水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

インタビュー

2009年05月10日 | 日々のあれこれ
 インタビューを受けた。
 教育について、教師人生について、である。
 インタビュアーは、吹奏楽部OBのうえはら君で、教職の授業での課題だそうだ。
 「なぜ教師になったのですか。」
 「苦労したこと、壁にぶつかったこと、やめようと思ったこと、バーンアウト(もえつき症候群)はありますか。」
 おれって、そんなに疲れてるように見えるのか。
 自分にあってると思ったからで、人のために何かをしようとか、立派な子どもを育てたいとかの使命感はまったくなかった。
 ひとえに自分の都合のみで教員になりたいと思い、なれてありがたいと思い、目の前の具体的な仕事でいやなことはあったけど、職業そのものをやめようと思ったことは一回もないなあ。
 だから自分にあっているのだと思うけど、他の職業についた経験はないので、ほんとうにベストかどうかはわかりません。
 「全然話変わりますけど、体罰についてどう考えますか。」
 理論的に体罰がよくないのは誰もがわかっていると思うけど、いいとか悪いとか言ってられない状況が現実には起こり得るわけで、大学の授業レベルで想像してすますのはよくないかもしれない。
 そうそも暴力的に人を従わせるのよくないのはたしかなんだろうけど、大きな力、かなり暴力的な力にあらがえずに生きているのが、われわれの現実だよね。
 それから、態度の悪い人がいて、他人に迷惑をかけてるのがあきらかで、しかし見た感じあきらかにヤー○ん業界の人だった場合に、注意できるかというのも同じ本質をもつ問題じゃないかな。
 そんなこと考えたことないでしょ。おれも今考えたんだけど。
 「教師に必要なものはなんですか」
 明るさは絶対。あと人と話できる力、本を読む力。
 「今までどんな事件があってどう対処しましたか」
 ○○が○○したときには …
 「ええっ、そんなことがあったのですか」
 そうだよ。卒業生だと、なんでも話せていいな。
 「参考になりました」
 がんばって勉強してね。
 インタビューを終え、西部地区で演奏する予定の新曲をみんなで少し譜読み。
 午後は上級生でマーチ、そして自由曲。
 今日は少しいい音がしている。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カンニング少女

2009年05月09日 | おすすめの本・CD
 「だけど、カンニングを目のかたきにする先生がたびたび口にする、『カンニングで高得点をとったって、全然自分のためにはならない。いつか痛い目を見ることになる』っていう意見には納得しかねるな。カンペごときで高得点を得られるってことは、いい換えれば、暗記力さえ優れていればOKってことでしょ? 私ならこういい返す。『暗記力しか試されないテストで高得点をとたって、全然自分のためにはならない』ってね」
 ~ 黒田研二『カンニング少女』(文春文庫)~

 なるほどねえ。うまいこと言うな。
 たしかに、暗記が大事って生徒さんがたには言ってるけど、大人になったらそんなに必要ない。ていうか全然必要ない。
 データを自分の中にためることよりも、自分の外側にあるデータをいかに使いこなせるか。
 自分のもたないデータをもっている人といかにコミュニケーションできるか。
 娑婆をいきていくのに必要なのはこっちだ。
 じゃあおれらは、生徒諸君に何を強いているのだろう。
 よけいなことを考えずに、与えられたことをやりきる能力だろうか。
 どうせやらなきゃならないのだから、いかに効率化できるかという要領なのだろうか。
 勉強ってなんなのだろう。
 そんなことまで考えてしまったが、答えはでないので、今日も粛々と業務をこなしていくのであった。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2009年05月08日 | 日々のあれこれ
 ここ二三日、関東だけが雨模様という天気みたいだ。
 逆のイメージの日はけっこうある。関東から東海にかけては晴れ、その他の地域は雨というふうに。
 それだけでも、関東は住みやすい。
 ときどき住みやすい県ランキングなんてのが発表されて、郷里の福井は必ず上位に位置し、いっぽうで埼玉はだいたい下位の方だ。
 でも、天候ひとつとっても、晴れの日が多いのはこちらだし、福井の秋から冬にかけてのどんよりした日の連続は、住民を内向的にさせる要素にはなってるはずだ。
 持ち家率が高いとか、人口当たりの医療機関が多いとかの要素にしても、生活の充実ぶりというよりも、土地が安いとか人が少ないという性格の別側面にすぎないのではないか。
 先日、高岡、砺波、福井の駅前のたたずまいを見て、住みやすさランキングとのあまりのギャップを感じざるを得なかった。
 ぶっちゃけ、ランキングを発表している人や、それを読んで「福井って住みやすいのねえ」って言ってる人で、じゃあ移住しようと考える人いないよね。
 そういうことを思うと、まただまされてるのではないかと思ってしまう。
 そうやっておだてておいて、気がついたら原発2こぐらい増えてるんじゃないかと。
 ただし、同じ北陸でも金沢は別格のにぎわいである。
 もともとそうではあったが、いまや日本海側では金沢の一人勝ちのように見える。
 ふらっと歩いてみればわかるけど、金沢の駅前や繁華街以上に都会的な空間は、少なくとも埼玉には存在しない。
 日本の県境は、ガザ地区みたく塀があるわけではないのに、くっきり差ができるのは不思議なものだ。
 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おっぱいバレー

2009年05月07日 | 演奏会・映画など
 「みんな、一回しか言わないから、よく聞いて。あたしのおっぱいを見るために、がんばりなさい」
 綾瀬はるかちゃんのセリフだ。
 Hな本をこっそりかくしてあったり、なんとか親の目を盗んで11pmを見られないかと考えたり、女子更衣室をのぞけないかと真剣に考えてみたりした経験のある大人にとって、気恥ずかしさと懐かしさと失ったものと、そして心の隅に残っている少年を刺激される胸キュン映画だった。
 たぶん、いまの中高生よりも、おやじ、おじさんの方が楽しめると思う。
 1970年代後半の設定になっていて、BGMのえーちゃんやユーミンや甲斐バンドがまたしみるのだ。
 顧問の先生のおっぱいを見るために、厳しい練習に耐えられるかどうか。
 名誉のためにたたかうのではなく、プライドをかけた闘いでもなく、誰かを救うために戦うのでもなく、おっぱいを見るために戦う。
 これを男と言わずして何と言おう。
 このメンタリティがあるかどうかで、青春時代を生きているかどうか判断できる。
 そうやってがんばっているバレー部員のおさななじみの、ある女子が先生に言う。
 「先生のやりかたはまちがっていると思います」
 たぶん、そのとおりであろう。
 でも、人ってそういうものじゃないかな。
 大人になると、なんかかっこつけて抽象的な目標に向かって頑張るようなことを言うけど、その内実はお金のためだったりすることが多い。
 だから、金賞のためにがんばっていいのだよ。
 偏差値の高い大学が目標でいいのだよ。
 そういう具体的かつわかりやすい目標でいい。
 そして、必死こいてやってやってやりまくって、その地点に達したときに、ひょっとしたらほんとの目標はこれじゃなかったのかもしれないと気づけばいい。
 目標に達することができなくても、みんなで涙にくれればいい。
 そのときその涙は、負けたことを後悔する涙ではなく、目標に向かってともにがんばってきた仲間とのかけがえのない時間を愛おしむ涙に変わる(こんなくさい言葉がわいてくるおれも、まだまだ青春か)。
 部員たちがどうしてもというなら、みごと金賞をとれた時、おれのおっぱいを見せることもやぶさかではないと考えている。
 「綾瀬はるかちゃんて、けっこうグラマラスなんだよなあ」(byしもむろ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つるのうた

2009年05月06日 | 日々のあれこれ
 つるの剛志がアルバムを出したことに対して、「やりすぎじゃないの? おまえ歌手かよ」的な感情をいだく人はいると思う。
 たしかに歌は上手だ。ただしそれは、素人さんにしては、プロの歌手以外では上手だ、というレベルのものだ。
 いきなりカヴァーもののフルアルバムはないだろと思う人はいるだろう。
 たとえば何年もトレーニングしてきてプロ歌手を目指しているA君がこう言うかもしれない。
 「くそ、おれの方が絶対に上手いのに、あいつはちょっとバラエティで売れてるからって、いい気になりやがって」。
 でもね、聴いてみたら納得せざるを得ないと思うよ。
 うまさってなんだろね。
 もうしわけないけど、1曲目の「M」からハートわしづかみです。
 中西保志、斎藤和義、山崎まさよし、って先日のおれのカラオケか、といいたくなるメニューであることもさることながら、思いを音符に乗せることを上手いというなら、こんな上手な唄歌いはなかなかいない。
 ハマショー「君に会うまでは」は感涙にむせびました。
 うちもこれでいいのではないだろうか。
 一本一本の音色で、なかなか何年もやってきた子たちに対抗するのは難しい。
 しかし、一つ一つの音に思いをこめて、何か人の心に届くものを表現しようするならば … 、えっ? はい、わかりました。
 まずピッチですね。たてですね。はい、音符よみちがえないようにします。
 がんばります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰れない二人

2009年05月05日 | 日々のあれこれ
 RCファンでなくても気になる存在であり、とんがったおにいちゃんであり、あの人ぜったい死ぬまで落ち着かないよね、となにかと話題にする偉大な先輩だった。
 もし忌野清志郎が90歳まで生きて、やすらかに亡くなったなら、世間の反応はどうだったろう。
 ともに青春時代を過ごした人たちも多くは鬼籍に入り、われわれ下の世代も、「まだ生きていらっしゃったのか」という反応だったかもしれない。
 才能のある方の夭逝は、人々に大きな悲しみを残すけれど、それだけ多くの人々の心に残り続けるという意味では、けっして不幸100%ではないのではないか。
 もちろん、われわれ凡人は、早死にしたところで誰もかまってくれないから、できるだけ長く生き恥をさらし続けたいとも思う。
 忌野清志郎といえば「帰れない二人」である。
 井上陽水のアルバム「氷の世界」A面3曲目に入っていたこの曲を、どれほどくちずさんできたことか。

  帰れない二人  井上陽水・忌野清志郎

 思ったよりも 夜露は冷たく  二人の声もふるえていました
 「僕は君を」と言いかけた時  街の灯が消えました
 もう星は帰ろうとしてる  帰れない二人を残して

 街は静かに 眠り続けて    口ぐせの様な夢を見ている
 結んだ手と手のぬくもりだけが とてもたしかに見えたのに
 もう夢は急がされている  帰れない二人を残して

 もう星は帰ろうとしてる  帰れない二人を残して

 文化祭までにちょー練習することにした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソウルフード

2009年05月04日 | 日々のあれこれ
 福井県民のソウルフードが、おろしそばとソースカツ丼であることは論をまたないが、他に?と問われて「秋吉」と答える人は多いのではないだろうか(どうですか、Yくん)。
 福井発で北陸を中心に全国展開する焼鳥屋さんである。
 二日、バーベキューの終わったあと、いろいろ片付けを終えて、大宮から新幹線に乗った。
 越後湯沢で特急はくたかに乗り換える。22:00に高岡につき、駅前のホテルにチェックインし、案の定目に付いた秋吉に向かった。
 とりあえず中生と串カツ。
 この世の美味しいものベストテンをあげよと言われたなら、秋吉の串カツは絶対はずせないであろう。基本ケチャップだれでたべるのだが、からしも少しつけるとなおいい。
 こぶりの(ていうか、福井の人以外にはちいさすぎるかもしれない)串カツ5本で430円(かな)。
 今回の旅はこれで終わりでもいいやと思えるほどだった。
 そんなに食べたかったら、池袋店で喰えばいいだけのことなんだけど。
 わかどり、ミノを頼んでお酒を一本とる。
 カウンターの片隅でお銚子をかたむけているおれのしぶいこと。
 カウンターの向こう側にいるお姐さんが、一瞥して心奪われたみたいだったので、「マスター、あちらの方にネギマ一人前さしあげて」「かしこまりました」「これ、あちらの方からウーロンハイです」「ねえさん、土地の人かい」「ええ。どこかで呑み直しませんか」「いいですね」 … などという展開になることは秋吉では考えられないが、こんなに落ち着いて一人呑みできる店は少ない。
 翌3日、生まれてはじめて城端線という単線を走るディーゼルカーに乗った。
 たぶん高岡南の子だと思うが、多数乗ってくる高校生がみんなよく勉強している。関東近辺での電車の中とはずいぶんちがう。
 砺波で電車を降り、チューリップフェア会場を通り抜け、「となみのバンドクリニック」会場である市民会館に向かった。
 レイクレーマー氏による課題曲の講座を受けたいのが第一目標だったが、その前の講座でモデルバンドとして登場した福野中学校の演奏におどろいた。
 とにかく入場からどうどうとしているのだ。上手なバンドは必ずそうなのだが、背が高く見える。音にも躊躇がない。まちがうときはすぱっと間違う。
 うちに足りない部分である。
 課題曲講習で登場した富山商業高校さんの子たちは明るい。レイクレーマー氏のジョークに会場の誰よりも大受けする。この明るさだって、ふだんよほど鍛えてないとこうはならないことぐらいわかる。だからじつに明るいマーチになる。
 竹内俊一先生はおっしゃった。
 「楽器をかまえて息を入れて出た音とは、それまでにやってきたことの結果だ。その後に何かしようとしてもできない」
 前に聞いた「吹く前に決まってる」という宇畑先生の言葉も同じだ。
 いつも不機嫌そうな顔してだらだらと歩いている子が、楽器ではとんでもなく明るい音が出るなんてことは(たまにあるかもしれないが)想像しにくい。
 ものすごくおおげさな言い方になってしまうが、その人の生き様が一つに音に表れてしまうというのは、そういうことなのかと思う。
 講座をおえて高岡にもどり金沢へ出て8番ラーメンを食し、さらに実家に帰り関東では見かけないムツ(黒ムツ?)の照り焼きで両親とビールを呑むという久しぶりの帰省だった。
  
 

 
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月2日

2009年05月02日 | 日々のあれこれ
 新歓バーベキュー、無事終了。
 保護者会役員のみなさまありがとうございました。
 多数かけつけてくれたOBのみんな、ありがとう。
 ひたすら喰ってた1年生達が、3年後OBとして遊びにきてくれたらいいなあ。
 明日からでかけますので、三日ほど日誌を更新いたしません。
 みなさまよいゴールデンウィークをお過ごしください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月1日

2009年05月01日 | 日々のあれこれ
 いい季節だ。
 7時前に出勤すると、テニス部の子達がもうコートいっぱいに練習している。
 合宿していたのだ。ゴールデンウィークの時期は運動部の合宿に最適だろう。
 今日もいつも通りのメニュー。
 昨日から「交響曲3番」の1楽章に取り組んでいる。
 バーンズの交響曲第3番は、生後間もない娘さんを失った悲しみの中で書かれた作品である。
 一楽章は、その救いようのない悲しみの深さ、いや悲しみと言うことさえできないほどの心の闇を描いてるのではないかと思う。
 前に取り組んだときは、演奏時間の関係もあって、3楽章と4楽章だけを練習したが、今回は1、3、4と演奏し、より大きなドラマを表現したいと思っている(なんかかっこよくね?)。
 顧問のそんな熱い思いを知ってか知らずか(たぶん、知らんな)、ちょっと難しいリズムがでてくると、すぐへろへろになってしまうなんて。
 しょうがないので、一年生とやっているように、「ぶたぶたぶた・こぶたぶたぶた」と歌って変拍子のリズムどりをした。
 そんな状態ではあるが、みんなが音を出しているときには、けっこう重くひびく。
 これは、専門用語で言うところのオーケストレーションのすばらしさではないかと思うのだ。
 さすがバーンズさんだ。
 人は大きな悲しみを別のエネルギーに変えられたとき、とんでもない境地に達することができる。
 もともとたぐいまれな能力をもったバーンズ氏が、娘の死という悲劇を昇華して、この傑作はうまれた。
 有名な3楽章のメロディーを、階名で言ってしまえば「レミファ~ファ~ミミ~」なのだ。
 なんでこの単純な音階をきいただけで泣けてしまうのだろう。
 突然思い出したが、浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』に収められている「角筈にて」という短編も、涙なくして読めない名作だが、これは自信作『蒼穹の昴』が直木賞に落選してうちひしがれた翌日に書かれた作品だと、浅田氏はエッセイで書いていた。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする