水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

3月20日

2014年03月20日 | 日々のあれこれ

 終業式からのホームルーム。そして新学年の教室へ移動。急に思いついて、定演後に国語が苦手な人向けの講習をすることにしアナウンスしてみたら、一人申し込みがあった。マンツーマンで渾身の講座を企画しよう。個人コンサルなかんじだな。昔の自分に受けさせてあげたい。今年度いっぱいで退職される先生との会があり、平行して古典の補習、そのあと練習。やるべきことがけっこう残っている。係の子と、劇に必要なものを買い出しにドンキとCanDoに行く。学校にもどり、新クラスの授業割りの整理やら、曲紹介の原稿やら。

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3月19日

2014年03月19日 | 学年だよりなど

集合してストレッチからの朝食(鯖西京味噌焼き、ちくわ天ぷら、納豆、卵焼き、豚汁)。
 3年生たちに最後の合宿所そうじをしてもらい、個人練習から二部の通し。
 平行してトランペットレッスン。 
 学年会議、職員会議のあいまに、渡辺先生に3部の曲を合奏してもらう。平行してサックスのレッスン。
 新年度のクラス分けやら、春休みの課題の確認やら、今日に関してだけは部活との両立がつらかった。
 あいまに「学年だより」を書く。でも、けっこう昔のを直して使うことにした。

 

 学年だより「時間」

 やりたいことだけやって過ごしていける人生ならどんなに幸せだろう。
 今現在、みんなが自分のやりたいことをやれてないのは、まだその準備ができてないからだ。
 やりたいことが見つかってない人も同じだ。
 やりたいことを見つけられる準備ができていないのだ。その状態のまま、無理にやりたいことを見つけようとしても、見つからない。
 やりたいことが目の前に表れても気づかないのだ。準備ができていないから見つからないのに、準備もせずに「やりたいこと探し」だけをやっている若者が多くなっている。
 目の前にあることに一生懸命取り組むことからしかはじまらない。
 それらしい理屈をこねて、やれない自分を正当化してはいけない。
 そのテレビは本当に見たいのか。ゲームは本当にやりたいことなのか。友達とのんびりしていることは今本当にしたいことなのか。それが今を生きることを大切にしていると言えるのか。人生の時間をけずって今したいことなのか。
 「こんなことをやって何になるのだろう」という疑問を抑えられないなら、「こんなこと」を捨てればいい。捨てないのなら、よけいなことを言わずにやればいい。
 何をやればいいのか、どうやればいいのか、と悩むより先にやってみればいい。
 やらないうちに、方法を論じ続けても何も生み出さない。少なくとも、やってみれば、それが失敗であっても「これは失敗だ」ということに気づいた分、前にすすんでいる。
 かっこつけたり、おしゃれにやろうとしたりする必要はない。みんなはそんな余計なことを考えなくていいように、この学校に来たのだから。
 部活で時間が足りないと言う人がいるが、本当にせっぱつまってそう言ってる人は見かけない。 電車を待つ駅のホームで3分勉強し、14分かかっていた風呂を8分に短縮する努力をし、それでも足りないというほど追い詰められている風には見えない(どんだけムダにしてるんだろ、という雰囲気の人はけっこう見かける)。
 あと11ヶ月、どろくさく、濃い時間を過ごしていこうではないか。


 ~  人生の持ち時間に大差はない。
   問題はいかに深く生きるか、である。
   深く生きた記憶をどれほど持ったかで、
   その人の人生は豊かなものにも、貧しいものにもなるし、
   深く生きるためには、ただ受け身なだけではなく、
   あえて挑むとか、打って出ることも、肝要となろう。
            (城山三郎『この日 この空 この私』朝日新聞社) ~

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3月18日

2014年03月18日 | 学年だよりなど

 午前中は、まず中島先生が指揮する3部の曲の合奏。
 さらに、夜のバンドレッスンにそなえて「ラッキードラゴン」の合奏。
 平行してフルートのレッスン。
 昼食をはさんで、二部の役者はステージで練習、バンドは小講堂で合奏。
 ダンスのレッスンの後、個人練や、製作作業など。
 夕飯(豚ショウガ焼き、ポテトサラダ、春巻き、もやし中華和え)を摂って、バンドレッスン。
 曲に対する姿勢の点で厳しいお言葉とご指導をいただき、反省しながら一日を終えた。

 あいまに、プリント「進路」に載せる原稿を書く。

 

 「転機」

「○○さんの、人生の転機はいつだったんでしょう?」
 功成り名を遂げた著名人に、インタビュアーが尋ねる。
 「今、思うと、あの日の、あの出来事が … 」
 そうして語られるエピソードは、決して大事件ではない。
 ちょっとした一言を耳にしたことであったり、たまたま見かけたショーウインドウの中の服だったり、道でものを拾ったり、立ち食いそばがおいしかったり、夕日がきれいであったり … 。
 それをきっかけに、何かを思い、ちょっとしたことをはじめる。
 その瞬間に「人生の転機」などという自覚はもちろんない。
 何十年か経ってはじめて、そう言えばあの時、あの言葉をきかなかったら … と思い返すことができる。人生とはそんなものだ。
 今年の成人式の日、サントリーの広告として新聞掲載された、伊集院静氏の文章を紹介したい。

 
 ~ カレンダーの日付がかわるように人はかわらない。
 それでも雪の下にフキノトウのように、オタマジャクシがカエルになるように、生きるということは、或る日、雲が切れて陽光が微笑むようにかわる。
 だがそんなまぶしい時は待っていてもやってこない。
 雪がとけたら葉を伸ばすぞ、いつか水から飛んでみせるぞ、という心の持ちようが変えてくれる。
 こころの持ちようとは、覚悟だ、決心だ。
 そこで提案だ。今日を境に何かひとつ決心し、それを胸の中に刻んで歩きはじめてみないか。何だっていい。やると決めるんだ。
 君には夢があるだろう。それにむかって進むのもいい。
 まだなければ夢に探す機会にすればいい。その決心に言っておきたいことがある。その夢は自分だけがしあわせになろうとしていないか。
 お金を得ることにこだわってないか。そういうものは卑しいんんだ。覚悟とは、品性の上にあるんだ。苦しい時、辛い時に、その覚悟と、誰かのために生きようとしたことが救ってくれる。
 生きるということは必ず、苦いものと悲しいものをともなう。それが人生だ。 (伊集院静「君の春に乾杯」) ~


 「成人の日」とか、誕生日とか、何々記念日とかでなくていい。
 決心したその日、小さくてもいいから一歩踏み出したその日が、何年、何十年も経ってから、人生の転機であったことに気づくのだ。(プリント「進路」)

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3月17日

2014年03月17日 | 学年だよりなど

  学年だより「仕事」

 「こんな勉強をやって何の意味があるのだ」「いまやっている勉強は将来の役に立たないのではないか」などと、いまだに言ってる(考えている)人がいるような気がする。
 言っている(考えている)本人もわかっているはずだ。
 けっして本当に勉強の意味を知りたくて叫んだのではなく、なかなか勉強できない自分を慰めるため(言い訳する)ために口にしただけであることを。
 とにかく、やりましょう。
 今与えられているくらいの課題がこなせないようでは、大人になってもいい仕事はできない。
 まして、自分のやりたいことなど、実現できるわけがない。


 ~ 仕事を仕事として成立させる二つの要素は「依頼」と「締め切り」です。依頼より次元が低いものに「宿題」と「試験」があります。いま次元が低い、と言ったのは、宿題や試験は新たなものを何も生産はせず、机上の採点対象でしかないからです。
 しかし、仕事の前段階として宿題や試験がある、という事実をここでしっかり確認しておきましょう。宿題には「締め切り」があり、試験は「一定範囲の課題をインプットして特定期日にアウトプットして評価を受ける」という、ほとんど「仕事」の一歩手前の内実をもっているのです。
 学生時代の試験を莫迦にしてはいけない理由も、ここにあります。試験突破力は、総じて仕事能力の基礎になるからです。
 ただし、高校までの教科がよく理解できている、というものはそのまま仕事能力の高さには直結しません。そこらへんにいる東大卒の困った君たちを見れば、そんなことは一目瞭然でしょう。
 現代社会は、「表現する力」と「約束を守りあう」によって成り立っています。 … 小論文は、一定の「約束」のもとで「表現する力」を磨く基礎になります。
 そして、さらにここが最も肝心なのですが、そのアウトプットを評価するのは、自分や親や教師ではなく、相手(大学側、採用側)であるという事実です。
 この一見あたりまえなことを、あたりまえなこととして心底理解させるのが、まさに教育の本義なのです。教育とは、自分という存在を歴史的かつ環境的に客観視する能力を身につける営み、と言えます。 (日垣隆「なぜ試験体験と表現力が肝要なのか」ガッキィファイター) ~


