宮部みゆき作品は、現代ミステリ、時代物、ファンタジーと大別することができるが、どの分野でも歴史に残る名作を書かれていることが驚異だ。
自分的には、現代ミステリはデビュー以来ほとんど読んでいる。先日も『ソロモンの偽証』の後半だけ文庫で読み直し、その奥深さに感嘆しながら、宮部さんとほぼ同世代として今を生きていることを感謝したい気持ちになった。ただ、歴史ものは少ししか、ファンタジーものは全く読んでいない。
『悲嘆の門』は、なぜか普通のミステリーと思い違いして読み始め、途中から怪物や異界が出てきて戸惑ってしまったが、一気に読んだ。というか、やめられなかった。『英雄の書』の流れの作品だったのね。
物語の設定は現代の日本だ。
都会の片隅で、貧困のために息をひきとり、古いアパートに一人取り残される幼女の描写から始まる。
主人公は、ネットセキュリティー会社でアルバイトをする大学生。
会社の業務との関係で、不審な連続殺人事件や、妹の友人が学校裏サイトでいじめにあう事件に関わっていくことになる。
上巻の途中まで現代ミステリー系と信じて全く疑わないほど、現代社会の実情を精緻に描いていた。
事件の真相を明らかにしたい、犯人を懲らしめたい、親しい人を奪ったやつに復讐したい … 。
主人公孝太郎の思いが高まったとき、孝太郎の前に異界の怪物が登場する。
え? こっち系だったのか。
「非科学的だと侮るなかれ、合格祈願に行くと合格する」と生徒に言っておきながら、ファンタジー系を拒絶するのは矛盾だから、モードをかえて読み進んだ。
狭い意味での小説、現代文の教科書で扱う近代小説にはあたらない。
でも、あたるともいえるのかな。
超自然の現象を描くのがファンタジーとするなら、李徴は虎になるし、今は載ってないけど、棒になった男の話も昔あったから、教科書にもファンタジーはある。
そして超自然の現象を描くことで逆に人間の真実が浮かび上がるのが小説なら、この宮部作品はまさに近代小説そのものだ。
~ 「問題は、この言葉のもとになってる〈物語〉の方よ」 …
「物語?」
友理子の発言の意味はわかる。だが言葉の選び方が孝太郎には訝しい。
「普通はそれ、〈動機〉とか〈理由〉とか言うべきなんじゃないか?」
「いいえ、〈物語〉よ」友理子はきっぱりと言い切った。「全ては物語なの。わたしたち人間は物語を生み出しながら生きている。個々の人間が紡ぐ物語のなかから、その人間の言葉も生まれてくる」 (宮部みゆき『悲嘆の門』毎日新聞社) ~
孝太郎が出会う異界の怪物は、実在するのか。
日常生活モードのままなら、実在するかどうかなどと考えることはない。
しかし、いつのまにか「実在」とは何かと考える自分になっている。
物理的に存在することのみが「実在」なのか。
人々の意識が作り上げてしまう虚像も、信じている人のとっては実在ではないのか。
そもそも事実とは物語にすぎないのではないか。