追悼コンサート「祈り」
2008年7月21日(月)作成
7月13日(日)、亡き従弟の追悼コンサートが広島市内のゲバントホールであったので行った。
彼は、シャンソン歌手として、主としていろんな施設でチャリティコンサートを行っていた。
2007年11月22日、突然の死が訪れた。近所の知人宅からの帰りに心筋梗塞で倒れ、そのまま息を引取ったのである。54歳。(11月24日のブログでも書きました。)
2005年に行った、24時間コンサートを音源とした、主のいないコンサートだった。
お得意の「イザベル」も自作の訳で「歌った」。
もう 長いこと愛が枯れたこの胸
でも今は 愛しい君が住む
僕の前に座る君のその仕草
見てるだけで それで良い
イザベル イザベル イザベル イザベル
イザベル イザベル モナムー
観客は約300人。CDの売上げ15万円が、原爆ドームの保存のために寄付されるというアナウンスがあった。
因縁めいた話になるが、同じ祖先のDNAを受継ぐ者として、私自身も狭心症を患っており、彼が心筋梗塞で倒れた22日は、私の方は心臓のカテーテル検査を受けた。彼も早くに検査を受けていれば・・。
彼は、次のようなメッセージを遺している。
「被爆2世として広島の地に生まれた以上 戦争の悲惨さを忘れることなく 世界に平和を訴え続け 次の世代へ継承していく義務がある ひとりひとりが変わることができれば 政界は変わる」
(写真)「主のいない譜面台」
従弟は、譜面台に置いた手書きのノートを見ながら、譜面台に手を置いて歌うのがいつものスタイルでした