水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

白日の鴉

2015年12月16日 | おすすめの本・CD

 

 今年をふりかえる企画が目白押しの年末、例年のごとく『このミス』や「週刊文春」で、「今年のミステリーベスト10」をチェックする。
 読んでないのばっかりだ。年々減っていく。
 かろうじて文春の方に入っている、『キャプテンサンダーボルト』は読んだ。
 どちらでも一位の『王とサーカス』は、去年の『満願』が微妙だったので、手にしてなかったけど読んでみようかしら(ためらいの意志)。
 今思うと、宮部みゆき、高村薫、志水辰雄、岡嶋二人 … と並んでいた時代はおもしろかったなあ。
 これって、今お相撲さんを見ると、体格は昔よりもいいのに、なんとなくみんな小粒だなあと思ってしまうの同じなのだろう。輪島、北の湖、貴乃花(先代)の時代は燃えたなあみたいに。年をとったのだ。

 でも、今年も、読み始めるとやめられなかった本はある。
 ミステリー系ならば間違いなくこれ、福澤徹三『白日の鴉』(光文社)だ。
 主人公がスーパーヒーローでないところがいい。
 主人公の一人は新米巡査の新田真人。『レディージョーカー』の合田でもないし、『新宿鮫』の鮫島でもない。
 もう一人は製薬会社の営業スタッフ(MRとよぶそうだが、身内に医薬品関連会社の社長がいるのに知らなかった)である友永孝。
 友永が電車でチカンの疑いをかけられるところからお話は始まる。
 「この人チカンです」との声に、友永は驚く。女の方がぶつかってきたのをよけただけだった。近くの男が、女に同調し、車掌室につれていこうとする。
 このままでは、やっとのことでアポをとり宴席を設けることのできた医師との待ち合わせに遅れてしまうと思った友永は、やってないのだからいいだろうと判断し、逃げる。
 追いかける男女。それを取り押さえたのが、新米巡査の新田だ。
 巡査になって初めて、実地で手錠をかけた瞬間だった。
 「絶対、やってない」と主張する友永だったが、チカンは被害者の証言だけで罪が成立するという。

 留置所での取り調べ、拘置所へ移されてからの描写はリアルだった(て、知らないけど)。
 「疑わしきは罰せず」というし、「刑が確定するまでは罪人ではない」はずなのだが、いったん捕まってしまえば、こんな目にあう。 
 警察がクロと言ったら、あとはよってたかって罪人にされていく。
 現実にえん罪事件とよばれるものが多々あるけれど、こんな風につくりあげられていくのかと恐ろしかった。
 あの高知県のバスの運転手さんのえん罪もひどかったよね。証拠のでっち上げまで現実にはあるのだから。

 自分が捕まえた男が容疑を否認し続けていることをある日新田は耳にする。
 同じころ、そのときにチカンされたと言った女と、証言をした男が連れ立って飲み屋に入っていくのを目撃する。
 チカン事件の日に、友永を呼び出していた医師の同僚が不審死をとげていることもわかる。
 これは偶然だろうか。
 事件について調べ始めると、先輩から余計なことをするなと釘をさされるのだが、合コンで知り合った看護士から聞いた話をつなぎ合わせたりしていくと、予想もできない深い闇が事件の背後のあるのではないか、友永のチカンは仕組まれたものではなかったかと確信を深めていく。

 若い巡査、年端のいかない子どもを持つ営業社員、巡査の若い同僚や看護士など、ほんとに一般庶民が少しだけがんばって力をあわせることで、大きな犯罪に風穴を開けていく。
 真相にはたどり着けるのか、その過程で彼らの命は大丈夫か、友永は有罪確定されてしまうのか … 。
 自分の知らない世界、たとえば『ハゲタカ』みたいな国際的な経済界を舞台にしたスケールの大きな話ももちろんうきうきする。
 でも、一歩まちがえば自分がそこにいてもおかしくない身近な世界の出来事だけに、ほんとに苦しくなるくらい身につまされ、なんとかできないかと本気で入りこんでしまった。
 今年読んだエンタメ系の本の中ではまちがいなくマイベスト1にしたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エルトゥールル号の奇蹟(4)

