この映画から、道徳的な教訓を受け取ることももちろんできる。
目の前にいる人が一番大切な人ですよとか、夢はあきらめてはいけないとか、自分の素直な気持ちから逃げちゃだめとか。
たしかに、そうなのだ。
なかなか素直に好きと言わない二人、いや好きなのかどうか迷ってる二人といった方がいいかな、見てるとほんとにもどかしい。
幼馴染みのロージーとアレックスは、思春期を迎えても一番身近にいる異性として存在し、あまりに身近であるがゆえに、はたから見たら友達以上恋人未満の関係を続けている。
お互いに、他に気になる相手を言い合ったり、その相手の攻略方法を考え合ったりもする。
そんな話をしながら、同時に相手の恋が進展すると、寂しさを感じている自分に気づいたりもする。
どちらかが素直に気持ちを伝え、言われた方が素直に応えたならば、その時点で二人はふつうに結ばれ、幸せな夫婦になることもありうるのだ。
でも、どちらかがそんな気持ちになった時にかぎって、片方は違う相手と恋をしていたりする。
ロージーが恋に破れ、自分にはアレックスが必要だと気づいたときには、アレックスは恋人とやりまくりだったり、アレックスの結婚生活が破綻したとき時に、ロージーは娘の父親とよりをもどしていたり(ロージーは10代で、アレックスとは違う相手との子どもを出産する)。
二人が、自分の気持ちに向き合い手を取り合うまで、18歳のファーストキスから数えても都合12年間(だったかな)すれ違い続ける。異性としての意識がかすかに萌した子ども時代まで遡れば、二十年以上かかっている。
もどかしいとか、男がもっとしっかりしろとか、女の子がビッチすぎるとか、言いたくなる人もいる思う。
一方で、これこそ人生のほんとの姿なのだとも思える。
仮に、若いうちに、二人が自然に結婚していたら、最終的に、こんなにも互いを愛おしいと思えるようになれたかというと、ちがう気もするのだ。
長い期間のすれ違いや思い込みをクリアしたからこその結果が、やはりある。
これって、男女の話だけではないな。
ちょっとした勘違いや思い込みで、すれ違いが起こるのは。
人間関係一般でも、人と仕事でも、人とモノでも、なんでも。部活も同じかも。
たとえば、その勘違いも、死ぬまで続いてしまえば勘違いでなくなるわけで、本当に勘違いであったかどうかは、実はわからない。
自分はこの仕事が天職だと思い込み、思い込みの強さゆえに努力して、その結果成功できて、最後まで全うできるなら、ただの思い込みだったとは言えなくなる。
あの人は自分を好きに違いないと勘違いして、何の疑いもなく声をかけて、その自信ゆえに相手からも受け入れてもらえて、ずっと一緒にいれるなら、ただの勘違いだったとは言えなくなる。
逆だとつらい。
自分にはもっと自分にあった仕事があるはずだとか、目の前にいる人ではなく、もっと素敵な人が現れるはずだとかの方向で思い込んでしまうと。
現実社会においては、白馬に乗った騎士は現れない。
出会った人が実は白馬に乗っているのだ。
若いうちは見えないし、乗っている本人も気づいていないが。
仕事も同じだ。その時その時に自分に課せられた仕事こそが、やるべきことだ。
仮にやりたくないことであっても、それを一生懸命やらないと、やりたいことにはめぐり会えない。
恋愛が仕事に似ているのか、逆なのか。人のやることはすべて原理は同じなのか。
て、えらそうに原理を語ってしまったが、多くの人が、しかも一定の年齢になれば、気づいているにちがいない。
でも、若いうちは気づかない。気づかないから、もがく。くるしむ。もんもんとする。
それもいい経験であることは間違いない。
若いときに簡単に悟ってしまう人がいたら、逆に気持ち悪い。お釈迦さまだって何年もかかったのだから。
もがき、くるしみ、もんもんとするからこそ愛おしい人生の一面を描いたこの作品は、実にキュートだった。
そして、何より … 。ロージー役のリリー・コリンズさん、やばくね?
現実問題として、身近にここまでキュートな娘さんがいて良い感じの関係になれそうなら、ほんとは躊躇してはいけないんだけどね。
この女優さん、あっという間に御尊父のフィルコリンズさんより有名になってしまうだろう。
アレックスも今風に言えばイケメンさんだ。それに、やっぱ白人のイケメンさんは正直完成度がちがうなと、おれでさえ思ってしまう。
昨日は、合宿明けの体をいたわろうと、ユナイテッド入間まで車を走らせた。
がらがらの映画館には、なぜか女子高校生生四人組が前の方にすわっていた。何情報で観に来たのだろう。楽しめたんじゃないかな。
君たちは、アレックスがいたらうじうじしてたらいけないんだよ、すぐつかまえなきゃ。ロージーじゃないんだから、と念を送っておいた。
今年観た映画のなかで、間違いなくベストワン。