水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

2014年03月09日 | 演奏会・映画など

 モロ師岡さんのお芝居を観にシアターサンモールに出かけた。
 「雷ストレンジャーズ」というプロジェクトによる「ブラウニングバージョン」という作品は、典型的なまじめ系の現代演劇で、残念ながら楽しめなかった。
 けっして作品の出来がわるいとか、お芝居が下手とかではない。ふだん、楽しい系、ハチャメチャ系しか見てない自分にリテラシーがないのが一番の原因だ。
 ただ、いかにも演劇ですよ、というようなこんなお芝居を今もやってるんだなとは思った。
 お芝居としてあまりに型にはまりすぎてないかと。
 内田樹先生の対談本に、「いまロックは伝統芸能になってる」というお話があって、なるほどと思った。
 

 ~ あのさ、「これがロックンロールだぜ」っていう型があるんだよ。1956年に始まって、59年には完成を見て、ジャンルとしてはその時に終わったわけだから、21世紀にロックやってる人って、ある意味で伝統芸能、無形文化財の保持者なんだよ。歌舞伎役者と同じで、ロッカーならこういう立ち居振る舞いをせねばならないという決まりがあるの。 (内田樹・名越康文・橋口いくよ『本当の仕事の作法』メディアファクトリー) ~


 このお芝居なんか、まさに型そのものかなって。
 クラシック音楽も同じような意味で伝統芸能になっているのは言うまでもない。
 吹奏楽は、最初から伝統芸能ぽい雰囲気はただよっているけど、ジャンルとして今後どうなっていくのだろう。

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3月6日

2014年03月06日 | 学年だよりなど

  学年だより「基礎」

 「学力」とは何か。実は、この言葉の定義は確立していない。来年、教育系学部に進んだり、大学で教育学系の講義をとったりすればわかるのだが、教育に関する言葉ほど、定義があいまいなまま用いられている学問分野はない。
 「基礎学力」という言葉も同様だ。
 基礎が大切だと多くの人が言うし、みんなも「基礎」をしっかり身につけたい、その上で応用力をつけたい、などと思ったり言ったりしたこともあるだろう。
 じゃ、「基礎学力」って何? その定義は?
 「学力」そのものの定義がはっきりしないから、何を目標にするかによって「基礎」の中身は変わってくると考えればよいだろう。
 みなさんの意識には、そろそろ志望大学合格に向けての力を本気でつけていきたいという気持ちがわいていることと思う。
 そのためには「基礎」を固めなければならない。
 今のみんなに必要な「基礎」とは何か。
 どうなっている状態を、「基礎が身についている」とよんでいいか。
 それを、今ここで定義してさしあげよう。
 それは、定期試験で80点とれる状態のことだ。
 もちろん、全ての科目においてである。
 これまでの試験で、ほぼ全ての科目で80点とれていると言える人は、数人しかいない。
 つまり、2年生のほとんどは、基礎が身についていないということになる。
 その状態のまま、新しいことをどんどん学んできたのだから、たとえば模擬試験の偏差値が少しずつ下がっていくのは、当然だ。
 自分の成績をなんとかしたい、このままではヤバいと考えた先輩達がおかした過ちの代表的な例は、あわてて塾・予備校に通うことであった。
 大学入試に必要な学力が、学んだ場所によって変わるということはない。
 現役生も浪人生も、埼玉で学んだ高校生も、北海道で学んだ高校生も、受ける試験問題は同じだ。
 われわれの教え方が極端に悪く、予備校の先生に習いさえすれば身につくと主張するなら、決してとめはしないが、そこに原因を求めている時点で、問題把握の仕方を誤っている可能性は否めないだろう。
 80点とれるかどうかは、試験範囲の内容を理解したか、理解した内容を定着させる努力をしたか、定着させる方法を知っているか、毎日机に向かう習慣があるか、やるべきことをやろうとする気持ちがあるか … など様々な要因の組み合わせで決まってくる。
 だから、口で言うのは簡単だが、誰もが簡単にたどりつけるレベルというわけでもない。
 でも、大学を目指す者にとって(少なくともみんなが希望しているような大学の場合)、あくまでも基礎とよぶべきレベルが80点だ。
 それは、大学で学問にふれるための基礎レベルの勉強という意味でもある。
 それは、頭がいいとか悪いとかは全く関係なく、技術と気持ちとで到達できるものだ。

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モテ

2014年03月05日 | 教育に関すること

 どうすればモテるか知りたくて「ニシノユキヒコの恋と冒険」を先日観に行ったが、これというものをつかむことはできなかった。
 「ニシノくんはね、相手の気持ちがわかっちゃうのよ、どうしてほしいのか」と阿川佐和子が言う。
 そうなると、やはり凡人が達するのは難しいレベルではないか。
 やはり、尾野真千子さんと成海璃子さまと木村文乃ちゃんと本田翼ちゃんと(ハアハアハア)、そのうえ麻生久美子さんとまでラブラブになれる境地に達することは、自分の目標としては無謀だろうか。
 ただし、今日の岡田斗司夫氏のメルマガを読んで、少しヒントはつかめたかもしれない。
 岡田氏は、モテの下準備に次の二つが必要だと言う。


 ~ 1.近場にいる異性(同性愛者は同性)をすべて、恋愛相手と考える。
   2.彼女たちすべてを「同じく平等」に口説く。 ~


 「モテ」というのは、他人に好きになってもらうことであり、たった一人から好かれてもそてはモテとは言えない。自分を好きになってもらう相手を、大きな母集団ととらえよ、と言うのだ。
 その次に、母集団の全員を好きになること。
 どんな人にもいいところが一つはあるので、それを見つけよ、そして好きな人に対してふるまうように全ての人に接せよと言う。
 全員と親しくなり、相手の好意も確認できたなら、だんだんと距離を縮めていく。
 好みのタイプだからといって、その人にだけ急接近しようとしない。
 つまり、特定の人に深入りして、つきあったりしない。
 すると、モテ状態がキープされるという。

 ちょっと待てよ。すると自分は希望しているモテ状態とは、結果としてちがったものになる。
 希望するモテとは、 … おっと、それをここに書いてしまうと職を失う可能性が高いので自重しよう。
 現実としてのモテとは、このように、「そんなにいいもんじゃない」状態だと岡田氏が言うのもわかる気がする。

 竹野内豊扮するニシノユキヒコは、全員と親しくなるところからスタートしている点はあてはまっても、そのなかの特定の人とつきあってしまったから、最終的には不幸な結末になると考えればいいのだろうか。


 ~ 周囲の女性すべての「良いところ」を見つけて、できるだけ個別に好きになる。
   彼女たちそれぞれに親切にし、話しかけて、できるだけ距離を縮める。
   好みのタイプだからと言って、誰か一人と急激に距離を縮めない。
   これ、実は管理職が部下に対する態度と同じです。
   特定の人をヒイキしない、すなわち好きにならない。
   これこそがモテ戦略の要なんです。 ~


 やはり大変なので、無理にモテを目指すのは断念しようかな。
 でも、この教えってひょっとしたら、教員の「たたずまい」として必要な要素を表しているのではないか。
 すべての生徒さんの良いところを見つける。
 できるだけ話しかけて距離を縮める。
 でも、教師と生徒という関係性はキープし続けなければならない。
 すると、「自分だけ、先生からちょっとヒイキされてるかもしれない」と、みんなが内心思っている状態になる。
 これは、向山洋一先生がおっしゃっている理想状態だ。
 教師のとるべきスタンスとして、このモテ戦略の教えは、ものすごい大事なものの気がしてきた。

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曲名あて

2014年03月04日 | 日々のあれこれ

 話題になっているらしい … って書いてあって、どの程度話題かはわからず、そんなの前から知ってるよと言われるかもしれないけど、すごいおもしろかったのでご紹介しておきます。


 ~  そんな数ある質問の中でも、今ネットを通じて話題になっている質問があります。
それは「曲名を教えてください」。
 質問者は文章だけで曲の雰囲気を伝え、回答者はその少ないヒントから曲名を当てるのです。
 今回は、Yahoo!知恵袋から実際に投稿された質問とその回答をご紹介いたします。
 一応回答は添えておきますが、読者のみなさんも是非曲あてクイズのつもりで挑戦してみてください。
 ――質問(1)
 曲名を教えてください!ピアノの曲だったと思います。いきます

 ちゃららららんららん ちゃららららんららんらんらん
 ちゃららららんららん ちゃららららんららんらんらん
 らんらんらんららんらんらんららん
 ちゃららんららんらんらんららん
 ちゃららんららんらんらん ちゃららららん ~


 あ、でもけっこう前の記事だった。
 この「ちゃららららんららん … 」の曲名をすぐ答える人がいて、「ああ、それです、ありがとうございました」と応答する人がいる。
 そんな例がいくつもあるのだが、すごいとしか言いようがない。
 ちなみに、上記の曲は、久石譲の「Summer」なのだが、たしかにそう聞こえてくる。
 答える人もえらいけど、的確にひらがなにしている質問者も、音楽が出来る人ではないか。
 わたくしめも一つ書いてみると、これはどうでしょう。

 ぱぱぱ~ん どぅん ずぅん どぅん
 たらりらりらりらら~ ららら~ りらら~

 どうでしょう。アルメニアンダンスの冒頭になってないでしょうか。

  Yahoo!知恵袋「曲名を教えてください」の回答者がすごい! - NAVER まとめ
  http://matome.naver.jp/odai/2136271454682896101 でみていただくと、楽しめます。

 

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家路

2014年03月03日 | 演奏会・映画など

 震災からまもなく三年。
 今日卒業していった三年生は、震災直後の四月、入学式はできるのだろうか、いや日本はどうなるのかという空気の中、入学してきた子たちであったことを思い出した。
 例年行っている「入学歓迎演奏会」も、この年だけ行えなかった。
 レッスンをお願いしている先生方から「ほんとにいろんな演奏会やイベントが中止になってて、生活に直接影響があります」という話を聞いたことも思い出す。
 そんな入学のときのイメージも無意識のうちに影響していたのかもしれない。
 卒業式における前生徒会長の「答辞」は、まさに号泣という言葉でしか表せないものとなり、普通はおこらない拍手が何度も起こったほど感動的なものになった。

 震災からまもなく三年 … 。けっして震災は終わっていない。
 とくに放射能被害で住めなくなった土地の人々が、もとの村に帰れるめどはたっていない。
 映画「家路」を見ると、そんな福島の今を垣間見ることができ、当事者じゃないからといって勝手に思い出にしてんじゃねえよという思いがつきささってくるようだ。
 とはいえ、誰かを告発しようとしたり、暮らしへの不満を声高に主張したりする作品ではない。 
 原発近くの町や村を捨てて仮設住宅に住む人々の、暮らしぶりの変化や、人のつながり具合の変化が淡々と描かれる。ただ、「福島の娘は、この先結婚とかできるんだべか」と夫(内野聖陽)がつぶやくと、「あたしら、何も悪いことしてねえべ」とこたえる妻(安藤サクラ)との会話のふしぶしから、やり場のない静かな怒りが伝わってくる。
 内野聖陽の弟役は松山ケンイチ。高校生のときに村を出て行かざるをえなくなり、何年も連絡をとってなかったが、居住禁止地区にある自宅に入り込むと、田を耕し、苗を植え、水をひき、そこで暮らし始める。
 「ここでは暮らしてはいけねんだ、危険だから」と高校時代の友達に言われると、「それはどこもいっしょだべ」と答えるのを聞いたとき、そうかもねと純粋に思った。客観的に計算すれば、町で暮らしてて交通事故にあう確率の方がよほどいだろう。
 松ケンの母親は田中裕子さんで、今さらお芝居が上手とか評する次元を越えた方だけど、認知症との境界線ぐらいにある女性の姿を演じる姿は、すごみというか、神々しくさえあった。
 おわかりのように、地味な作品ながら、ハイレベルな仕事のできる役者さんしか出ていないのだ。
 ドキュメントとドラマとが、これほど幸せな形で結びつき、「娯楽」作品としても成立している映画は、なかなかないのではないだろうか。

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リテラシー

2014年03月02日 | 日々のあれこれ

 東北大学の前期入試で、バスの大混雑のため受験生が会場に到着できず、試験開始を30分遅らせたというニュースがあった。

 ~ 国公立大学の2次試験の前期日程が25日、全国で始まった。仙台駅では東北大に向かう臨時バスに受験生と一緒に乗る父母が増え、そのあおりで乗り切れない受験生が続出。東北大は試験開始を30分遅らせた。 … 市バスを運行する仙台市交通局によると、仙台駅から東北大に向かう臨時バスが大混雑。受験生と同乗する父母が例年よりも目立った。やはり東北大と結ぶ定期運行のバスに父母を誘導したが、そちらも満員になってしまったという。(朝日新聞2014/2/25) ~

 昨今の娑婆のようすを知っている方なら、最近は就活も保護者ががんばるくらいだから、大学入試に親が一緒でも不思議ではないな、ぐらいに感じるだろう。
 実際、大学の入試会場には親用の待合室も用意されている(昔はなかったですよね)。
 一方で、入試を遅らせるほどたくさんの親がついて行くとは何事だ、東北大学の受験生しっかりしろ! と感じた方が多数いることも予想できる。
 案の定、ネット上では「大学受験に親がついていくなんてばかか、子離れしろ、親離れしろ」的な意見がたくさん書かれていた。
 自分も最初そう思った。
 でも、受験は毎年行われている。今年に限って保護者が極端に多くなるのも解せぬ。
 試験開始を遅らせるほど混乱したとしたら、それを見越せない大学側に問題がないはずがない、何かあると思いながら、そのままにしてたら、こんな事情があったらしい。
 
 
 ~ 2014入学者向け説明会 開催決定! 東北大学新生活サポートセンターでは、新入生の皆さんに余裕を持って入学準備を進めて、充実した大学生活を送って頂くために、合格者向け・受験生保護者向け説明会を開催します。入試区分や入学後の住まいに応じて日程を分けて開催いたします。必要な入学準備をお手伝いし、新入生の皆さんの自立と成長の第一歩となる経験を提供いたします。(ただし、2月25、26日一般前期試験日は受験生の保護者様が対象) ~


 東北大学生協主催で、保護者向けの説明会が行われていたという。予約や申し込みなしの先着定員制。
 これなら、例年以上に保護者がでかけていったというのも理解できる。たとえば埼玉県の受験生の親御さんは、見事合格できたら、どこの住まわせたら良いのか、寮はあるのか、震災の住宅事情への影響はまだあるにちがいないとか考えるはずだし、同日に説明会あるそうだと聞けば、じゃ行ってみるかとなってもおかしくない。
 交通手段が駅からバスしかないと受験要項に書いてあれば、そのバスは十分に用意されていると考えるのは普通だ。川東のように、ピストン輸送でがんがん運んでくれると埼玉県民は考えるのではないか。

 新聞記事だけを見て、すぐに最近の受験生はとか、親はとか安易に言わない方がいい。
 これはリテラシーの問題だ。
 メディアの報道を見て、どう思うか。どう判断するか。
 たとえば新聞やテレビの報道がいかに偏ったものであるかを、震災の時に思い知ったではないか。
 なのに、「最近は入試に親がみんなついていく」と新聞に書いてあったらそのまま信じ、「へえ」とか、「ふざけんな」とか思う。「ほんとに?」と思うことを忘れないことが、メディアリテラシーだろう。
 リテラシーを高めることは、国語教師の仕事でもある。

 熊本県の高校生が、「明日ママ」反対署名をしたというニュースにも同じことを思う。
 その生徒さんは 子どもの頃いやなあだ名をつけられて苦しんだ経験があり、この署名集めを思い立ったという。
 その生徒さんをせめるつもりはないが、ある程度の国語力と番組理解能力があれば、もう少しちがった対応になるのではないか、高校の先生方は何を指導されているのかという疑問は抱く。ドラマの内容よりも、報道による空気感に動かされている部分はないのか、と。
 それを言ってあげるのが大人の役割で、その結果、彼が自分の信じた道を歩むこと自体には何の問題もない。
 ただ、この生徒さんが、いろんな人たちに利用されるばかりにならないことを祈りたい。

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3月1日

2014年03月01日 | 学年だよりなど

  学年だより「飯舘村の恩返し」

 われわれが北海道から帰れなかった大雪の日、関東から東北にかけて、多くの道路で、雪のため身動きできなくなった車が連なっていた。
 2月15日午前、福島県三春町に住むトラック運転手の増子徳隆さんが、福島市への配送を終え、郡山市の会社に戻る途中のこと。激しく降り続く雪で国道は大渋滞し、福島市松川町付近で車列は全く動かなくなってしまった。
 雪はふりしきる一方で、そのまま夜になっても、翌朝になっても、車列が動く気配はない。
 ペットボトルの水とお茶だけで一昼夜をしのいだ増子さんだったが、持病の糖尿の影響で低血糖状態に陥り、ときおり意識が遠のくようになっていた。
 ふと気付くと、車の窓をノックする音がする。朦朧とする意識のなかで窓をあけると、「おにぎり食べて」と差し出す人がいる。心からの謝意を告げ言葉をかわすと、国道を見下ろす高台にある、飯舘村の仮設住宅に暮らす人であることがわかった。
 仮設住宅に住む人たちは、国道を埋め尽くした車がずっと止まったままであることに気づき、ある女性が自治会長に炊き出しを提案したのだ。
 富山県高岡市のお寺から支援物資として届いていた1斗5升のコシヒカリを集会所で炊くと、20人ほどで約300個のおにぎりを握った。のりや梅干しはそれぞれが自室から持ち寄った。
  それを、冷めないようにと発泡スチロールの箱に入れ、1メートル近い積雪をかき分けて国道沿いを歩き、1台1台車をのぞき込んでは1人1個ずつ渡して回ったのだった。
 おにぎりを口にした増子さんは、そのおかげで意識もしっかりする。
 「もったいないから半分にして、時間を置いて食べました。温かくて、おいしくて、一生忘れられない。仮設で厳しい暮らしをしているだろうに、こうして人助けをしてくれるなんて、頭が下がります」
 おにぎりで命拾いした人がいることを知った住民たちは、涙を流して喜び、「これまで国内外からさまざまな支援を受けてきた、ほんの恩返し」ができたと振り返る。
  婦人会長の佐藤美喜子さんは、「震災からこれまで、私たちは数え切れないほど多くの人に助けられてきました。今回のことで、またあしたから頑張ろうと私たちにも励みになりました」と話す。
 福島第1原発の北西約40キロに位置する飯舘村は、放射線量が高く、村民約6600人のほとんどが、今も村外で避難生活を続けている。もともと原発とは何の縁もゆかりもなく、緑豊かな山里で、農林業や畜産を主産業として暮らしてきた人々である。
 早く村にもどりたいという気持ちは誰もがもっていながら、荒れ放題になった故郷にもどることができるのか、もどったところで暮らしていけるのかという不安を抱きつつ、3年にわたる避難生活を続けている。そんな先の見通しの立たない状況下でも、これまで受けた支援に対する感謝の気持ちを忘れていない。
 だからこそ、じいちゃん、ばあちゃんたちが、大雪をかき分けて国道のドライバーを助けに回ったのだ。人の「絆」とは、「絆をつくろう」と大声で叫んだりすることではなく、こうした具体的な行動の積み重ねで生まれてくるものなのだろう。 (共同通信福島支局長 高橋宏一郎「雪の国道へ命のおにぎり-飯舘村の恩返し」に基づく)

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小説三問目

2014年03月01日 | 国語のお勉強

 次の文章は、西川美和の小説「ディアドクター」の一節である。主人公「ぼく」の父親がゴルフ場で倒れ、救急病院に運ばれる。実家から離れて暮らす兄とは直接の連絡がとれない。「ぼく」は、医者である父に幼いころから特別な感情を抱いていた兄がどんなに動揺するだろうかと心配しながら、兄の到着を待っていた。

 二十八歳になったぼくの結婚式に帰ってきた兄は、こざっぱりと髪を刈りこみ、顔は健康的に日焼けして、恰幅の増した体には、スーツもよく似合っていた。
 兄は、持ち前の明るさを存分に仕事に生かしている様子で、家を出て行った当時よりも随分と軽みを増していた。その日初めて会ったぼくの妻に対しても、花嫁姿を持ち上げ、転がし、笑わせて、終いには抱きあっていた。これなら医者にも看護師にも事務方にも受けるだろうな、と納得したが、文字通り、医者を舐(な)め切ってやろうという様子が、かつての父に対する思いへの反動のようにも思えて、ぼくには痛々しかった。ぼくらの座らされた高砂席から見える家族のテーブルで、父のグラスに1〈 こなれた調子で 〉たびたびお酌をする兄の姿が不純な感じで、たまらなくいやだった。ぼくはなんだか悔しくて、不覚にも、A〈 そんな日にそんな理由で、涙を落とした 〉。しかし「おやおや、新郎もこの喜びに、感極まった様子でございます」と2〈 目ざとい 〉司会の女が大声をマイクに通し、会場は、歓声と、拍手に沸き、その日一番の盛り上がりに達した。涙の理由が、正確に理解されることは少ない。

 その後の兄のことは、ほとんどぼくは何も知らない。
 母方の伯父さんが死んだ時の葬式に現れたことがあったが、それ以外は、たまにふらりと実家に帰ってきて、わざわざぼくを呼び立てることもないまま、すぐまた3〈 発 〉った。
 数年後には世話になった病院の重役から誘いを受けて、メーカーをやめて、そこの事務職についたと聞いた。
「お給料だって悪くなかったはずなのに。なにかいいことがあるんでしょうか」
「あるんだろうさ。どうでも、誘ってもらえるのはあいつの人望だ」
 たまに電話で話をしても、所帯を持つ気配もなく、ただ境遇の移り変わるだけの兄に心を痛める母の言葉も、父は相変わらず4〈 杞憂 〉としか受け止めず、飄々と聞き流した。
 その後も何度も職場を転じて、今では我が家から陸続きとは思えないほど遠く離れた寒村の、医師が一人と看護師一人でやっているような小さな診療所で、事務を任されて働いているのだそうだ。
 どうしてそんなところに行ったのかは、本人に聞かなければ分からない。
 結局兄は、自分でも言っていた通り、ぶんぶんぶんぶん、医者の周りを飛んでいなければ、生きていけない性分なのだろうか。
 それでも父は悠々として、言うのだった。
「診療所の周り一面田んぼだなんて、想像できるか? 年寄りが多いから、きっと先生と一緒になって飛び回ってるんだろう。おれも一度くらい、そういうところでやってみるんだった」
 兄のことをどれほど父が解っていたか、それは明らかではない。けれど、安定とはほど遠く、一ところに留まらずにころころと転がり続けていく兄のことを想う時の父は、いつもB〈 遠いところに吹く、澄み切った風を望むような眼をしていた 〉。

 廊下の椅子に座っている間じゅう、ぼくの携帯電話は結局押し黙ったままだった。液晶画面を開いてみると、時計は九時五十分を表示している。電波状況は極めて悪く、表示バーは圏外との間を泳いでいた。もしかしたら兄は、ぼくに電話をしたかもしれない。その時たまたま受信できなかったのかもしれない。留守電が入っているのかもしれない。
 あと十分で、最終の面会時間だ。
 兄と通じるところへ、出て行こう。ぼくは、半分灯りの消された長い廊下を足早に抜けて行った。
 救急搬入口の外に出ると、父を乾かした昼間の灼熱がうそのように空気はしっとりとして、Tシャツの織の目を冷たい風が通り抜けた。闇夜で表はとっぷりと暗かったが、見上げれば西の空には月の留守を守るように金星が輝いていた。
 ぼくの携帯が受け取っていた留守番電話には、「おじいちゃんはどうですか。春ちゃんもお祈りしてるからね」と、娘のさえずるような声だけが入っていた。
 遠い、青い稲のにおいに包まれた土地では、ここよりもずっとたくさんの星が兄を照らしているのだろうか。そのやさしい、暗い光の下で、ぼくの留守電を聞いた兄は病床の父を、どんなふうに想っているのだろう。
 ぼくはいつの頃からか、両親の老いていくこと、死んでいくことを、近くで受け止めていこうと自分なりに覚悟するようになった。それでもたかが母の手が年寄りじみたということにすら、やっぱり面喰(く)らってしまうけれど。親たちが自分たちを見つめて、人生を豊かにしたように、ぼくも親の絶えていくさまを、見つめて人生を肥やしていくんだ、と妻にも話をしている。
 しかしそれとはまた別に、ぼくは父の死を恐れてきた。父の死が、兄にもたらすものを、恐れてきたのだ。兄は、父を失うことに耐えられるのだろうか? 父の「生命」は失わなくても、このまま父の人格、知性、ぼくらとの記憶が失われてしまったとしたら、兄は?
 C〈 ぼくは、ほとんど衝動的に兄へのリダイヤルボタンを押していた 〉。
 留守番電話になったら、何というべきだろう。とにかく帰ってきてくれ、なのか、それとも、もう帰らなくていい、なのか、無言で切るのがメッセージなのか。
「慎也か」
 呼び出し音をワンコールも聞き終わらないうちに、電話はとられた。ぼくは5〈 息をのんだ 〉。
「おれだ」
 兄の声は、落ち着いていた。
「どのあたりに行けばいい。今、救急搬入口が見えてる」
 はっとしてあたりを見回すと、D〈 黒くむっくりとした塊 〉がこっちに向かって歩いてきていた。
「ああ、それか。お前か」
 塊がにょき、と手を伸ばして、大きく振った。
「ちょっと太ったか」
「もう四十だもん、おれ」
 ぼくはようやく声を発した。
 早送りをした画像のようにすったすったと塊の足取りは力強く、あっという間に近くまでやって来て、搬入口の明かりに照らし出されたその面影は、まぎれもないぼくの兄であった。いくらかくたびれたようで、アイロンをかけないで済むようなものばかりをくったりと身にまとい、伸びかけた無精ひげの中には、まばらに白く光るものも交じっていたが、なぜか前に見た時よりもむしろずっと、ぼくの知っている昔からの姿に近かった。
「悪かったな。どうだ」
「薬で、眠らされてる」
「先生、何て言ってる」
 直接耳に聞くその声は、もうまるで父の声そのものだった。母に似てけんけんと甲高いぼくとは違い、低くて、ふくよかで、足元伝いに響くような。
「目は覚ますけど、麻痺が残ったり、しびれが残ったりするだろうって」
「うん」
「あと、言葉が、お父さん  」
 どうしたことか、急に喉の奥に熱くて固いものが押し上げてくるような感じがあって、E〈 ぼくの言葉はそこで詰まった 〉。
 兄は黙って頷くと、ぼくの肘を軽くついて、促した。
「分かった。行こう」
「血圧が高くなって、薬も出されてるのに、いい加減で、ちゃんと飲みもしないって、お母さんが前から言ってて、おれもそれを聞いてたのに、ほとんど聞き流してた。(注)フレッド・カプルスって分かる? 見ねえよな、ゴルフなんて。お父さんが好きなゴルファーなんだよ。だからカプルスと同じキャップ探して、いつか誕生日におれがあげたんだよ。別に大したキャップじゃないんだぜ。なのにやけに喜んじゃって、気に入って、いつも被って行ってたんだ。でも今日はそれを玄関に忘れて、ゴルフ場で売ってんの適当に買えばいいのに、何にも被らずにそのまんま炎天下で十八ホール回って、それで、倒れた」
 歩きながら、そばに付いている兄にべらべらと自分の口が動いた。兄がふいに立ち止まり、ぼくの肩をつかみ、F〈 ぎゅうっときつく握りしめた 〉。
 ぼくはそうされて初めて自分の体ががたがたと震えているのに、気づいた。
 兄はしばらく肩をつかんだまま言った。
「息大きく吸ってみな」
「うん」
「そうだ。で、吐く」
 言われた通りに、呼吸を繰り返した。少しすると、体がすうっと軽くなった。まるで医者みたいだった。
「カプルスのキャップか」
 兄はつぶやいた。
G〈 「それは替えが効かない気がするわ」 〉

 さっきの看護婦さんに言われていた時間より三十分も遅れたが、今度対応してくれた少し年かさの人は、ほとんど事情も聞こうとせずにぼくらを労わるように〝天使の微笑み〟を浮かべ、快くICUに入れてくれた。
 押し黙って目をつむり、不自然な音を立てて呼吸する父を目の前にしても、兄はうろたえることもなく、周りの計器を少し見回したりした後、しばらくじっと黙ってその顔を見下ろして、幾度か頷いただけだった。そして、薄い患者衣の肩にかすかに手をあてると、胸の上のタオルケットをすいっと引き上げて、その上から肉厚な手でゆっくりと、温めるように擦った。
 ぼくは理解した。兄は、とっくに父を卒業していたのだ。
 兄は、長い長いトンネルを抜けて、蒼く、広い空の下に出ていたのだ。ぼくは、大きな安堵感が胸を湿らせるのと同時に、大好きなシリーズ物のテレビアニメが最終回を迎えた後のような、H〈 身勝手な空しさ 〉を感じた。

(注)フレッド・カプルス … 一九五九年生まれ。一九九二年に世界ランキング一位を獲得。アメリカを代表するプロゴルファー。

問一 傍線部1の意味として最も適当なものを選べ。

 ア 本音を押し隠して
 イ 無理強いするように
 ウ 取り扱いに慣れた様子で
 エ 明るく気さくな接し方で

問二 傍線部1の意味として最も適当なものを選べ。


 ア 見つけるのがはやい
 イ きわめて注意深い
 ウ 場の雰囲気をつかんだ
 エ 人の気持ちがわかる

問三 傍線部3「発」と同じ意味用法のものを選べ。

 ア 犯罪を摘〈 発 〉する。
 イ 〈 発 〉車の合図が鳴った。
 ウ 台風が〈 発 〉達している。
 エ 反〈 発 〉する心が生まれた。

問四  傍線部4の意味として最も適当なものを選べ。

 ア 話がおおげさで、現実にはあり得ないこと。
 イ どういう結果になるのか気が気でないこと。
 ウ なかなか思いどおりにならずに落胆すること。
 エ 心配してもしょうがないことを気に病むこと。

問五  傍線部5の意味として最も適当なものを選べ。

 ア 驚いて一瞬息をとめた。
 イ 予想外の結果にあわてた。
 ウ がっかりしてため息をついた。
 エ 不信に思い声を出せなかった。

問六 傍線部Aの説明として最も適当なものを選べ。

 ア 父に対する兄のなれなれしい態度の裏側には、いまだに父への反発心がうずまいているはずだと思うと、自分の喜びも忘れるほど父と兄の関係が心配でしょうがなかったということ。
 イ 結婚披露宴での兄のふるまいには、かつての夢であった医者という職業に対する鬱屈とした思いが感じられ、自分が祝福を受けるための日でありながら、自分のことより兄が気がかりで涙があふれたということ。
 ウ 父の前でも自分が医者になる夢をあきらめたことを外に表さず、ひたすら弟の結婚を祝福しようとしてくれる兄の気遣いに申し訳なさを感じ、涙がとまらなかったということ。
 エ 結婚を周囲から祝福されることに純粋に喜びを感じるが、まだ独り身で、両親の面倒も弟にまかせている兄の心情を思いやると、もしかしたら自身のふがいなさを感じているのではないかと心配になったということ。

問七 傍線部Bの表現についての説明として最も適当なものを選べ。

 ア 長年にわたり都会の病院に勤めてきた父にとって、兄の生き方はうらやましいものであり、自分も引退後は思い切って田舎に移り住みたいという願いをもっていることをそれとなく示している。
 イ 医者として思うような人生を歩んでこられなかった自分の人生を思うと、長男にはできることなら医療関係ではなく、もっと自分が本当にやりたいことを見つけてほしいと願っていることを表している。
 ウ 兄に対する思いが薄れてきている様子を描くことによって、父がいつしか年老いてしまったことや、いつか病に倒れるようなこともあるかもしれないと読者に感じさせる働きをもっている。
 エ 自分とは正反対のような人生を歩み続ける兄を心配する様子が全くなく、そういう自由な生き方こそ兄にいちばん合っているはずだ思う父の気持ちを暗示している。

問八 傍線部Cにおける「ぼく」の気持ちとして最も適当なものを選べ。

 ア いつか両親に死が訪れることを漠然と理解はしているつもりだったが、実際に父が倒れるという現実をつきつけられて自分一人でそれを引き受ける自信がなくなり、一刻も早く兄に来てほしいと願う気持ち。
 イ 父の命が助かったとしても何らかの障害が後に残るであろうことが予想され、父自身よりも兄がその現実を受け入れられずに自暴自棄になってしまうのではないかと心配する気持ち。
 ウ 父の死を現実のものとして意識したとき、それをおそれる気持ちは兄の方が強いにちがいないと思うといてもたってもいられなくなり、とにかく兄に事実を伝えたいとあせる気持ち。
 エ 両親の年齢を考えたら今回のようなことが起きることは十分想定できることであるにもかかわらず、長男でありながら実家を離れて暮らしているうえに、なかなか連絡のとれない兄への怒りの気持ち。

問九 傍線部Dの表現を説明したものとして最も適当なものを選べ。

 ア 兄だと予想される人影をこのように表現することで、兄を頼もしく、大きな存在だと「ぼく」が意識していることを表してる。
 イ 「ぼく」にとって兄は何があっても動じない人であり、もっとも頼りになる人が現れたという安堵の気持ちが表されている。
 ウ 兄の到着を心待ちにしていながらも、いざ目前にするとなんと声をかけていいかわからなくなった「ぼく」の気持ちが投影されている。
 エ 兄の体格がずいぶん変わってしまったと表現することで、兄が思いもよらない人生を過ごし、不健康な状態であることを表している。

問十 傍線部Eとあるが、その理由として最も適当なものを選べ。

 ア 兄がそばにいないからこんなことになるんだという思いを押しとどめることができなかったから。
 イ 父親を心配ばかりさせてきた兄への恨み言が思わず口をついて出そうになるのを、必死の思いで押しとどめたから。
 ウ 兄をみて安心し、それまで押し隠していた不安や焦りが急にこみあげてきたから。
 エ 父がもう助からないのではないかという不安を口にしてしまうのがこわくなったから。

問十一 傍線部Fとあるが、その理由として最も適当なものを選べ。

 ア  なげやりになっている弟の幼さに驚き、いままで両親の世話を弟に、まかせていたことへの罪悪感を感じたため。
 イ 病院内であることも忘れて大声で話し続ける弟の口をふさぎ、冷静さをとりもどさせようとしたため。
 ウ 自分が落ち着きを失っていることに気づかずに話し続ける弟を、いったん落ち着かせようと思ったため。
 エ 動揺している弟の姿をみて、自分の中にも大きな悲しみが生まれ、それを弟と共有しようとしたため。

問十二 傍線部Gとあるが、兄がなぜこのように言ったのか。最も適当なものを選べ。

 ア 仕事の合間に必ずゴルフに出かけていた姿を思い出すと、尊敬するプレイヤーの帽子を大事にしている様子が思い浮かび、何事にもこだわりをもって取り組んでいた父が懐かしかったから。
 イ 父と弟との暮らしぶりを幼いころから目にしてきた兄には、ほかのどんなものも弟があげた帽子の代わりにはならないだろうと思うはずの父の気持ちが理解できるから。
 ウ どうせたいしたキャップじゃないと口にする弟を見ていると、自分自身をあえて軽くみようとするところは父と似ていると思いながらも、素直に価値を認めるべきだと諭したかったから。
 エ 自分のあげた帽子が倒れた原因の一つかもしれないとまで考える弟を見ていると、長年自宅を離れているあいだに、どれだけ父と弟との関係が深まったのだろうかと感慨深かったから。


問十三 傍線部Hの説明として最も適当なものを選べ。

 ア 幼いころから、やみくもに父にあこがれ父の後をおいかけてきた兄なので、倒れた父を見てどれほどとりみだすことかと心配していたが、動揺を外に表さずに必死に堪えている兄を見て、もっと素直に自分の感情を出してほしいという気持ちになっているということ。
 イ 父の仕事との接点を少しでも持ち続けたいがために医療関係の仕事についている兄は、本来の自分の姿を見失っているのだと思っていたが、そんな弟の心配とはうらはらに、すっかり落ち着いた生活をし、医者以上に医療に精通しているような兄に対し、うらやましく思いながら嫉妬の念もわきあがってきている。
 ウ 父を追い求めるがゆえに父から離れて自分の人生を模索しているかのように思える兄を気遣い、年老いた両親は自分が面倒を見ようと心に決めていたが、兄が長男としての役割を果たそうとする気持ちでいることに気づくと、自分の積み上げてきた両親との関係をはかないものに感じてしまったということ。
 エ 父を見てどれほど取り乱すことかと心配していたが、予想外の落ち着きぶりを見て、自分の心配とはうらはらに兄は父とは一歩距離をおいた自分の人生をとうに歩んでいることに気づき、自分の心配は何だったのだろうと思わざるを得ず、気が抜けたような感覚になったということ。

問十四 この文章における表現の特徴についての説明として最も適当なものを選べ。

 ア 「ぼく」の回想場面に描かれるエピソードを通して、父や兄がどんな人生を過ごしてきたのかが垣間見られ、現在の状況下における兄のふるまいの意味や、それを見守る「ぼく」の心情が重層的に表されている。
 イ 主人公である「ぼく」の視点で物語は進行するが、必要に応じ周りの人物の視点も取り入れて語られているので、それぞれの人物の心理が分かりやすく理解できるようになっている。
 ウ  兄や父の心情は直接述べられていないものの、「ぼく」の視点を通して兄と父との長年の確執が浮き彫りにされ、父の病気をきっかけにして二人が和解していくのではないかと予想させる表現になっている。
 エ 時間の流れは一見複雑に見えるが、出来事全体を見渡せる「今」の立場から、その折々の「ぼく」や兄の心情や行動について、原因や理由を明らかにしながら描かれている。

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