ヤベー談話
2015年8月16日(日)
ヤベー首相が、14日、談話なるものを発表しました。
昔、言語明瞭意味不明瞭と言われた総理大臣がいましたが、私はまず、そのことを連想しました。美辞麗句というか、いろんなことを散りばめているのですが、全体の流れとして、結局何が言いたいの?と言う疑問が湧くのです。その点、村山談話は極めて明瞭でした。
私は、今回のヤベー談話は、見方によりあるいは見る人により解釈が様々に行われ、今後その解釈を巡る争いの火種を内包しているように思います。
それは、そもそもこの談話は、村山談話を否定しうよという強い思いがあったにも関わらず、内外の批判により、ヤベー首相が一定の譲歩をせざるを得ないという状況に追い詰められたことがあります。しかし、ヤベー首相としては、後々「解釈の余地」を残したかったがために、文章的に明確にならなかったものと思われます。
マスゴミ(ある方が使っていたのを見ました。非常に感心しましたので、使わせていただきます。)の一部では、「侵略」「おわび」を言及と、村山談話を継承しているかのようなイメージで書いてありますが、とんでもありません。
この談話には、村山談話でいうところの「侵略」という趣旨での使われ方はしていません。
・事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇は行使も、国際紛争を解決する手段としては、・・・(以下、憲法9条の趣旨が述べられています。)
このように、一般的な意味で使われているのです。村山談話では、明確に我が国がアジアの諸国を侵略したと書かれています。
ヤベー首相は、この談話をして、村山談話の上書きとしたかったのですが、様々な解釈が残り、結局意味不明の内容では、歴史の試練に堪えることはできないと思います。
ヤベー首相は談話を発表するに当たり、天皇の意向を気にしているというのは、定説になっているようです。マスコミで複数の方が言っているのを耳にしました。私は、根拠があるの訳ではありませんが、平成天皇はヤベー首相を非常に苦々しく思っていると思います。
おわびについて、確かに先の先の世代までし続けなければならないのかということは、無理な話と思います。しかし、現在の段階で、加害した側が積極的に宣言すべきことではありません。
「侵略」について、ヤベー首相の本音は、満州事変以降の戦争を「侵略」とは認めたくないということです。岸の亡霊にとりつかれているヤベー首相としては当然のことでしょうか・・。