あれから10年ですね。
もう何度もこの日を迎えて、同じことを書いてきたような気がするけど、また書きます。
わが家のスイセン・・
地震があった時、私は仕事中で、いったいナニをしてたのか、
車で移動中やったようで、まったく揺れを感じませんでした。
「今、揺れましたよね?」
直後に行ったところで言われたんやけど、そうでした?って感じで。
仕事先にもどって、「宮城で地震があったらしいよ」と聞いたけど、「そうなん?」ぐらい。
「かなり大きい地震みたいやで、ネットニュースがすごいよ」
そう聞いてから、宮城の友だちに「大丈夫?」というメールを送りました。
でもそのときはまだ、それほど大きな地震やと思ってなくて。
長女は仕事がら、地震発生後、かなり忙しかったらしく、
関係各方面の安否確認の作業があって、残業してたみたいです。
地震が発生した時は、気持ち悪くなるくらい、建物が揺れたみたいやったと。
職場の人みんなが、「めまいしてる」ような錯覚に陥ったって話してました。
・・・コンクリートの建物内で仕事してる友だちも、そう言うてた。
職場の、事務所の人も言うてました。
「めまいしてると思った」って。
関西でも、異常は感じられたんやね。
・・・運転中の私はわからんかったけど。
17時過ぎて帰宅したら、その日休みやったダンナが、テレビを指さして言うんです。
「すごいで、津波が、もう、ほんますごいで」
仙台空港に押し寄せてくる津波。
自衛隊機が流されていくさまを、定点カメラがとらえていたんですね。
それをずっと、実況中継のように見てたらしいのです。
それから、もうずっと、テレビにくぎ付けでした。
いろいろな映像と特番のニュース。
宮城の友だちから返事が来たのは2時間後、6時過ぎでした。
「雪の中を職場から歩いて帰ってきたら、家の中がぐちゃぐちゃで・・」
それでも、ご家族は無事やったそうです。
電気が来ていないので情報が入らず、自分たちの状況が全くつかめていないようでした。
宮城とメールが通じたことがうれしかったけど、ひとまず安否確認だけ。
なんせ、関東の友だちにもメールを送ったけど届かなかったしね。
あの頃はLINEはまだ普及してなかったし。(もうあったのかな)
携帯のメールよりもパソコンのメールの方が届く、みたいなことも言うてたような。
1週間後の彼女からのメールは、「電気が使えるようになりました」でした。
お母様は、1週間、朝ドラが観られなかったのを残念がってたけど、
緊急事態で1週間、朝ドラが放送されなかったので、結局、ちゃんと続きが見られたから喜んでるって。
のんびりとした穏やかな彼女の、なんともノー天気なメールに、ホッとしたものです。
でもね。よくよく聞いてみると・・・
家に津波が来たわけではなかったけど、翌日から浸水が始まったらしいのです。(地下水かな)
ご主人は、お役所勤務なので緊急出勤したまま何日か帰宅せず、勤務先に止めていた自家用車は津波に流されたとか。
食料品を家に買い置きしてたので、週末をなんとか家族で過ごしたけど、休み明けの職場は大混乱してたらしい。
それから、10日ほどかな。
今度は、水道が使えるようになったと、連絡がありました。
その時も、彼女は明るいメールを書いてきてくれてましたね。
7月、当時勤務していた会社の恒例の社内旅行で、東北に行くことになりました。
ボランティアで何かをしに行くというのではなくて、お金を落としに行くという感じです。
ちょっと心が痛かったけど、行くことに意義があると言い聞かせていったんですね。
世界遺産になった中尊寺、宮沢賢治資料館、観光地を巡ってから被災地へ。
岩手から宮城へは、バスで行きました。
テレビで良く見た気仙沼、被災地の様子にバスの中から写真を撮りました。
最初は、うわ~と思って撮り始めたのですが、途中で胸が苦しくなって・・・バスの中も寡黙に。
それほど、目に映る景色が衝撃でした・・・
松島から仙台へ。
ピーカンに晴れた青空、田畑の緑・・・稲ではなく、草の緑です。
そして、その緑の中に、傾いた車だったり、瓦礫がちらほら見えました。
その時の様子は・・・こちら
忘れられない景色です。
飛行機で帰る前に、仙台駅で彼女に会える時間が取れました。
電車が不通になっていたのを、わざわざバスで会いに来てくれて。
会えたことがうれしかったけど、彼女の口から語られた状況に絶句したのも確かです。
のんびりおだやかな人なんですが、かつての職場の仲間が亡くなったこと、生き残った同僚から聞く言葉が悲しすぎたこと。
メールではわからなかったことをいろいろ知るにつけ、私も寡黙になりました。
自分の町の現状を知るにつけて、彼女の心は傷ついていったようです。
先日の地震の時も、びっくりして連絡したら、元気な返事が返ってきました。
気にかけてくれることがうれしいって言うてたけど、やっぱり心配ですよね。
ちなみに、彼女とどうして知り合ったか。
ノブオさんのファン友だちなんですよ~~
同行の同僚にも「どういう知り合い?」って聞かれたので、
「ネットで知り合った人」
と言うふうに答えたら、ちょっと引かれました(苦笑)
でも、そうなんですよ。
ネットで知り合った、ノブオさんのファン友だち。
東京に、ノブオさん出演の舞台を観に行った時とかに何度か会いました。
でも、普段は、メール(今ならLINE)で交流してます。
同年代なので、分かり合えることも多いし、仲良くしてますよ。
いまだに行方不明の人がいます。
原発の問題がいまだ解決されない福島。
10年経っても、変わらずに残されているいろいろな問題。
ここ数日、テレビで放映されている特集番組。
復興は、まだできていないんやなぁと、しみじみ。
