学年だより「箭竹(3)」
みよの申し立てが通ったあと、作者は次のように書く。
~ 当面の大事にはりっぱに働くことができる者も、十年ふたいてんの心を持ち続けることはむつかしい。
みよはかくべつ手柄をたてたというのではないし、かたちに現れた功績などはなかった。
しかし良人(おっと)の遺志をついで二十年、微塵もゆるがぬ一心をつらぬきとおした壮烈さは世に稀なものである、まことにそれは壮烈というべきだった、そういう一心こそは、まことに武士をうみ、世の土台となるべきものである。 (山本周五郎「箭竹」―『小説日本婦道記』新潮文庫) ~
夫の遺志を受けついで生きていくことは、はたしてみよの本来の望みだったのだろうか。
現代人の感覚で見ると、なぜそんなに確信をもって、武士の妻というアイデンティティを確立させられるのかという疑問もわく。
それは本当に彼女の「やりたいこと」だったのかと。
当時の通常の結婚形態を考えれば、みよは自分の意志に関係なく茅野家に嫁いだ。その時点で、みよは、茅野百記の妻としての生き方を全うすると心に決めたのだ。
決してそれは、自分で探した「やりたいこと」ではない。与えられた「やるべきこと」だ。
「自分のやりたいことじゃない」「こんな仕事をするつもりはなかった」そんな風に言って、せっかく就職した会社を辞める若者がいる。
新入社員に与えられるのは基本的に「雑用」だ。しかし、№28にも書いたように、「コピー取り」一つとっても、上級、中級、初級が存在する。
「こんな仕事をやるためにいい大学を出たのではない」と言う人は、いつまで経っても同程度の仕事しか与えられない。
逆に「こんな仕事」にも、工夫を加えながら全力をつくして取り組むものには、次々と新たな仕事が与えられる。
どんな会社でも、どんな職種についても、与えられた「やるべきこと」に一生懸命取り組んでいると、自分が漠然と願っていた「やりたいこと」に仕事の方が近づいてくることも多い。
「これこそがやりたかったことに違いない」と気づくこともある。最初のうちは、むしろ「やりたくないこと」を与えられ、鍛えられた方がその人のためになることが実は多いのだ。
やりたくない仕事の「そば」に、もしくは「中」にこそ、やるべきことは埋まっている。
「こんなつもりではなかった」と言っている人は、それに出会えない。
かりに、出合えなかったとしても、与えられた「やるべきこと」に真摯に取り組む人生は、世のため人のためになるものであり、結果として満足できる人生をうむ。
「箭竹」のみよは、夫の遺志を受け継いで生き続けた。
「そういう一心こそは、まことに武士をうみ、世の土台となるべきものである」と作者は書く。
武士にかぎらない、田を耕し稲を作り一生を終えた農民も、近代日本をつくった人も、戦後焼け跡から復興させた人も、高度成長期をささえてきた人も、みなさんの暮らしを支えているおうちの方も、みんな世の土台として生きてきた(いる)のだ。