学年だより「コピー取り」
コピー取りには初級・中級・上級の三段階がある。
~ 「コピー初級」は、機械の操作をただ単に知っているだけ。他人に聞かなくてもとりあえずコピーを取れる段階。「コピー中級」は、たとえば、10枚のコピーをするとき、最初の一枚目を刷って、紙の傾き、文字や写真の濃度を確かめてそれから残りの9枚を取れる人。最初から「10」枚の数字を入力して刷る人はまだ初級です。「コピー上級」は、ちょっとした上司の依頼の紙にも(時間をかけずに)目を通し、「この人はこんな文章を書くんだ」とか「こんなことがいま会社で話題になっているんだ」というように、内容についての関心を持ちながら印刷できる人。場合によっては、書類の不備(誤字や脱字も含めて)を指摘することもできる人。私は、コピー能力をこのように三段階に分けて評価しています。
これは、私が頭の中で勝手に考えた三段階ではありません。世の中には、実際にコピーを頼んだら、同じ「単純な」仕事を頼んでも、このようにはっきりと違う仕方で仕事をこなす人がいるのです。この三段階は、実際に私が出会った人たちの三段階です。
一見、単純に見えるコピー作業の中にも、考え始めるときりがない仕事の諸段階が潜んでいます。単純な仕事を単純にしかこなせない人は、いつまで経っても単純な仕事しか与えられません。
だから、「コピー上級」の人になれば、会社は、こんな人にコピーを取らせ続けるのは失礼だし、もったいないと逆に思い始めます。そのようにして、コピー上級の人は“出世”をしていくわけです。 (芦田宏直『努力する人間になってはいけない』ロゼッタストーン) ~
コンビニのレジで、入力が素早くて袋詰めの的確な店員さんを見ることもあれば、普通に動いていながらどことなくぎこちない人もいる。通常のレジ通し以外の、たとえばライブのチケットの発券とかを頼むとテンパってしまう方もいれば、棚だししながらも常にお客さんの様子をうかがい、さっとレジにもどってくる人もいる。
そういう違いは皆さんも感じることがあるのではないだろうか。
どんな単純な仕事も、初級・中級・上級のレベルが存在する。
授業を受けるという高度に知的な作業においては、そのレベルが一層何段階にも分かれていることは言うまでもない。
たとえばノートひとつとっても、板書をそのまま写すだけの段階、もらったプリントを適当な場所に貼って整理できる段階、色分けやレベル分けの工夫ができる段階、自分の疑問点や思いついたことをメモできる段階など様々に分かれ、そのレベルによって復習の精度にも差が生まれる。
学問以前の「勉強」段階においては、ちょっとした単純作業を初級・中級・上級のどれで取り組んでいるか、そのだんどりの質によって出来不出来は決まる。
就職においては学歴が一つの重要な要素であることを、みんなも知っていると思うが、それは「偏差値的学力」そのものが求められているのではなく、その学力を身につけるに至った「だんどり力」が見られていると考えるべきだ。