団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

佐村河内「事件」の教訓

2014-02-08 13:41:25 | 音楽

佐村河内「事件」の教訓

 2014年2月7日(金) 

 佐村河内「事件」で私が感じた教訓は、音楽は言葉がないため聴く者は背景の物語性を求める、ということではないかと思います。

 

 交響曲「HIROSHIMA」が多くの人々に感動を与えたことは、間違いありません。その背景には、彼が「全聾」であり、被爆2世であり、核廃絶の思いを込めて「作曲」したという物語があったことは明白でしょう。真の作曲家の新垣隆氏による作として世に出たなら、これほどのヒットにはならなかったのではないでしょうか。

 

 昨日6日は、TVで新垣氏の記者会見が報道されていました。新垣氏の証言によると、「佐村河内は耳が聞こえる!」と言うのです。これが事実であるとすると、彼のこれまでの発言や彼の言による経歴は全て疑ってかかる必要があります。週刊誌のタイトルには「ペテン師」とありましたが、正にペテン師・詐欺師です。

 

 私は、交響曲「HIROSHIMA」のTV放送を30枚録画し、数多くの友人へ配りました。その中には、感動のあまり「私の聴力をあげたい」と言った人までいました。私自身も彼の「経歴」を説明し、是非聴くよう推奨しました。全く裏切られた訳ですが、私は、不思議と被害意識というか怒りは湧いてきません。 「罪を憎んで、人を憎まず」と言います。かっこ良く言うなら、「罪を憎んで、その曲を憎まず」という感じからでしょうか。

 

 ・・にしても、見方を変えて、佐村河内のプロデュース能力は凄いと思います。これほどまで、虚構ではありますが作りあげて人気を博したのですから。彼が、今回のことで真摯に反省し、法的責任を全うし終えて、プロデューサーとして再起を図るというのであれば、私は味方になります。

 

 

(蛇足)

 次は、非常に雑ではありますが、私が音楽の同好の士にメイルした文章です。(6日、7:56)

 

 

 私の一番の関心事ですが、今回のことで、作品に対する評価が変わるかどうかということです。多分ですが、大きく変わるんでしょうね。純粋に作品のみで評価されるというのは、稀なのではないでしょうか。誰々の作曲ということでの一体的評価が主流だと思います。

 

 仮に、作品の評価が変わらないとしたら、真の作者の新垣氏というのは、凄い作曲家ということになりますが、それなら今までそれなりに知られていたのではないかという疑問が湧きます。また、今後彼の作品は凄い評価になると思いますが、多分そのような展開にはならないと思います。

 

 そのようにいろいろと考えてくると、音楽に関する評価は、「人気」という側面があるのではないかと思うようになります。つまり、極論すれば、絶対的評価というものではなくて、「人気」だと。

 ベートーヴェンにしろバッハにしろ、作品の構成とかいろいろと優れていることが言われていますが、しかし、「人気」がなければ、結局廃れていくことになると思うのです。

 音楽的に優れているから人気がでるのか、人気があるからその音楽の構成が優れているということになるのか、正に「鶏と卵」の関係です。

 

 私にとって、今回の「事件」はこのようなことを考えさせられるものになりました。

 

 7日の朝日新聞です。

 新垣氏の証言は、具体的で信憑性があります。

コメント
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