメールに、ホッとしたものです。
でもね。よくよく聞いてみると・・・

家に津波が来たわけではなかったけど、翌日から浸水が始まったらしいのです。(地下水かな)
ご主人は、お役所勤務なので緊急出勤したまま何日か帰宅せず、勤務先に止めていた自家用車は津波に流されたとか。
食料品を家に買い置きしてたので、週末をなんとか家族で過ごしたけど、休み明けの職場は大混乱してたらしい。

それから、10日ほどかな。
今度は、水道が使えるようになったと、連絡がありました。
その時も、彼女は明るいメールを書いてきてくれてましたね。

7月、当時勤務していた会社の恒例の社内旅行で、東北に行くことになりました。
ボランティアで何かをしに行くというのではなくて、お金を落としに行くという感じです。
ちょっと心が痛かったけど、行くことに意義があると言い聞かせていったんですね。
世界遺産になった中尊寺、宮沢賢治資料館、観光地を巡ってから被災地へ。
岩手から宮城へは、バスで行きました。

テレビで良く見た気仙沼、被災地の様子にバスの中から写真を撮りました。
最初は、うわ~と思って撮り始めたのですが、途中で胸が苦しくなって・・・バスの中も寡黙に。
それほど、目に映る景色が衝撃でした・・・

松島から仙台へ。
ピーカンに晴れた青空、田畑の緑・・・稲ではなく、草の緑です。
そして、その緑の中に、傾いた車だったり、瓦礫がちらほら見えました。
その時の様子は・・・こちら
忘れられない景色です。

飛行機で帰る前に、仙台駅で彼女に会える時間が取れました。
電車が不通になっていたのを、わざわざバスで会いに来てくれて。
会えたことがうれしかったけど、彼女の口から語られた状況に絶句したのも確かです。

のんびりおだやかな人なんですが、かつての職場の仲間が亡くなったこと、生き残った同僚から聞く言葉が悲しすぎたこと。
メールではわからなかったことをいろいろ知るにつけ、私も寡黙になりました。
自分の町の現状を知るにつけて、彼女の心は傷ついていったようです。

先日の地震の時も、びっくりして連絡したら、元気な返事が返ってきました。
気にかけてくれることがうれしいって言うてたけど、やっぱり心配ですよね。

ちなみに、彼女とどうして知り合ったか。
ノブオさんのファン友だちなんですよ~~

同行の同僚にも「どういう知り合い?」って聞かれたので、

「ネットで知り合った人」

と言うふうに答えたら、ちょっと引かれました(苦笑)

でも、そうなんですよ。
ネットで知り合った、ノブオさんのファン友だち。
東京に、ノブオさん出演の舞台を観に行った時とかに何度か会いました。
でも、普段は、メール(今ならLINE)で交流してます。
同年代なので、分かり合えることも多いし、仲良くしてますよ。

いまだに行方不明の人がいます。
原発の問題がいまだ解決されない福島。
10年経っても、変わらずに残されているいろいろな問題。

ここ数日、テレビで放映されている特集番組。
復興は、まだできていないんやなぁと、しみじみ。

祈るしかないです。