団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

むかし下津井回船問屋

2008-07-31 18:11:05 | 
               むかし下津井回船問屋

                         2008年7月31日(木)作成

 岡山県の下津井は、瀬戸大橋を真上に見上げるようなところにある。四季を通じて瀬戸内海の魚介類が水揚げされる漁港だ。
 近くに鷲羽山がありその展望台からは、瀬戸大橋を一望できる風光明媚な観光地でもある。

 江戸時代から明治にかけて、北海道の海産物を積んで北前舟がやってきた。中でもニシン粕は、児島湾や備中沿岸の干拓地で栽培されていた綿、菜種、豆、藍などの肥料として大量に求められ、このため、船はニシン粕を満載して下津井へ現れた。ニシン蔵はニシン粕でいっぱいになったという。北前船によって運び込まれたニシン粕と入れ替わりに、下津井からは、古着、塩、豆などが積み込まれた。
 北前舟は一年一航海で幕末には「一航海一千両の利益」といわれるほど、その稼ぎは大きかった。
 一度に30~40隻の船団で来るから港は大変賑わった。(以上「むかし下津井回船問屋」内の資料から。)

 北海道からはニシン粕、下津井からは塩などという、いわば物々交換だが、港は大変賑わったということだから、海の男と下津井の浜の女の交歓もあったのではなかろうか。

(写真)「むかし下津井回船問屋」内の北前舟の模型。2008年7月20日撮影。
 この建物は当時の商家で、造りがなかなか凝っていて、随分繁栄しただろうことを伺わせます。
 ニシン蔵は、ビアホール・レストランになっています。ここで食べた刺身定食の刺身が絶品でした。生きが良くて、こりこりした食感は、こういった観光地での食堂ではあまりお目にかかれません。
 まあ、漁港ですから、新鮮な魚介類は当然といえば当然ですが。
 ところが、ここの接客係は、どうも近所の主婦がボランティアでしているようで、要領を得ません。
 途中、席替えをさせられたり、注文をなかなか取りに来ないなど、妻がフグのようになっていました。私はフグは好きですけど、人間のフグはどうもねぇ。
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