水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「結局、女はキレイが勝ち」

2009年12月18日 | おすすめの本・CD
 「やればできる」に続いて読んでしまった。
 勝間さんの本を読めるのは元気な証拠だ。
 どうにもピッチがあわなくて、曲にならなくて、どうしていいかわからなくて、それでも大丈夫おれについてこい、と粘り強くやれるうちは、勝間さんの本が読める。
 ときどき心が折れかかり、香山リカさんの本をぱらぱらするときは、無理しない方がいいときだ。
 今はぎりぎり読める状態かな。
 勝間和代というだけで、本も読まずに批判する人もいるくらいメジャーになってしまった人だから、この本には相当いろいろ文句を言う人がいるだろう。読みもしないで。
 でもね、読めば頷かざるをえないことばかり書いてある。
 人間ほんとうのところをつかれるのが一番イタいものだが、この本の一節(または全節)に反発する気持ちがうまれたとき、それは自分の一番イタイところをつかれた時だ。

 考えてみると、これまでも彼女はほんとうのことしか言ってない。
 結果が出ないのは努力してないだけだ、と。
 みんなわかっているのだ。
 心の底では分かり切っているからこそ、素直な人は読んですぐ行動するし、そうでない人は理屈をこねる。
 または香山さんの方にいく。

 たとえば、「やはりかわいい子を選びます。だって性格がいいから」とある男の人が言ったと書いてある。
 これは男の本音であろう。
 もっと言えば、誰だって、気だてがよくて、見た目がアイドルで、スタイルがよくて、ノリがよくて、でもいやしてくれて、家庭的な面もあって、ときどき甘えてくれて、でも甘えさせてくれる子とつきあいたいよね。
 ちがうかい、男子しょくん。
 でも、自分だけそんなうまい具合に人生が運ぶわけはないのをよおくわかっていて、あの子はすっごい美人だけどきっと性格良くないよ、なんて言ったりする。
 それで、それなりの子と、あの子はおれが支えてあげないといけないから、なんて理由をひねりだして、つきあったりするんじゃないだろうか。
 理由以前に好きになってしまっていた、と多くの人は言うだろうが、たぶん各人の脳は、無意識のうちにものすごい計算式を使って一瞬にして理由を編み出し、その直後に「一目惚れ」させてるというのが本当のところだと思う。
 勝間さん本の主旨からはずれてきてしまった。

 勝間さんという方は、高度資本主義社会の最先端を生きている方だと思うけど、一方で「世間」なるものもちゃんととらえて、机上ではなく現実の娑婆を生きていらっしゃると思う。
 そこが大学の先生の書く本とは異なるし、従来の「成功本」と一線を画す部分ではないか。
 カツマーを宗教的信者と評する人はいるけど、実はカツマ教ではなく「おばあちゃんの教え」に近い。
 それがたまたま高度な資本主義的価値観とも整合できる地点で結びついたもので、そういう意味で日本における理想的なポストモダンを勝間さんが歴史上初めて体現したと思うのだ(一文、長!)

 「能力と仕事だけで『何とかなる』は大間違い。」
なんて、まさしくそれだ。
 勝間さん自身、仕事ができれば文句ないでしょ、という人生を一時期歩み、娑婆というのはそういうものではない、理屈じゃない、近代的価値観だけで説明できるものではないと気づいてから、新しい人生がはじまった。
 
 宇佐美寛先生の教えも同じだ。
 自分のやりたいことを通すためには、根回しも大事であり、相手に対する敬意、あいさつ、服装、言葉遣いが大事であると。
 自分の「志」がほんとうにかわいいなら、その「志」を実現するために、頭を下げるくらい何でもないはずだとおっしゃっていた。 そのご論考は極めて論理的で一点の隙も見せない文章を書いていらっしゃるが、生き方はこうなのである。

 音楽家にしても、純粋に自分の実力だけでおまんまを喰っていける人はほとんどいない。
 神の域に達しているごく限られた方達のみ、大人の生き方ができなくても仕事はもらえる。
 同じくらいの実力ならば、やはり人当たりのいい方に、仕事がまわってくるのは当然だ。

 見た目をよくするのは相手に不快感を与えないため。
 そんなことに気をつかえないようで、いい仕事などできはしない。
 それは、仕事というものが、けっきょく他人とのコミュニケーションの上にしか成立していないからなのだろう。

  … なんて偉そうに書いてしまったが、若いうちはなかなか納得できない面もあるだろうね。
 でもそれが娑婆というものなのです。
 だから部活でも、演奏以前に、あいさつや返事や片付けをちゃんとやろうと言うのです。
 
 
 
  

 
 
コメント
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