入試がはじまった。今日は単願、併願Ⅰ入試、中一日はさんで、特待生試験、併願Ⅱ試験と続く。
試験監督中、自分が作った問題を受験生が読み始める様子は、少しどきどきする。ひさしぶりに読み返してみたが、案の定、先日のセンターの第2問よりも良い出来だ。
1000人以上の生徒さんに貴重な時間を費やしてもらうのだから、解いてもらうこと自体がいい経験になるような文章と設問を用意したいと毎年思う。
お昼をはさんで午後は面接を担当する。今日のたった何分かの接触にもとづく勘だけど、今年の中3の学年は落ち着いているのではないだろうか。
今日と日曜の試験は、おかげさまで内心書の評価のいい生徒さんに多数受けてもらっている。
コミック『中学なんていらない』を昨日読みながら、内申書の必要としない特待生入試も設けている本校入試のシステムは悪くないかなとあらためて思った。
中2の時、娘さんが、いじめのせいで不登校になった。学校に訴え、相手の親も入ってもらっていながら、そのいじめは改善されない。中3になって「不登校だから内心点はない、高校は通信にしかいけないでしょう」と進路指導される――。
その体験をマンガで描いた青木光恵さんの作品だ。
この学校の問題点は、すぐわかる。同業の方が読めば、同じように気づくだろうし、「うちはこんな対応はしない」とお感じになる先生もいるだろう。同時に、十分に想定しうる事例であることも。
~ 私達は失敗しましたが、いじめにあった時は、もっと話を大きくした方がいいです。
学校はもみ消します。「もうしません」の儀式をしてそれで終わりです。
校外の相談する場所に持ち込むのが良いのです。(青木光恵『中学なんていらない』メディアファクトリー) ~
学校には学校の論理がある。すべての組織がそうであるように。
教員に、組織の成員に、その自覚があるかどうか。
自分達の論理は自分たちのものにすぎないと対象化できるかどうか。
それができないと、自分達の振る舞いが客観的にみられた時にどうなのかと発想できなくなる。
企業が不祥事を起こし、その対応を見誤る場合も、ここに根本的要因があるはずだ。
さらに、学校で起こった事件については、内部で解決しようとする力が、他の組織よりも大きく働く点が問題だ。
以前は、学校の「内部」とは、地域共同体をも含むそれだった。
広い意味でも「身内」どうしが、近代社会の論理を適応しないで解決をはかることもできた。
でも、今はちがう。
生徒も保護者も、一市民として、一個人として生きていて、それぞれの自我を主張する現状のなかで、学校の先生だけが昔ながらのエートスで事に当たろうとしてしまう。