祈るしかないです。
もう何度もこの日を迎えて、同じことを書いてきたような気がするけど、また書きます。
わが家のスイセン・・
地震があった時、私は仕事中で、いったいナニをしてたのか、
車で移動中やったようで、まったく揺れを感じませんでした。
「今、揺れましたよね?」
直後に行ったところで言われたんやけど、そうでした?って感じで。
仕事先にもどって、「宮城で地震があったらしいよ」と聞いたけど、「そうなん?」ぐらい。
「かなり大きい地震みたいやで、ネットニュースがすごいよ」
そう聞いてから、宮城の友だちに「大丈夫?」というメールを送りました。
でもそのときはまだ、それほど大きな地震やと思ってなくて。
長女は仕事がら、地震発生後、かなり忙しかったらしく、
関係各方面の安否確認の作業があって、残業してたみたいです。
地震が発生した時は、気持ち悪くなるくらい、建物が揺れたみたいやったと。
職場の人みんなが、「めまいしてる」ような錯覚に陥ったって話してました。
・・・コンクリートの建物内で仕事してる友だちも、そう言うてた。
職場の、事務所の人も言うてました。
「めまいしてると思った」って。
関西でも、異常は感じられたんやね。
・・・運転中の私はわからんかったけど。
17時過ぎて帰宅したら、その日休みやったダンナが、テレビを指さして言うんです。
「すごいで、津波が、もう、ほんますごいで」
仙台空港に押し寄せてくる津波。
自衛隊機が流されていくさまを、定点カメラがとらえていたんですね。
それをずっと、実況中継のように見てたらしいのです。
それから、もうずっと、テレビにくぎ付けでした。
いろいろな映像と特番のニュース。
宮城の友だちから返事が来たのは2時間後、6時過ぎでした。
「雪の中を職場から歩いて帰ってきたら、家の中がぐちゃぐちゃで・・」
それでも、ご家族は無事やったそうです。
電気が来ていないので情報が入らず、自分たちの状況が全くつかめていないようでした。
宮城とメールが通じたことがうれしかったけど、ひとまず安否確認だけ。
なんせ、関東の友だちにもメールを送ったけど届かなかったしね。
あの頃はLINEはまだ普及してなかったし。(もうあったのかな)
携帯のメールよりもパソコンのメールの方が届く、みたいなことも言うてたような。
1週間後の彼女からのメールは、「電気が使えるようになりました」でした。
お母様は、1週間、朝ドラが観られなかったのを残念がってたけど、
緊急事態で1週間、朝ドラが放送されなかったので、結局、ちゃんと続きが見られたから喜んでるって。
のんびりとした穏やかな彼女の、なんともノー天気なメールに、ホッとしたものです。
でもね。よくよく聞いてみると・・・
家に津波が来たわけではなかったけど、翌日から浸水が始まったらしいのです。(地下水かな)
ご主人は、お役所勤務なので緊急出勤したまま何日か帰宅せず、勤務先に止めていた自家用車は津波に流されたとか。
食料品を家に買い置きしてたので、週末をなんとか家族で過ごしたけど、休み明けの職場は大混乱してたらしい。
それから、10日ほどかな。
今度は、水道が使えるようになったと、連絡がありました。
その時も、彼女は明るいメールを書いてきてくれてましたね。
7月、当時勤務していた会社の恒例の社内旅行で、東北に行くことになりました。
ボランティアで何かをしに行くというのではなくて、お金を落としに行くという感じです。
ちょっと心が痛かったけど、行くことに意義があると言い聞かせていったんですね。
世界遺産になった中尊寺、宮沢賢治資料館、観光地を巡ってから被災地へ。
岩手から宮城へは、バスで行きました。
テレビで良く見た気仙沼、被災地の様子にバスの中から写真を撮りました。
最初は、うわ~と思って撮り始めたのですが、途中で胸が苦しくなって・・・バスの中も寡黙に。
それほど、目に映る景色が衝撃でした・・・
松島から仙台へ。
ピーカンに晴れた青空、田畑の緑・・・稲ではなく、草の緑です。
そして、その緑の中に、傾いた車だったり、瓦礫がちらほら見えました。
その時の様子は・・・こちら
忘れられない景色です。
飛行機で帰る前に、仙台駅で彼女に会える時間が取れました。
電車が不通になっていたのを、わざわざバスで会いに来てくれて。
会えたことがうれしかったけど、彼女の口から語られた状況に絶句したのも確かです。
のんびりおだやかな人なんですが、かつての職場の仲間が亡くなったこと、生き残った同僚から聞く言葉が悲しすぎたこと。
メールではわからなかったことをいろいろ知るにつけ、私も寡黙になりました。
自分の町の現状を知るにつけて、彼女の心は傷ついていったようです。
先日の地震の時も、びっくりして連絡したら、元気な返事が返ってきました。
気にかけてくれることがうれしいって言うてたけど、やっぱり心配ですよね。
ちなみに、彼女とどうして知り合ったか。
ノブオさんのファン友だちなんですよ~~
同行の同僚にも「どういう知り合い?」って聞かれたので、
「ネットで知り合った人」
と言うふうに答えたら、ちょっと引かれました(苦笑)
でも、そうなんですよ。
ネットで知り合った、ノブオさんのファン友だち。
東京に、ノブオさん出演の舞台を観に行った時とかに何度か会いました。
でも、普段は、メール(今ならLINE)で交流してます。
同年代なので、分かり合えることも多いし、仲良くしてますよ。
いまだに行方不明の人がいます。
原発の問題がいまだ解決されない福島。
10年経っても、変わらずに残されているいろいろな問題。
ここ数日、テレビで放映されている特集番組。
復興は、まだできていないんやなぁと、しみじみ。
祈るしかないです。