 試験では他人による評価が行われる。ときに、自分の評価と他人の評価が大きく異なることがある。たとえば、実技科目だと、そういうことがよりおこりやすいかもしれない。
 しかし現実には、自分が自分に下した評価が的確で、他人による評価がそれよりも的確ではないということはほとんどないと言っていい。それほど、人は自分にはアマい生き物なのだ。
 模試の結果や定期テストの結果は、これはもう、まぎれもなく現在の自分の姿だ。
 現実から目をそらしてはいけない。
 自分の現実をどのように捉えるか。
 自分で思い込んでいる「自分」ではなく、他人に見えている「自分」をどう捉えることができるのか。それができてはじめてスタート地点に立てると言える。

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そして、星の輝く夜がくる

2014年03月15日 | おすすめの本・CD

 『そして、星の輝く夜がくる』の主人公、小野寺徹平は、被災地にある遠間第一小学校へと、はるばる神戸から赴任していった。
 教員が不足していた被災地を応援するために派遣された形だが、小野寺自身、現任校の校長とうまくいってなくて、飛び出すように応募してやってきたのだ。
 小野寺が遠間にやってきて最初に感じたのは、子ども達があまりに「お利口さん」だったことだ。
 被災してわずかな期間しか経ってなくて、仮設住宅の住む子ども達も多く、生活に不自由があるのは明らかだ。それなのに、文句を言うばかりか、よく言うことを聞き、笑顔を見せる。
 大人たちに気を遣い、子どもらしい感情を押し殺しているようにしか見えなかった。
 小野寺は自分のクラスで、『わがんね新聞』をつくることにした。

 「あまちゃん」で何度も耳にした言葉だが、「わがんね」にはたんに「わからない」ではなくて、「やってらんない」「もうだめだ」という意味があることを知った。そのへんのニュアンスを知っていると、「あまちゃん」も、もっと楽しめたかもしれない。

 「わがんね新聞」には、大人に言いたいこと、今まで言えなくて黙ってたことを全部ぶちまけろと小野寺は指導する。
 子ども達は書く。「原発のことしか言わない総理にむかつく」「父は酒をのみ、母は泣くばかりだ」「泣いてるときを狙って写真撮ろうとするな」。
 これらを新聞にして貼りだしたとき、当然大人たちからは反発があった。
 家族の事情を勝手にさらすなという保護者のどなりこみ、小野寺のクラスだけ勝手なことするなという同僚。
 しかし、校長先生は、周りの顔色を窺わずにやってみてほしいと受け止めてくれた。
 なんか、「熱中時代」を思い出してしまった。若き日の水持をして、小学校教師の道を目指そうと決心せしめた、あのテレビドラマを。
 北野広大先生よりずっと年長で、17年前の阪神淡路震災で奥さんと娘さんを失ったという過去をもつ小野寺先生だが、大人の都合が子どもに優先するのはおかしいと根本的に思っているところが同じだ。
 もちろん、学校というシステムそのものが、大人の都合で作られたものであることは間違いない。
 だからこそ、そこに「収容」されてしまった子どもたちがいきいきと活動できる環境をつくるのが、大人の仕事だ … と、われわれ教員は、頭ではみんなわかっている。
 わかっていながら、時に自分の立場、自分の組織を守ろうとする「大人」な意識が全面に出て、子どもの存在をないがしろにしてしまう。
 どなりこんで来た保護者に、お父さんがそんなだから、だめなんだと言い返してしまう小野寺先生がうらやましくさえ見える。


 ~ 「子どもたちを見てたら、何もなくなっただの、もう立ち上がる気力はないだのと嘆くのが情けなくなりましてね。わしらも本気出すことにしました」
  … 「先生に怒られたおかげです」そう言って松井の父が頭を下げた。
 俺はただ、酷い目に遭っているのに我慢している子どもの顔を見るのが、いやだっただけです――、そう言いかけて小野寺は言葉を飲み込んだ。 (真山仁『そして、星の輝く夜がくる』講談社) ~


