義父の死
2009年11月28日(土)
18日10時38分、義父が死んだ。82歳。
危篤の報を聞いて駆けつけた時には既に意識なく、心臓マッサージを受けていたが、到着後3分程度で、医師が臨終を伝えた。
1年近く前に腰椎の圧迫骨折で入院し、急に体力が落ちた。
ケァ付き住宅に移り住んだが、誤嚥性肺炎を起こし再び入院。腸閉塞の手術も受けた。
急性期を過ぎると、介護療養型の医療施設に移ったが、体力は勿論気力もなくなり、それまでは我儘で家族を呼びつけるということが再々あったが、それも無くなった。
医師の説明によると、脳の呼吸中枢が何らかの原因で冒され、自立呼吸が出来なくなったということだった。1時間前には家族と話しをしていたというのに。死因の診断は前立腺ガンだったのだが、ガンと脳が冒されたことに何らかの因果関係があるのだろう。
義父を知ったのは、1971年2月だった。
ティアックのオープンリールデッキA2050を譲ることにし、知合いの理髪店主に頼んでいたところ、義父が買ってくれることになった。
運悪くというべきか、運良くというべきか、(非常に難しいが)そのデッキが故障してしまった。譲って間がなかったため放置しておく訳にもいかず、修理に持っていったりした。共通の趣味がクラシック音楽ということもあり、義父の家に出入りするようになった。
翌年の11月に結婚した。義父に大きく反対されたということがなかったのは、先に義父との付合いがあったことがあるのかも知れない。
父親というのは娘の結婚相手に対して厳しいものを要求すると思うが、私がどのように思われていたか、永遠に分からなくなった。
2009年11月28日(土)
18日10時38分、義父が死んだ。82歳。
危篤の報を聞いて駆けつけた時には既に意識なく、心臓マッサージを受けていたが、到着後3分程度で、医師が臨終を伝えた。
1年近く前に腰椎の圧迫骨折で入院し、急に体力が落ちた。
ケァ付き住宅に移り住んだが、誤嚥性肺炎を起こし再び入院。腸閉塞の手術も受けた。
急性期を過ぎると、介護療養型の医療施設に移ったが、体力は勿論気力もなくなり、それまでは我儘で家族を呼びつけるということが再々あったが、それも無くなった。
医師の説明によると、脳の呼吸中枢が何らかの原因で冒され、自立呼吸が出来なくなったということだった。1時間前には家族と話しをしていたというのに。死因の診断は前立腺ガンだったのだが、ガンと脳が冒されたことに何らかの因果関係があるのだろう。
義父を知ったのは、1971年2月だった。
ティアックのオープンリールデッキA2050を譲ることにし、知合いの理髪店主に頼んでいたところ、義父が買ってくれることになった。
運悪くというべきか、運良くというべきか、(非常に難しいが)そのデッキが故障してしまった。譲って間がなかったため放置しておく訳にもいかず、修理に持っていったりした。共通の趣味がクラシック音楽ということもあり、義父の家に出入りするようになった。
翌年の11月に結婚した。義父に大きく反対されたということがなかったのは、先に義父との付合いがあったことがあるのかも知れない。
父親というのは娘の結婚相手に対して厳しいものを要求すると思うが、私がどのように思われていたか、永遠に分からなくなった。