2015年12月15日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「エルトゥールル号の奇蹟(4)」


 エルトゥールル号の遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、そして明治天皇に言上された。明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣を決定された。一行を神戸に運び、そこで治療したのち、日本の軍艦「比叡」「金剛」でトルコ本国へ送る手はずとなった。
  事件から三日を経て、およそ50名が神戸に移された。その後も、大島の人たちは、何百体もの遺体を引き上げて、丁重に埋葬を続けた。
 事件が日本全国に広がると、各地から弔慰金が寄せられ、遭難者家族にまで届けられたという。
 島にとどまって残存者捜索や遺留品の対処をしたメンバーも島を離れる日が訪れた。
 海軍少佐ウシュクが、伝造に右手を差し出す。「おおきに、デンゾーさん」。
「なんや、あほたれ」笑い飛ばそうとする伝造の目から涙が溢れてくる。
 ウシュクから渡された手紙を、伝造は懐に入れた。14年後、日露戦争で戦死するまで、伝造はこの手紙を肌身離さず持ち歩いていたという。


 ~ 「あなたたちが、あの猛烈な嵐の中、身の危険も顧みずにわたしたちを助けてくれたことを、わたしは生涯、忘れることはないでしょう。わたしたちのために命を懸け、なけなしの食料を与えてくれた、あなたたちの美しい心映えを、わたしたちは決して忘れはしません。
 わたしたちは、トルコへ帰ってから一生を終えるまで、このたびの救出劇について語り続けます。そして、この先、もしも日本人が危機に陥ることがあれば、そのときはかならず、恩返しをいたします。
 わたしが恩返しをできなければ、わたしの息子が、息子ができなければ孫が、かならず恩返しをいたします。トルコの民であるかぎり、恩返しをいたします。
 そのためにも、わたしは語り続けます。エルトウールル号の生存者たちは、ひとり残らず、語り続けます。子から孫へ。孫から曾孫へ。水兵から家族へ。家族から知人へ。教師から生徒へ。政治家から民衆へ。トルコのすべての民へ。
 日本人との友情を、日本人との絆を、忘れることなく語り続けます。語り続けることが、わたしたちトルコ人のできるただひとつの感謝の証だからです。
 ありがとう、美しい心をもった日本人よ。アジアの兄弟よ。」  

                         (秋月達郎『海の翼 エルトウールル号の奇蹟』PHP文芸文庫) ~


 イラン、テヘラン空港、1986年。
「なぜ、トルコの飛行機に日本人を乗せるんだ!」
 騒然とする何百人ものトルコ人たちの前に、ビルセル大使が立つ。
「みんな、聞いてほしい。われわれは、オスマンの民だ。ひとたびは大帝国を築き上げた、オスマ ンの民だ。誇り高きオスマン帝国の末裔が、恩を忘れるはずがない。みんなも、知っているだろ う。物心がつくかつかないかの頃より、親から、教師から、幾度となく聞かされてきただろう。 エルトゥールル号の事件を。それを知らないトルコ人はいないはずだ」
 話を聞いていたトルコ人たちは、はっと顔を見合わせた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エルトゥールル号の奇蹟(3)

2015年12月15日 | 学年だよりなど

 

   学年だより「エルトゥールル号の奇蹟(3)」


 神戸港に寄港しようと紀伊水道を目指した艦は、熊(くま)野(の)灘(なだ)にさしかかった。そのとき天候が急変した。熱帯低気圧が勢力を増しながら和歌山県南端の潮(しおの)岬(みさき)方向にすすんでいたのだ。
 9月16日夕刻。想像を絶する嵐の中に突入したエルトゥールル号は、乗組員達の必死の対応も効を為さず、制御不能となる。艦は岬の方にどんどん流されると、岩礁に激突した。ついで高波によって大量の海水がエンジンに浸入し、大爆発を引き起こしたのである。

「乗組員たちを救うには、とにかく人手が要る」「村の人たちに知らせよう」
 伝造たちは、雨風のなか、真っ暗の道を村に走った。当時、樫(かし)野(の)村には五十戸ほどの家があった。
 船が遭難したとの知らせを聞いた男たちは、総出で岩場の海岸に下りた。
 だんだん空が白んでくると、海面にはおびただしい船の破片と遺体が見える。目をそむけたくなる光景であった。海に生きる男達たちには特に、海で亡くなった人たちの気持ちが伝わってくる。
「一人でも多く救ってあげたい」
 少しでも息をしている者を見つけると、一人、また一人と、村の小学校や寺に運んだ。
 隣の須江村、大島村からもたくさんの人がかけつけて救助に加わった。男達がひきあげてきたトルコ人を、女達が懸命に介抱する。しかし、運び込まれた寺や小学校でも、息をひきとっていく乗組員たちが増える。問題は火の気が足りないことだった。
 一人の村人が、服を脱ぐ。「こうやって、人肌で暖めるしかない」
 すると他の者も服を脱ぐとトルコ人たちの傍らに横になり、人肌で暖めだした。
「死ぬな!」「元気を出せ!」「生きるんだ!」
 もう男も女もなかった。ただただ助かってほしいとの願いで、村人は肌を擦りつけた。

 近代国家へと歩みをはじめた日本だったが、一般庶民の暮らしぶりは江戸時代とさして変わらない。もちろん電気や水道、ガスといったインフラが整備されている時代ではないし、周囲26㎞の紀伊大島には、井戸さえもなく、雨水を生活水にしている。
 わずかな耕地で育てたサツマイモと蜜柑を本土に持って行って米と交換し、あとは漁業で暮らしを立てる。魚介は保存がきかないため、村に食糧のたくわえはほとんど無い。
 この極貧の村が、生きながらえた69人のトルコ人たちに十分な食糧を与えるのは困難だった。
「もう食べさせてあげるものがない」「どうしよう!」
 一人の婦人が言う。「にわとりが残っている」
 鶏は島の命綱だ。時(し)化(け)が続き漁に出られない日々が続いたとき最後に手を付ける非常用だった。
 しかし、村人達は鶏も持ち寄った。洋食の心得のある者が、スープをつくり、煮物を煮る。
 箸が使えず食べにくそうにしている様子を見て、なけなしの米を炊いたごはんはおにぎりにした。
 それを不思議そうな顔で口に運ぶトルコ人を、村人は不安げに見つめる。食べものを口にして、はじめて笑顔をみせた彼らを見て、村人も笑った。
 村中から古着も集められた。ぼろぼろになった衣服を脱がせ、古着を着せると、大柄なトルコ人たちは、大人が子どもの浴衣を着ているようだった。それを村人が笑い、トルコ人も笑った。
 彼らの衣服は、村の女たちが洗い乾かして、丁寧に縫い直した。
 こうして一命をとりとめた人たちは徐々に回復に向かう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母と暮らせば

2015年12月13日 | 演奏会・映画など

 

 ちゃぶ台の上に遺影を置き、陰膳を備える母(吉永さゆり)。
 人の気配を感じて振り返ると、そこには亡くなった息子(二宮くん)が座っている。
 「あきらめの悪かとね、かあさんは」とほほえみかけるニノのセリフを聴いた瞬間に涙があふれだす … 、という経験を、何回かしてきた。つまり予告編の十数秒で瞬殺され続けてきたのだ。
 これを二時間見たらどうなるのだろう。しかも生き別れの許嫁(いいなづけ)役は黒木華さんだし。
 タオルもってこうかな。
 合同練習を終えて一息つこうかと思ったが、今日からだったと思い立って、昨日のレイトショーで観た。
 楽しく泣いて帰ることはできなかった。
 こんなに、登場人物の誰もが幸せになれない作品てあるだろうか。
 原爆で一瞬で命を奪われた多くの人たちがいる。そして、自分が生き残ったことを後悔したり、生き残った人に嫉妬心を抱いてしまったりする人が、その何倍もいる。
 自分の大事な人がなぜ死んで、そうでないあの人がなぜ生きているのか。
 人間がつくりあげた原爆のしわざだから、むしろ天災による災難よりも、そんな思いを抱いてしまうことがよくわかった。
 かんたんにいい映画だったとか、泣きましたとか言えない。
 AKBさんの歌も、きよしこの夜も知らなくていいけど、日本は昔原爆落とされたんだよという話は、伝えていかないといけない。「人間のやることや、なか」と。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月12日

2015年12月12日 | 日々のあれこれ

 

 和光国際さんが会場の合同練習に出かけた。
 午前中の一年合奏で、指揮させてもらう2曲を合奏したが、前回よりよく吹けるようになっていたので少し安心した。午後の2年合奏のうらで、一年を集めての合唱は、朝霞西高校のあさだ先生におねがいした。
 やはり専門の方の指導はちがう。
 男祭りで合唱担当したり、普段もこうやって発声するんだよと、えらそうに教えてはいるが、いかに上辺だけであったか。歌も、もう少しちゃんと教えてもらえる機会を考えた方がいいのかもしれない。
 全員でクリスマスメドレーを演奏したあと、数日後のアンコンの県大会に出場する和国さん、所沢北さんの2チームの壮行発表会を急遽おこなった。
 これは、演奏する側も、聞く側にとっても、いい企画だった。
 帰り際の片付けの様子などを見てると、大分なごんでいる子もいるようで、女子と会話してる風景も見られた。いいなあ。
 合同行事は大変ていえば大変だけど、自分たちだけで練習してたのでは得られないものにふれられる。
 丸一日他の仕事できないよなあと、行く前に思ってしまうことがないこともないが、終わったあとは、行ってよかった、またすぐやりたいと感じる麻薬性がある。部活全般がそういうものかもしれないけど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月11日

2015年12月11日 | 日々のあれこれ

 

 期末試験が終わり、朝から練習できる日が数日あるのだが、どうもぴりっとしないなあ。
 この時期にがっつり練習するのは、目先の本番のためだけではなく、先々のことを想定しているからで、そのためにもと本番を増やしているつもりだが、あまり伝わってないのか、自分だけがあせっているのか。
 と、思いつつも、いろいろやることをこなしていかないといけない。
 明日の合同練習に向けて、学年別の曲の練習。
 1年合奏は、「くるみ割り人形」から「マーチ」「トレパック」、「愁陽の路」、「君の瞳に恋してる」。
 2年合奏は、「グランドマーチ」「M.ルグランメドレー」。
 全員で「クリスマスソングメドレー」の合奏と合唱。
 他に自分達の演奏曲があるのだから、たしかに盛りだくさんだ。
 新人戦で演奏する曲をやらせてもらうのだが、せっかくの演奏会なので、もう一曲「365日の紙飛行機」を演奏することにした。 
 初見合奏してみて、この曲知らない人? と尋ねるとほとんどが手をあげる。
 もうAKBさんの歌は、高校生は聴かなくなったのか。
 先日保護者会の宴会で歌わせてもらったときは、皆さんご存じだったのに。朝ドラのテーマじゃなかったら、やはり知らない方の方が多いのかもしれない。ていうか、自分も朝ドラだから知ったのだった。
 AKBさんの楽曲でこの状態ということは、もう若者たちが「みんな」知っている歌謡曲というものは、ほとんど存在しなくなったのだろうか。うちだけかな。
 ボカロばかり聴いている子もいれば、すごいマイナーなバンドをチェックしている子はいる。
 あと「クリスマスメドレー」中の「きよしこの夜」を知らない子が多いのにも驚いた。
 M.ルグランなど言うまでもない。合奏してると楽しそうに見えてはくるのだから、積極的に昔のいい曲を無理矢理体験させるのも、いいのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エール!

2015年12月10日 | 演奏会・映画など

 

 主人公のポーラは、フランスの片田舎に住む女子高生。家は酪農を営んでいる。
 日本だとどの辺にあたるかな。パリに出るには決心がいるくらいの距離感だが、都会的文化から隔絶されているわけではない。群馬県のなんとか牧場ぐらいの感覚だろうか。
 ポーラが普通のJKとちがう部分があるとするなら、両親と弟が聴覚障害者である点だ。
 ひとり耳の聞こえるポーラは、家族と社会の橋渡し役を担っている。
 たとえば、家でつくったバターやチーズを納品するときには、相手業者さんとの交渉を彼女が担当するという具合に。
 冒頭、家族の朝食シーンが描かれる。
 ごく普通の家族の食卓なのだが、フライパンをコンロに乗せる音や、食器をテーブルに置く音がやたら大きい。ふつう皿をガチャっと置かれると、「怒ってるの?」となるところだが、家族にはそんな雰囲気がない。これって、ひょっとして音が気にならない人なの? と思わせるのだ。
 先日見た「レインツリーの国」は、あからさまに「耳が不自由だとこんなことがありますよ」的シーンが多かったが、こういうちょっとした描写で説明なく進んでいくのが、実にセンスがいい。
 それは障害そのものの捉え方の違いと同じではないか。
 両親は、陰部に何か腫れ物ができて医者にいき、娘に通訳させるのだが、夫婦の性生活のようすをあけすけに語ってしまったりするし、耳が聞こえないこと以外は、普通に明るくわがままな大人だ。
 ポーラの弟にいたっては、障害を利用して女の子を口説き落としたりしてるし。
 障害ゆえの苦悩、葛藤、それを乗り越えて涙させる … みたいな展開はないし、思いやりを持ちましょう的なお仕着せ感も、「障害がある人=心美しき人」というありがちな幻想もない。
 「障害は不便だけど、不幸ではない」と言ったのは乙武さんだが、この人たちは「不便」とさえ感じてないのかもしれない。
 両親の耳が聞こえないことは、ポーラにとっては自分の人生の大きな要素ではあるが、両親にとっては娘の人生に比べればたいした問題ではないのだ。
 ポーラは学校で合唱の練習をするうち、音楽教師から歌の才能を見いだされる。
 片田舎でうもれさせるにはもったいない、パリに出て専門の教育を受けるべきだと、その教師は勧める。
 ポーラもそうしたかった。しかし自分がいなくなったら、家族の生活はどうなるのか。
 それを思うと踏み出せない面と、しかし自分の中でもこのまま人生を終えたくないという思いがあった。
 父も母も反対した。それは耳の役割がいなくことよりも、娘を都会に出すことへの心配だったのだ。
 でも、親子はいつかは離れなければならない。
 一般論としても、たとえば病気や老いで自分一人では生活できない状況になったとき、それを子どもになんとかしてもらおうと考えるのは、親としてまちがっている … 、ていうか親ならそうは考えないだろう。自分がどんなに弱っていてさえ、我が子が元気でいるかと心配するものだから。
 聴覚障害を題材にしてはいるが、描かれているのは、どの家族にも必ず訪れる子どもの独立と、それを機に家族が成長していく姿だ。
 とはいえ、パリに出ることを決心したポーラが、父親に歌を聴かせる(感じさせる)シーンや、家族をよんで聴かせる学校での発表は、涙を禁じ得なかった。
 こういう作品を「佳い映画」と言うのだろうとしみじみ思う。
 洋画はあまり見なかったけど、「あと1㎝の恋」「バードマン」「エール!」を今年のベスト3に認定したい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国語力

2015年12月09日 | 国語のお勉強

 

 1~6はカタカナを漢字に直し、6~10は読み方を記しなさい。

  1 つまらぬ噂ほど〈 ゾクジ 〉に入りやすい。
  2 全国制覇という〈 ショキ 〉の目的は達せられなかった。
  3 子どもには両親を〈 フヨウ 〉する義務がある。
  4 無駄な要素を〈 シャショウ 〉すべきだ。
  5 僕らは魂の存在さえ〈 カイギ 〉する。
  6 この光景は〈 ヒツゼツ 〉に尽くしがたい。
  7 悪い友だちに〈 唆 〉された。
  8 その詩は世界で〈 遍 〉く知られている。
  9 財政がいよいよ〈 逼迫 〉している。
  10 早すぎる友の死を〈 悼 〉む。

 答え 1 俗耳  2 所期  3 扶養  4 捨象  5 懐疑  6 筆舌
    7 そそのか  8 あまね  9 ひっぱく  10 いた

 今回の期末試験の問題だ。自分で作っておきながら、難しい~っと、採点しながら感じていた。
 自分なら満点とれないかもしれない。全問正解した何人かの生徒さんは、ほんとにえらい。
 『生きる漢字語彙力』の、範囲指定した中から出したものだから、ちゃんと勉強すれば理論上は全員が満点でもおかしくはない。 
 でもページ数もけっこう多いし、やみくもな丸暗記では対応できないのだ。
 2学期も終わりを迎え、入学前に蓄積した知識で対応できるものは、もうなかったに違いない。
 ちゃんと意味を把握して覚えていかないと、「筆舌」が「必」になったり「絶」になったりする。「所期」は「初期」としがちだが、漢文の時間の「所」の学習とも考えあわせて出した。
 この10点分がどれだけできたかは、持っている「国語力」とほぼイコールではないだろうか。

 何年か前に、センター試験で点数をとれる子は国語力のある生徒だとある冊子に書かせてもらった。
 「マーク式の問題で良い点をとっても、国語力があるとは見なせない」という意見をいくつか目にしていたからだ。
 しかし、現場で教えている者の実感として、国語力のある子って普通センターもとれるよね、という感覚はあった。
 もちろん「はぁ?」という設問を見かけないわけではないが、総体としてセンターの国語は悪問などとは言えないと。
 その時の拙論に対し、都留文科大学の鶴田清司先生からご批判を賜ったのは懐かしい思い出だ。
 名もなき一高校教員の文章をご著書にきちんと引用して批判してくださったのだからありがたかった。
 もちろん再反論を書き、その後ある研究会のトイレでお会いしたのをきっかけにお話しさせてもらったりもした。

 そして今は、「真の国語力」をはかるのに、センター試験さえ不要で、漢字の問題10個あればほぼ大丈夫なんじゃないかと感じている。
 ここから出ますよと範囲を決めた試験でも、その結果と二年ちょっと後の入試の結果とは、かなり相関関係が高いことが予想できる。
 たくさんの試験範囲のなかで、この10点分をちゃんと解けるようになるには、勉強方法のシステムをもってないといけない。
 それから、もともとのボキャブラリー自体がある程度ないと、時間をかけても覚えられない。
 勉強力と語彙力とをあわせた力は、「国語力」とほぼ同じ値になるにちがいない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栄誉をたたえる

2015年12月08日 | 演奏会・映画など

 

 日刊スポーツ映画大賞が、作品賞に「ソロモンの偽証」、主演女優賞に綾瀬はるかさんを選んでいたが、妥当な結果だ(て、何様?)。
 大作感が漂うものが選ばれやすい感じがあるので、「日本の一番長い日」とかかなあと思っていた。それは日本アカデミー賞かな。
 「海街」の綾瀬はるかさんは、誰もが納得する仕事ぶりだったし異論はないが、自分的には作品賞として「海街Diary」を、主演女優賞に「ソロモン」の藤野涼子さんを押したい。
 試験監督中の厳正な審査を行った結果、今年は以下の通りの結果となった。末永く栄誉を称え、今後益々の精進を望みたい。

   作品賞 「海街Diary」
 主演女優賞 藤野涼子(「ソロモンの偽証」) 
 助演女優賞 杉咲花(「トイレのピエタ」)
 主演男優賞 鈴木涼平(「俺物語」)     
 助演男優賞 本木雅弘(「天空の蜂」)
   新人賞 黒島結菜(「あしたになれば」)
 ユニット賞 ももいろクローバーZ(「幕が上がる」)
 アツすぎたで賞 藤原竜也(「探検隊の栄光」)  
 舞台あいさつ見に行ったらあまりに顔が小さかったで賞 足立梨花(「でーれーがーるず」)
 期待して舞台あいさつ行ったら欠席でがっかりした賞 優希美青(「でーれーがーるず」)
 この子はもっと活躍しておかしくないのに賞 忽那汐里(「海難1890」)
 一番号泣した賞 「ビリギャル」     
 知人が関わってたで賞 「マエストロ」
 脇役が豪華すぎたで賞 「恋人たち」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エルトゥールル号の奇蹟(2)

2015年12月08日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「エルトゥールル号の奇蹟(2)」


 その爆発音を別の場所で聞いた者がいる。時化で打ち上げられた魚を、村人達に抜け駆けして捕ってしまおうと、夜の浜辺に向かって歩いていた村の若者、浜田伝造たちだ。
 思いがけない音に驚いて海の方を見ると、巨大な帆のようなものが見えた。急いで浜辺に降りると、船の破片らしき材木とともに、何十人ではすまない数の人が打ち上げられ、横たわっている。
 とんでもないことになったと伝蔵は思った。
 「しっかりしろ!」うずくまっている人を抱きかかえるようにすると、明らかに異国の人である。
 もちろん、言葉は通じない。
 歩くことのできる何人かを連れて灯台に向かうと、技師の滝沢がとまどいながら、中に招き入れた。「どこの国から来た人や … 」。ふと思い立って部屋の隅にあった「万国信号ブック」を開く。
 各国の国旗が一覧になっているページを開くと、彼らが指さしたのはトルコ国旗だった。
「トルコ … ? そう言えば。 … これや!」
 滝沢は、伝造たちに数日前の新聞を開いて見せた。
「オスマン・トルコから、天皇陛下への親書を携えた親善使節団が来日した。歓待を受けたのち、使節団の乗ったエルトゥールル号が横浜から出発した … 」

 エルトゥールル号とは、19世紀半ばに建造されたオスマン帝国海軍の軍艦である。
 明治20年、明治天皇の親書を手にした小松宮彰(あき)仁(ひと)親王夫妻が、オスマン帝国の帝都イスタンブールを訪問した。そして皇帝アブデュルハミト二世に親書を奏呈する。
 その答礼として、オスマン・パシャ海軍少将を特使とする大使節団が日本に送り出されることになった。使節団、船員あわせて600名を越える面々を載せたエルトゥールル号は、明治22年7月に母国を立った。
 スエズ運河を越え、アデン(イエメン)、ボンベイ(インド)、コロンボ(スリランカ)と立ち寄りながら航海を続ける。補修や燃料補給を重ねながらの航海であり、また各地でイスラム教徒からの熱烈な歓迎を受け、大変な長旅となり、横浜に入港するまでに実に11ヶ月を要した。
 航海は辛酸を極めたが、日本人の歓待ぶりは熱烈だった。歓迎行事が次々と行われ、国内はいっきにトルコ流(ば)行(や)りになったという。そのため一行の逗留期間が予定より長くなった。
 折しも長崎に端を発したコレラの流行に使節団はおそわれた。乗務員の何人かを病気で失うとともに、船の消毒や補修で、さらに滞在期間は伸びた。船員達の体調も船自体も万全ではない中、これ以上日本にいては帰国の資金が底をつくと判断したオスマン・パシャは帰国を決意する。
 どうせなら近づいている台風が過ぎるのを待って出発してはどうかという明治政府の勧めを丁重に断ると、横浜を出港した。
 艦は太平洋岸をひたすら南下して、紀伊水道へと向かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする