水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「羅生門」の授業(5) 第2場面・視点

2015年06月13日 | 国語のお勉強(小説)

 

10 それから、何分かののちである。羅生門の楼の上へ出る、幅の広いはしごの中段に、一人の男が、猫のように身を縮めて、息を殺しながら、上の様子をうかがっていた。楼の上から差す火の光が、かすかに、その男の右のほおをぬらしている。短いひげの中に、赤くうみを持ったにきびのあるほおである。下人は、初めから、この上にいる者は、死人ばかりだとたかをくくっていた。それが、はしごを二、三段上ってみると、上ではだれか火をとぼして、しかもその火をそこここと、動かしているらしい。これは、その濁った、黄色い光が、隅々にくもの巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。

Q16 「息を殺しながら、上の様子をうかがっていた」とあるが、なぜか。60字以内で説明せよ。
A16 死人しかいないと思っ ていた楼の上に人の気
   配を感じて警戒心を抱 き、自分の存在を気づ
   かれないように様子を うかがうため。(57字)

Q17  「それと知れた」の「それ」とは何か。
Q17  羅生門の楼の上で、誰かが灯をともしそれを動かしていること。

Q18 下人を「一人の男」「その男」と表現する効果を説明せよ。
A18 下人がどういう存在であるのかを客観的な視点で捉え直している。

Q19 その視点は、その後どう変化するか。
A19 客観的な視点から、「下人は」と物語を展開させる三人称のもどり、「この雨の夜に~」では、一人称視点に移行している。

Q20 視点の変化はどういう効果をもたらすと考えられるか。
A20 読者の視線を徐々に下人に近づけることで、自然と感情移入してしまうようになっている。


 小説には「語り手」がいます。「作者」とは別の概念です。「作者」がどういう「語り手」を設定するかで、物語の展開の仕方や、読者に対する伝わり方がかわってきます。

  私は~   …  一人称視点
  あなたは~ …  二人称視点
  彼は~   …  三人称視点

 二人称視点で書かれる作品は多くありません。

 「一人称視点」の小説は、描写された世界は、その主人公の視点から見たものです。客観的な風景ではありません。「冷たい雨が降っていた」のような文も、「私」にとってはそうだったということです。
 基本的に、今の「私」が、事件がおこった当時の「私」を語るという構造になります。
 他の人の心情に入り込むことはできませんが、自分の心情については相当分析的に語ることができるという特徴があります。読者も知らず知らずのうちに誘導されます。

 「三人称視点」の場合、主人公、もしくは語り手にあたる人物の視点のみで語られる「限定視点」と、どの登場人物の視点にも入り、すべてを見渡したところから語る「全知視点」とがあります。後者は「神の視点」とも言われます。
 「その直後、○○に悲しい現実がつきつけられることを、その時は誰もしらなかった … 」
 というような文体ですね。
 三人称の場合は、視点がどのレベルにあるのか、また別人物に移動するかどうかを意識しながら読まないといけませんい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする