団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

安倍イズム

2014-02-15 17:55:30 | 政治

安倍イズム

2014年2月15日(土)

 自らの浅薄さを嘆くしか、私には方法はないのでしょうか・・。

 安倍首相は、集団的自衛権の行使に関して国会の答弁で、「政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることで(行使容認は)可能であり、憲法改正が必要との指摘はあたらない」などとのべ、解釈改憲によって集団的自衛権の行使容認へ向け暴走しだしました。

 また、「(政府の)最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任をもって、そのうえで選挙で審判を受ける。」などと述べ、首相が自由に憲法の解釈を変更できるかのような発言を行いました。これは、最高法規としての憲法のあり方や立憲主義を否定するもので、国民主権に対する挑戦と言わざるを得ません。

 ただ悲しいかな、私は浅学ゆえ、安倍首相に有効な反論ができないのです。

 ここは、これまでの政府見解を援用しましょう。2004年6月18日の「閣議決定」です。

 「憲法を始めとする法令の解釈は、当該法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきものであり、政府による憲法の解釈は、このような考え方に基づき、それぞれ論理的な追求の結果として示されたものであって、諸情勢の変化とそれから生ずる新たな要請を考慮すべきことは当然であるとしても、なお、前記のような考え方を離れて政府が自由に憲法の解釈を変更することができるという性質のものではないと考えている。仮に、政府において、憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをすれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねないと考えられる。」

 先の安倍首相の発言は、誰がみても、この閣議決定に反していることは明らかでしょう。政府自らの「閣議決定」にも背き、憲法の最高法規性を否定し、「国家権力を縛る」という立憲主義を破壊しようとする考え、これを愚かと言わずして、なにか他に愚かなものがあるでしょうか。

 首相として人間として愚かな安倍氏ですが、そのような人物を首相として選んだ国民の一人として、私はその浅薄さを嘆くのであります。

 

(蛇足)

 表題の「安倍イズム」は、スターリニズムからの連想によるものです。最近、妻が「傲慢なね、この人は。」とよく呟きます。その都度自分のことを言われているのかと思いビクッとしますが、TVで安倍首相を見ながらですので、ホッとしています。

 権力者が傲慢になるほど怖いことはありません。私も傲慢ではありますが、私の場合は権力がないもので、哀れなものなんです。

 

 

コメント (2)
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