放課後、仮予約状態だったウエスタ川越に出かけ、正式で使用申請をしてきた。
来春3月25日(金)に、第24回定期演奏会を開催する。
震災で開催されなかったまぼろしの定演が一回あるので、やりはじめてから25年、四半世紀になるのだ。
上福岡勤労福祉センターで第一回を開いたときには、25年後も同じことをやっているなどと想像さえしなかった。 ただ、会場が極端に立派になった。平日利用で、かつ一階席だけ使用の形で申請したけど、費用は例年にくらべ相当にかさみそうだ。来年の男祭り以前に、まず自分達の演奏会をきっちり運営する方法を考えないといけいない。
学校にもどって練習の最後に顔だけ出して、帰りがけに南古谷ウニクスで「ギャラクシー街道」を観る。
いい評判を聞いていなかったので、不安な気持ちで出かけたけど、いやいや、ちょー楽しかった。
宇宙への航行が日常になっている未来、地球と木星、土星を結ぶ幹線航路であるギャラクシー街道沿いにあるハンバーガーショップが舞台。
長年の夢をかなえてハンバーガーショップを開いた香取慎吾くんが店長で、奥さんが綾瀬はるか。
香取君は以前小さな劇団を主宰し、そこの看板女優の優香さんとつきあっていた。
しかし、彼女のハンバーガーの食べ方が気に入らなくて別れを決意し、逆に劇場でアルバイトしていた綾瀬はるかさんが、ハンバーバーをあまりに幸せそうに食べている姿を見て惹かれてつきあいはじめる。
ハンバーガーは、地に足のついた生活をするための生活のたつきの象徴なのだろう。だから二人の髪型も絵に描いたように対照的にしてある。小説における「象徴」の基本を教えるのにいい素材かもしれない。
ちなみにこの回想シーンは、下北沢のスズナリで撮影されていたが、みなさん、スズナリのような箱でお芝居をしたことないような方ばかりだな。
芝居から足を洗って自分の店を持ってはみたものの、モータリゼーションの変化に対応出来ずに、店には閑古鳥が鳴いている。
店を出したころは希望にあふれ、明るい未来を信じていた夫婦の仲も、経営の悪化とともにすきま風が吹き始め、お互いの行動や気持ちに疑心暗鬼になる。
そこへ昔つきあっていた優香がお金持ちの旦那と二人でやってくる、といった実に今風な展開が用意されている。
郊外型の大きな店、たとえばファミレスとか、スーパーマーケットとか、パチンコ店が、男女間のビジネスの現場として使われる現実が、おもしろおかしくではあるが盛り込まれているのは、ただのファンタジーにはしたくない思いだろう。
舞台設定は突飛でも、描かれる場面、人物はそのまま現代人であり、等身大のわれわれに与えられている試練や、葛藤だった。登場人物の全てに与えられた様々な「勘違い」も。
「昔つきあっていたあの女は、まだオレに惚れているに違いない」という、ほぼ全ての男性がする勘違いとか。
仕事で失敗ばかりしていて、「この仕事は自分にあってない、あたしにはもっと知的な仕事があっている」という勘違いな自己評価とか。
「仕事上のつきあいだけでなく、この奥さんは絶対自分に気がある」という思い込みとか。
後のなって冷静に振り返ってみれば顔を赤らめるようなことも、その時点ではみんなものすごく本気だ。
そうそう、あるある、我々一般人はね、って思うけど、芸能人の方も同じではなかろうか。
芸能界で華やかに生きているように見える人も日常は日常だ。
何でもないことを気に病んだり、落ち込んだり。ぎゃくにちょっとしたことで良い気持ちになったり、前向きになってみたり。
思い通りにならないこと(むしろ人生はこの比率の方が高い)も、ほんのすこし考え方を変えたり、小さな喜びを積み重ねることで、見え方はかわる。つらい人生に光が差すこともある。
わたしたちも。
この作品に出演されているそうそうたる俳優のみなさんも。
そして宇宙人も。
一見突飛な設定で描くことによって、かえって全ての人々のささやかな幸せに光があたっていく。
店をたたんで地球にもどろうと考える香取君を諭したのは誰だったっけ?
「宇宙で成功できない人がアースにもどっても同じだよ」と言ったのは。
このセリフは逆も成り立つ。地球で成功できないヤツが宇宙に出ても同じだ、とか。
日本でうまくいかないからといって留学しても同じだ、今の会社じゃなく新天地なら自分をいかせられる、川東をうまくできないやつが他のバンドをもっても同じだとかね。
まず足下をみつめよう。支えてくれる人はそばにいる。
たしかに大爆笑や大どんでん返しやスリルもサスペンスもないけれど、見た後に「もう少し人生がんばってみようかな」という思いを抱かせてくれる、愛おしい作品だった。