 うらやましいとは思うが、彼のような先生がほんとに同僚だったら、どうだろう。
 たとえば自分と同じ学年団の一員だったら。
 学年主任になったばかりの自分だと、ちょっと上手く扱えなさそうな気もする。
 でも、今ならうまくやっていけるかな。
 自分の信念にもとづいて突っ走るばかりが近道じゃないよって、エラそうに教えてあげられるかもしれない。
 この本では、校長先生が、小野寺先生のあふれるばかりのエネルギーをうけとめ、それが子ども達にとって正しく働くためのお膳立てしていた。 
 小野寺先生自身も、それに気づいて、教師としての階段を一歩のぼっていく。


~ 「その時は俺が責任とって教師辞めますよ。だから、やらせてください」
 「小野寺先生がお辞めになったところで、問題解決にはなりません」
 教師たちのやりとりを目を閉じて聞いていた校長が、ようやく口を開いた。
 「では、保護者を集めて私が説明しましょう。そして、子どもの思いを形にすることをご理解戴けるように、誠意を尽くしてお願いします。それでいかがですか、教頭先生」
 そうなんだ。これが大人の落とし前のつけかたなんだ。自分のクビをかけるなんて子供じみている。自らが矢面に立って、子どもたちがやりたいことを実現させるために誠意を尽くす。俺にはこういう発想がないんだ。
 小野寺は改めて自身の力不足を痛感した。 ~


 小野寺先生という、『ハゲタカ』の鷲津の匹敵するくらい魅力的なキャラクター、そして綿密な取材に支えられた被災地の現実をふまえて作られた物語。
 震災後の日本文学の、一つの収穫と思えるほど、読み応えのある小説だった。

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2014年03月14日 | 日々のあれこれ

 ここ数日「差別的」という言葉を繰り返し見聞きしてて気になっていた。「的」の部分に。
 レッズのサポーターが掲げた幕は、差別「的」ではなく、あきらかに差別だ。
 にわか埼玉県民として(でもないか、もう何十年も税金払い続けてるし)、Jリーグの試合があれば、やはり一番気になるのは浦和レッズの試合だ。スポーツニュースを見れば、顔が判別できる選手もいる。
 そしてレッズサポーターは、他のどのクラブにもまして存在感があることも何となく知っている。
 試合に行ってないサポーターたちが今回のニュースを知ったなら、たぶんあの人たちがやったんじゃないかなと思えたぐらいの状況なんじゃないだろうか。

 大野勢太さんがこの問題についてどう語るかを聞きたくてナックファイブを聞いていた。
 「あの横断幕を見つけて、まずいと思った人はいるはずです。その人が、撤去してしまうことはできなかったのでしょうか」という投稿に対し、「それは、難しいです」と答える。
 「横断幕というのは、サポーターがそれぞれプライドもって掲げてますから」だって。
 他人の掲げた横断幕を邪険にあつかったりすると、トラブルのもとですよ、という表現なのだろうと思う。
 ここかな、問題は。
 集団というのは、メンバーも限られ、行動目標が明確であると、排他的な集団になる危険性をもつ。
 それは部活動でも同じだ。
 行動目標に向かって一生懸命やればやればやるほど、自分の集団が正しく、それ以外の価値観がみえなくなってくる。
 そこに疑問をもつ人はそっと離れていくのが常だから、ますます「純粋」化する。
 たぶん、今回問題を起こした方々は、「なんでだめなの?」と思ったのではないだろうか。

 だから「的」とかつけて、うやむやにしようとするのでは、問題は解決しない。
 授業でよく話すけど、「的」は、「~tic」(~チック)の訳語を探していた明治時代(幕末かな?)の学者が、「おお、この漢文にある『的』はどうであろう」「なるほど『的(テキ)』と『tic(チック)』は、なんとなく声に出しても似てますなあ」ということで、けっこうアバウトに成立した言葉だ。
 でも、便利だ。けっこう何にでもくっつく。
 そして現代、「婉曲表現」第一位になっているのがこの「的」だろう。
 「こう思う」ってずばっと言うべきところでも、「私的には」と言って表現をぼやかす。
 通常の会話なら、そんな言い方を多用した方がコミュニケーションはうまくいくけど、差別を差別的と言い換えるのは、よくない。
 問題を起こしたサポーターの問題ではなく、その問題を生んだ組織、システムの全体の問題としてとらえるべきだ(西村欣也さん的まとめになってしまった)。

