水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「羅生門」の授業(9) 第4場面 主題

2015年06月30日 | 国語のお勉強(小説)

 

35 しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起こしたのは、それから間もなくのことである。老婆は、つぶやくような、うめくような声をたてながら、まだ燃えている火の光を頼りに、はしごの口まで、はっていった。そうして、そこから、短い白髪を逆さまにして、門の下をのぞき込んだ。
36 下人の行方は、だれも知らない。

 

Q35 「またたく間に急なはしごを夜の底へ駆け下りた」とあるが、下人が向かった世界が暗くおぞましいものであることを予感させる一文をから抜き出せ。
A35  外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。

Q36 「羅生門」は何(誰)がどうなる(どうする)話ですか。
  (a)10字以内で記せ。
  (b)25字以内で記せ。
A36(a)下人が盗人になる話。
  (b)下人が羅生門で老婆と出会い盗人になる決心をする話。


 主人公 … 下人  羅生門 … 設定  老婆 … 対役  盗人になる … 物語


 主人公の心情を変化させうる重要な存在を「主役」に対して「対役」と言います。
 主人公が世間との関わりにおいてジレンマを抱え苦悩するのが近代小説だと最初に話しました。
 
    主人公 ←→ 世間

 「世間」側の代表として、対役が登場します。
 
   下人 … 生きるためとはいえ、悪事を行うことをためらう。
    ↑
    ↓
   老婆   … 生きるために手段を選ばない、悪を厭わない。

 では、この題材で、作者が書こうとした主題(テーマ)は何でしょうか。
 「羅生門」という設定をタイトルにしているところにカギはあります。
 タイトルが「下人」ではないのです。
 つまり「仮面ライダー」や「タイガーマスク」ではないということです(古いですか)。

Q37 「門」から連想する言葉を書き出しなさい。
A37 正門  狭き門  門番  門外不出  南大門  禁酒番屋  キエフの大門
   桜田門外の変  校門  赤門  白門  門前町  …

 どこかに向かうために通過しなければならないもの、越えなければならない境界に存在するのが「門」ですね。
 下人が越えなければならなかった境界は何でしょうか。
 飢え死にするかどうかの瀬戸際において、人は手段を選んでいる余裕はありません。
 食べなければ本当に死ぬ、という状況であったなら、下人はにきびを気にしていたでしょうか。
 悪事に手を染めるのがいやなら、草を食う、虫を食う、壁に塗り込められている藁を食うという行動に移るべきではないでしょうか。
 ところが、そうしなかったのは、人間的であったからというよりも、切羽詰まってなかったか、現実を直視できないタイプであったかでしょう。
 そういう意味で、下人は羅生門の下で観念を生きています。現実社会に踏み出していけないのです。
 そういう下人が、老婆と出会い、話をすることによって、目覚めるわけです。
 かっこつけてたら自分は生きて行けないぞ、と。
 人間が生きるための手段を、観念的な善や悪の基準で判定することはできない。
 ていうか生きること以上の善などないはずだと。

 昔、「学生運動」というムーブメントがありました。大学生の体育祭ではないですよ。
 今問題になっている安保法制のような政治に関わる大きな問題を日本が抱えていた時代のことです。
 当時の大学生達は、日本政府のやり方に抗議をしました。国会をとりかこんだり、大学を封鎖したりして、「自分たちの意見をきいてほしい」と声をあげました。
 政府のやっていることはおかしい、大企業(資本家)も許さない、下々の一人一人の暮らしがよくなるようにしろ! と叫ぶ若者たちの姿は、共感も集めました。
 同時に、その運動方針をめぐって学生たちの組織が対立したり、活動が先鋭化して犠牲者を出したりする事件も起こりました。
 学生運動が、学生達が望んだような結果を生むことなく、徐々にその火を小さくしていくと、「大企業をつぶせ」とシュプレヒコールをあげていた学生も、「大企業」に就職しました。
 変節というべきでしょうか。
 わしは、そうは思わぬぞよ。せねば飢え死にするのじゃて、しかたがなくしたことじゃわいの。

 人は観念だけで生きていくことはできません。
 寝るところがあって、着るものがあって、おまんまを食べて生きていきます。
 学生運動を経験し、その後何もなかったかにように就職し、後に「おれも若い頃はけっこうあばれたもんだ」と語るようなクソも、中にはいたでしょう。
 しかし多くの若者たちは、理想と現実社会とのギャップに悩み、忸怩たる思いで生活の糧を見つけ、このおどろおどろしい娑婆の世界を生きていこうとしたのです。
 観念の世界に生きていた下人が、現実世界の在りように気づき、生きる決心をしたということは、「成長」したのです。
 成長するために通らなければならないものの象徴として「門」が描かれています。
 平安時代「羅城門」(城壁の門という意味)と呼ばれていた門の名称を、あえて「羅生門」と作者が変えたのは「網目のようにあらゆるものが生きる世界への門」という気持ちがこめられているのではないでしょうか。
 
 若者が、社会の一員となるために通らなければならない試練を、通過儀礼(イニシエーション)といいます。 
 ある部族のバンジージャンプなどが典型的なものです。
 いまの日本では、受験、就職活動がその役割を果たしていると思います。
 就活で面接を受けたりしていると、「老婆」のような存在に出会うこともあるみたいですよ。
 そこを乗り越えて、黒洞々たる世界を、したたかに生きていくしかないのでしょうね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上半期終了

2015年06月30日 | 演奏会・映画など

 

 今日で2015年も半分終わり。怒濤だった。一日や一週間はけっこう長いのに、半年はあっという間だ。
 講習も添削もない一年生は、試験さえ作ってしまえば、試験前はけっこうヒマなことに昨日気づき、これ幸いと勤務時間の終了とともに学校を出、「ストレイヤーズクロニクル」を観、その後本屋さんにも行けるくらい時間があった。帰宅して『俺物語9』を読み始めたら、話を忘れていたので一端措いて、まず8巻から読んでたら、砂のお姉さんメインのくだりで号泣してしまった。
 「ストレイヤーズクロニクル」は、原作の方は泣けるくらい楽しんだ記憶がある。
 映画の方は、ちょっと頑張りすぎたのではないだろうか。原作の膨大な設定を、どれも大事にしすぎて、全体として「ずうっとメゾフォルテの演奏」的に感じたのが正直なところだ。でも、岡田将生、染谷翔太、成海璃子、黒島結菜という、今後の邦画をしょって立つ若者たちの立ち居振る舞いを、南古谷ウニクスの1番スクリーン(412席)の大画面で、自分ふくめ3人のお客さんと楽しむという贅沢な機会をいただけてよかった。
 ということで、今年前半に観た洋画ベスト3は、「あと1㎝の恋」「バードマン」「イミテーションゲーム」が圧倒的。邦画では「幕が上がる」「ビリギャル」「トイレのピエタ」。なんか若者の作品ばっかだ。
 「海街Diary」は、生涯のベスト級なので別枠にしておきたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする