先日NACK5で、大野勢太郎さんが下の記事を紹介されていた。
キングカズがチャリティーマッチでゴールをきめ、松井選手が復興支援をよびかけた直後の試合で猛打賞をはなった後、掲載された囲み記事。
伊藤さんという記者が、5年前のその2人の対談を思い出して書いたものだ。
~ 対談の中で驚かされたのが、少年時代の話。超一流に上り詰めた両雄が声をそろえていたのが「自分より(野球やサッカーが)うまい選手はいた」ということだ。小学生から王様に君臨していたと思いきや、ともに野球やサッカーが上手な部類に入る程度。では、2人はどうして超一流選手に成長することができたのか。
その答えもまったく同じだった。「野球選手になれると信じて過ごしていた」(松井)。「プロのサッカー選手以外に道はないと思っていた」(カズ)。揺るがない信念と夢を実現した執念。2人が東日本大震災の被災地の復興を、人一倍強く願っているのは想像に難くない。(3/31東京中日スポーツ) ~
「信念が夢をかなえるんですね」という勢太郎さんの紹介を聴いたときには納得したのだが、コンビニで新聞を買ってきてよんだら、あれ? と思う点はある。
二人とも、少年時代に自分よりうまい選手はいたと言っている点。
そういうことはもちろんあるだろう。
ただし、そう感じていたのは本人たちの感覚であって、大人から見れば二人の才能はやはり抜きんでていたのではないだろうか。
気持ちの面までふくめてその才能を見出す伯楽がいたら、この二人に気づかないことはないんじゃないかな。
かりに幼少時代はたいした選手じゃなかったことにしよう。
信念が二人の夢をかなえた最大要因であったのだろうか。
そうとも言える。
ただし信念は必ず夢をかなえると結論づけるのは早計だろう。
ぜったいにプロ選手になるという信念をもつ人は、実際にプロ選手になれる人のおそらく何百倍もいる。
プロ選手になれたとしても、カズ、松井クラスの選手になれる存在は何十年に一人だ。
信念と執念だけで達成できるものではない。
信念は必要条件かもしれないが、十分条件ではない。
いや、正直に言うと、信念は必要条件でさえないのではないかと最近思う。
信念とか執念とか言うのは、あとでわれわれ凡人が理屈で分析している言葉であり、松井選手にとっては意図的に努力するとか以前に、自然にその道を歩いてきたんじゃないかと思う。
もちろん人一倍練習したのは間違いないし、ぜったいメジャーリーグで活躍してやろうと思っていたにはちがいない。
でも、目標を紙に書いて壁に貼って自分を鼓舞し続けたとは思えない。
つまり、そんな方法で鼓舞し続けなくても、そういう人生を必然として歩み続けているにちがいない。
努力しようと努力しなければならないレベルの人間が達成できるレベルを超えているということだ(まわりくどい?)。
じゃ彼らをその境地に達せしめたものは何か。
あえて名付ければ「天命」かなあ。
われわれ一般人にも「小さな」天命というべきものは与えられているような気がする。