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責任

2014年03月13日 | 教育に関すること

 「あの先生じゃなかったら、もっといい学校生活をすごせたのに」と生徒や保護者に思われるとしたら、それは教員として悲しいことではある。
 しかし、どの教員も、そう言われること、思われることを想定して働かないといけない。
 自分の知っているかぎり、立派な先生ほどそういう感覚をもっている。
 ただ、われわれは、どちらかというと、「おれのおかげであいつは成長した」とか「いい結果を残せた」とか考えがちな人種で、そういう楽天性も、この商売にはある意味必須の条件ではないかと思う。
 その一方で、自分のできることなど限られている、自分の力で児童生徒を変えようとするなんて畏れ多いことだとの感覚も必要だ。かりに指導を感謝されたにしても、自分はちょっとしたお手伝いができただけだと考えるべきだ。
 逆に、成長させられなかった、結果が出ないままにしてしまったことについては、こどものせいにするなどもってのほかで、これについては強く責任を感じなければならない。
 とは言っても、どう責任をとればいいのか。
 それは自分自身が精進することで、次に受け持つ児童生徒に対し、少しでもいい仕事ができるようにがんばるしかない。

 かりにAという生徒が、Mという教師にならったとする。
 その結果、国語ができるようにはならなかったと。
 Mに責任はあるけれど、損害賠償の対象にはならない。
 今の学校のシステムにおいては、A君は運が悪かったと思ってもらうしかない。
 勉強においては、この考え方で通用するかな。
 勉強なら、A君の勉強の仕方が悪かったからだと非を求めることもできるし。
 つまり、学習指導については、教師の未熟さは「損害賠償」の対象にはなりにくい。

 じゃ、学校生活の指導についてはどうだろう。
 クラス内の人間関係がうまくいってなくて、不登校になった生徒さんがいたとする。
 能力の高い教員が担当していて、クラス経営がうまくいっていれば、その生徒は不登校にならなかったのではないかという想定は可能だ。
 となると、その先生のせいで不利益を被ったのだから、慰謝料を払えという考え方は成立するだろうか。
 いじめがあって、教員の対応の稚拙さのせいで、いじめを受けた子が多大な被害を受けた例はどうか。
 これは現在、全国各地で問題になっているとおり、具体的な教師の責任の取り方が問題になってくる。
 では、大きな自然災害があったとき、その避難のさせ方の間違いで児童生徒の命が奪われる事態となったとき、教員の責任はどこまで問われるべきなのか。

 「大川小遺族が『明らかに人災』と提訴」という報道は、教員として他人事ではないなと感じたので、サンデル教授みたく考えてみようかと思った。
 大川小学校で問題になっているのは、なぜ避難が遅れたのかということだ。
 「空白の50分間」ともよばれる、校庭に居続けた時間の不可解さについては、検証委員会としては解明できないとしているようだ。
 でも冷静に考えて、教員の指示に問題があったことは言うまでもなく、でもそれは、指示をした先生個人の資質の問題に帰していいのかという疑問もおこる。
 こどもを校庭に集めて、そこで先生方が行ったのはどこに避難するかという議論だったという。
 延々と続く議論をみかねて、「先生とにかく山に逃げようよ」という子どももいた。
 そんななか、学年主任の先生が「間違った」方向性を出し、他の教員はしぶしぶ従わざるをえなかったという状況が想像される。
 今ある情報に基づいて、頭をふりしぼっただけなので、あくまでも想像にはすぎないが、どんな学校にも起こりうる、システムとしての問題や教員の資質の問題がそこにあると思われる。
 同業者として、あの学校の先生は何やってんだよ、と非難して終わりにはできないものがある。

 すいません、これ、中途半端な段階です。
 でも、教員志望の方とか読んでらっしゃったら、こういうことも少し考えてみてもいいかなと思ったので。

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ダサい

2014年03月12日 | 日々のあれこれ

 今日は暖かかった。三年前の昨日もそんなに寒い日じゃなかった記憶があるけど、ちがったっけ。
 三年前の昨日、妻と次女は浦和付近、自分は新宿で過ごした。一人家にいた長女が、本棚やタンスを警戒しながらいかに工夫して寝たかを昨晩笑いながら話してて、でもこわったんだよと言うので、少ししみじみした。
 今朝の新聞は、震災から三年を経ても復興がすすんでいない現状や、被災者のいろんな思いや、行政の今後など、様々な震災関連記事で埋め尽くされていた。


 ~ 「ダサいくらいなんだよ、我慢しろよ!」 ~

 あまたある「あまちゃん名シーン」のなかで、アキの台詞としては自分的に一番記憶に残る言葉かもしれない。
 朝日新聞天声人語の書き手の方にとってもそうだったのだろうか。この台詞をひいた後、こう続ける。


 ~ あまちゃんの音楽を担当した大友良英さんは、アキのセリフに衝撃を受けたという。福島の高校を卒業して東京に出てきた大友青年にとって、ダサいは〈切ないくらいの呪縛力を持ったことば〉だった。岩波ブックレットの新刊『3.11を心に刻んで 2014』に書いている。
 いつか都会には慣れた。ダサいといわれる恐怖を久々に思い出させたのは東日本大震災だ。かつての自分と、原発に翻弄されるいまの福島が重なって見えた。ダサいという言葉に囚われる心と、福島に原発がつくられた〈土壌〉は一致している、と。 (「天声人語」2014年3月11日) ~


 後半の意味がよくわからないのだが、「ダサいといわれる恐怖を久々に思い出させたのは東日本大震災だ」という部分は、大友さんの言葉なのかな。
 「ダサいといわれる恐怖」と震災の恐怖とは、かなり次元が異なる。
 文脈的には「かつての自分と、原発に翻弄されるいまの福島が重なって見えた」の言い換えが、次の「ダサいという言葉に囚われる心と、福島に原発がつくられた〈土壌〉は一致している」という文だ。
 つまり、福島県民は、都会に人にダサいと言われるのがいやで、原発を誘致したという意味か。
 ほんとに? 大友さんが言うのならそうなのかな。
 それとも天声人語の書き方に問題があるのだろうか。
 ちなみに福井県民は、ダサいと言われるのを恐れてあんなに原発をつくってきたのだろうか。
 ちがうんじゃないかな。
 自分の知っている福井県民は、「ダサい」と言われることをおそれるどころか、ダサいですが何か? っていうタイプの方が多いような気がするのだが。


 ~ そこに共通するのは都会へのひけめ、あこがれ、そして対抗心も、だろうか。だからこそ、大友さんはアキの言葉にはっとし、〈地方と中央の関係を根底からくつがえす原動力〉を見たのかもしれない
 ドラマの中のアキは東京生まれの設定だが、ずっと方言のままだった。東京発の価値観だけにしたがって生きる必要などないのだ。 ~


 もとの大友さんの文章に問題があるのか、引用した方に問題があるのかちょっと決めにくいが、このコラム自体が意味のとりにくい文であることは間違いない。ちがうかな。
 3.11の翌日に、天下の朝日新聞が看板コラムに載せる文章として、どうなんだろという違和感を抱いたので書いてみた。
 こんな文章を「書き写して勉強しましょう」なんていう国語教師がいたらモグリですよ、ぐらい書こうかと思ったのだけど、ひょっとして自分の読解力の問題かもしれない(くうっ、ケンキョ!)ので、一晩考えてみることにした。

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3月11日

2014年03月11日 | 学年だよりなど

  学年だより「現役」

 試験おつかれさまでした。
 今、合格掲示板には、たくさんの先輩の名前が掲げられている。
 みなさんも、来年の今頃、笑顔で過ごせることをイメージして日々がんばっていこう。
 では、これから一生懸命面勉強して、大学に合格し、進学先が決まったなら、そこで楽になれるのだろうか。
 実はそうではない。そこはゴールではないし、勉強から引退ではもちろんない。
 みんなは大学入学後も、そのあとも「現役」プレーヤーとして生き続けないといけない。
 「現役」の定義とは何か。


 ~ イチロー選手はもちろんのこと、この教室にいる君もまぎれもなく「選手」であります。自分のちょっとした心掛けと、「昨日とは違う今日」を積み重ねることでいくらでも変わることができます。それが可能な「現役プレーヤー」なのです。そのためには「自分の可能性を信じる」ことと「そのための努力を惜しまない」ことが常に両輪でなくてはなりません。
 余計な「根拠のない自信」「どこから来るかわからない余裕」「自分なんて … という卑下」は捨て去って、「君」というダイヤの原石を、真摯な姿勢でこつこつと地味に磨いてほしい、と切に願う今日この頃です。 ~


 もう数年前になるが、ある先生が書いた学級通信にあった言葉だ。
 「自分の可能性を信じる」こと、それは自分の夢や目標をかかげることであろう。
  「そのための努力を惜しまない」こと、それはその夢を夢に終わらせるのではなく、現実化するための歩みを続けることを表す。
 「目標をもつ」こと、「そのために努力する」こと、この2つを合わせ持つことでわれわれは「現役」たりうる。
 大学に入ったあとも、大学を卒業した後も、さまざまな目標を持って生きていくことだろう。
 ただし、それを夢見ているだけでは、現役とは言えない。
 どんなに年老いていても、目標に向かって少しずつでも進み続けている人は現役だ。
 逆にいくら年は若くても、ただ漫然と毎日を過ごすならば、完全に引退してしまった人と変わらない。
 そして、現役プレーヤーで有り続けるために、つまり夢の実現にとって必要なのは「勉強」だ。
 大人になってからの勉強は、今やっている内容とは質が変わる。
 「社会に出ると今やっている勉強は実生活には関係なくなるから、高校時代の勉強は意味がない」などという人もいるが、全くの間違いだ。
 大人になって、どんな職業についていても、現役でいるためには勉強勉強の毎日だ。
 現役の大人なら、みんなに今課せられている勉強がむだだなどとは言わない。


 運がいい、悪いというのも、結局は勉強をし続けているかどうかの差だ。
 現役であり続けること、つまり勉強し続けているということは、常に準備にできているということである。エンジンがかかっている状態だ。何かを追い求めようとしたとき、アクセルをひとふみすればいい状態にしておくのだ。


 ~ イメージしやすいように、回転寿司を想像してください。あなたの前にまわってくるお皿に乗った寿司が運です。そして、各お皿には、そのお皿を取れる人の条件がついています。例えば、ビジネス英語ができる人、会計の経験が2年以上の人というように。
 どんなにおいしそうな寿司がまわってきても、あなたが準備をしていないと、寿司を取る資格はありません。あなたは、目の前の寿司が通り過ぎていくのを指をくわえて眺めているだけ。次に、寿司の皿がまわってくるときには、お目当ての寿司はもうありません。
 なぜなら、別の誰かに取られているからです。
 これらの例からわかるように、「なぜ、大人になってからも勉強を続けるのか~」に対する答えは、「あなたが人生でチャンスをつかみ取るため」に他なりません。準備をしておくために、コツコツ勉強を続けるのです。目の前に、おいしそうな寿司がまわってきたときに、サッとその寿司を取るためです。
 次々と運をつかみ取る人と次々と運をつかみ損なう人。10年たてば、その差は歴然。運がいい・運が悪いというのは確率の問題というよりも、じつは、勉強を続けて準備する・しないの差で決まっていたのです。 (古市幸雄『朝30分を続けなさい』PHP文庫) ~


 ふだんの生活においても、常にアイドリングしている状態の人と、車のカギをおもむろに探し始める人とがいる。
 とくに、試験も終わり、授業もないこの時期に、完全にエンジンをとめてしまうと、気づいたときにはバッテリーがあがっている。たとえどんなに短い時間であっても、勉強ゼロの日だけはつくらないことが大事だ。脳というエンジンは、ありがたいことに、使い続けてさえいれば、自らスペックを高めていってくれる。
 では、何をやればいいか。しつこいけど確認しておこう。
 一年一学期中間から、今回の学年末まで10回分の定期試験を、8割以上取れる力をつけておく。
 今日から3年になるまでの一ヶ月は、これが最優先課題だ。
 それができてから(平行してもいいが)、志望校に向けての勉強という形で十分だろう。
 はっきり言えるのは、この基礎があれば、多くの人が志望するMARCHクラスは余裕で合格する。 もちろん三年になってからの授業と講習は受けてもらうが、それも含めて8割とれる力になってくれれば、特別な志望校対策はしなくても合格する。早・慶の場合は、これにプラスして過去問対策がいる。東大を目指す場合は、定期考査9割を基礎に設定してほしい。すると自然にセンターで9割とれるし、二次で5割5分はとれるようになる。

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怒り

2014年03月10日 | おすすめの本・CD

 吉田修一『怒り』は、凄惨な殺人事件を起こしたあと、整形して顔をかえ逃亡し続ける犯人を描く。
 当然、現実にあったあの事件を想起させるが、その犯人がどう逃亡したか、どう追い詰められていったか、警察はどんな苦労をしたかを描くことが第一の小説ではない。
 もちろん、それを克明に描いてくれたなら、それはそれで絶対におもしろい作品になっただろう。
 事件から逃亡の過程をはらはらしながら想像し、発見され捕らえられる過程のスリルと解決のカタルシスを味わうことができる。
 それを描くのがエンタメ小説なら、むしろ逆に、事件そのものが終焉をむかえても、何の解決も爽快感も得られない人間の業を描くという意味で、この小説は文学の仕事をしている。

 大きな事件が起きたとき、私たちは何があったのか知りたいと思い、当事者たちの事情をわかろうとする。
 でも、これってなんでだろう。なぜ人はワイドショーが好きなのか。再現ドラマをみてしまうのか。
 それは人間だからとしか言いようがない気がする。大脳だけをやたら発達させて、どんなささいな身体の作用にも物語をでっちあげてしまう特殊な生き物の業というしか。
 ワイドショーが犯人の逃亡を再現しようとするのに対して、『怒り』は、直接の当事者ではない人たちの暮らしを描く比重が大きい。
 事件には全く関係なく生きている人々のなかにも、テレビや新聞で犯人が顔をかえて逃亡しているというニュースのせいで、それがさざ波となり、だんだんと大きな波になって生活が揺らいでしまう人たちがいる。
 「あの人テレビでやってた事件の犯人に似てるよね」と誰かが言った冗談が、ちょっとした疑念に変わり、打ち消そうとすればするほど、大きな不安にふくらんでしまうことが。
 冗談のうちは軽く口にできたことも、本気の不安を抱えはじめると言えなくなる。
 言われる側も、その微妙な違和感を感じずにはいられない。
 考えてみれば、素性のわからない人というのは、日本全国どこにでもいる。ふつうにご近所づきあいしてる人でも、「あの人、何の仕事してるかは、よく知らないけどね」は、別におかしい感覚ではない。
 たんなる近所づきあいなら深く詮索しないままですむが、その人と深い仲になってしまうと、そんなわけにもいかない。その人が急に目の前からいなくなったりすれば、その疑念は確信に変わったりもする。


 ~ 優馬は更に歩調を速めた。やはり直人は何かで捕まったのだという気持ちが強くなる。そして、「だから、もう関わるな。関わるんじゃない」という自分の声もまた強くなる。
 直人と出会う前の生活がつまらなかったと自問してみる。誰とも真剣に付き合ってなかったが、面白可笑しく生きていたはずだ。それに、たとえ直人との未来があるとして、誰が祝福してくれる? 自分たちを祝福してくれる場所がどこにある? 祝福されない人間が誰かを祝福することなどできるわけがない。そんな世界にどんな幸せがある? だから、これでいいんだ。もう、これでいいんだ。 ~


 人は、失ってはじめて失ったものの大きさに気づくものだが、それが最初からたしかなものでなかった場合の方が、ひょっとしたら喪失感は大きいのではないか。
 ああ、すごい、わかりにくい日本語になってしまった。
 誰かと出会う。その人となかよくなる。でもその人とはずっと一緒にいられる感じがしない場合。
 そんな時の方が、一緒にいる時間がかけがえないものとなる。予感していながらも別れはせつない。
 家族より友達といる時間が楽しかったり、期間限定の高校時代が大切に感じたりするのは、同じ作用かもしれない。
 『怒り』から離れてしまったけど、凶悪事件とその余波という特殊な状況下における人間関係のもろさも、われわれの日常のもろさも、本質はあまり変わらないのではないだろうか。

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