水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

エルトゥールル号の奇蹟(1)

2015年12月08日 | 学年だよりなど

 

    学年だより「エルトゥールル号の奇蹟(1)」

  試験お疲れ様でした! 今日のうちに必ず、これからやらなければならないことをリストアップしておこう。新しくノートを作ったり、問題集の一問だけでも解いたり、「今日中に」何かやっておくこと。今日だけは休もうと思っている人は、明日も休む。「明日やろう!」は「ばかやろう!」だ。


 現在、中東は厳しい情勢をむかえている。
 世界史で習ったように、近代以降の中東地域は、宗教上の対立や、石油利権と大国のエゴがあいまって、穏やかな時代が今まで一度もないと言っても過言ではない。とくに現代は、武器や情報機器の発達のせいで、犠牲になる人の数が想像を絶するものになっている。
 みなさんが生まれる前にも、「イラン・イラク戦争」とよばれる長期間にわたる戦争があった。1980年代のことである。
 国境の争いから始まったこの戦争は、徐々に都市への爆撃へと及び、長期化していった。
 イラン国内には、首都テヘランを中心に多くの外国人が滞留していた。日本も例外ではない。
 商社マン、多くの技術者、その家族、日本人学校の職員たち … 。
 国外退去を急がないと、命の安全が保障されない状況になりつつあった。
 1986年、イラクのサダム・フセイン大統領は突如、イラン上空を航行する飛行機を無差別に撃墜するという声明を発する。攻撃開始までの猶予時間は48時間。彼の言葉がただのおどしでないことを、国際社会は承知していた。どの国も退去を急いだ。
 日本とイランとの定期便が就航していなかったため、日本大使館の面々は、他国の航空便に日本人を乗せてもらうよう交渉を続けた。しかし、交渉は困難を極めた。どの国も自国民を助け出すことで精一杯だったのだ。
 大使館は、日本本国にも救援を依頼する。しかし、日航機の臨時便を飛ばしてほしいという願いは、乗務員の安全が保障されないとの理由で実現しない。自衛隊の救援機を送ってほしいという要請には、国会の承認が必要なので、すぐには送れないという。
 時間はかぎられている。日本人だけがこのテヘランに取り残されるかもしれない。
 隣国のトルコにお願いできないだろうか。在トルコ日本大使の野村豊は、トルコ大使館に出向いて、個人的にも親交のあったビルセル大使に支援を要請した。
 ビルセル大使は本国に連絡を送る。すると、オザル大統領は、日本のためにチャーター便を一機飛ばすことを決定してくれたのだ。
 撃墜される危険がともなう状況下で、なぜ、トルコ政府は日本人を救おうとしてくれたのか。
 それを知るには今から125年前に起こった事件に遡ることになる。

 和歌山県の南端串本町の沖合約2㎞に位置する紀伊大島。
「 ♫ ここは串本~ 向かいは大島~ 中をとりもつ巡航船  」と串本節に歌われるこの島は、古くから江戸から大阪に向かう航路の拠点の一つであり、島の東には石造では日本最古の灯台がある。
 明治23年(1890年)9月16日の夜であった。
 灯台守は、海の方から風と波をつんざくような爆発音を聞いた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インプットとアウトプット(2)

2015年12月03日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「インプットとアウトプット(2)」


 勉強はインプット、試験はアウトプットというように、大まかに二分して捉えがちだが、実際には、インプットとアウトプットは表裏一体のものだ。
 純粋にどちらか一方になっていることの方が実は少ない。
 みなさんが、純粋にインプットだけしてる状況になったとしたら、おそらくそれは何も生み出してない状態だろう。
 たとえば授業中に先生の話を聞いているだけの時、単語帳を見ているだけの時は、インプットしてるつもりかもしれないが、たぶん脳は働いてない。寝ているのとほぼ変わらない状態だ。
 ところが、ちょっとしたメモでもいい、手を動かしながら聞いていると、インプットとアウトプットが始まる。
 単語帳からいったん目を離して、小さな声でつぶやいてみるだけで、インプットとアウトプットが始まっている。
 複数の動作を行うようにすることがコツだ。
 「書き」ながら「聞く」、「聞き」ながら「話す(声に出す)」、「話し」ながら「読む」、「読み」ながら「書く」、というように。
 複数やっているときは、だいたい脳も働いている。
 純粋に楽しむための読書は「読む」だけでいいが、勉強のための読書は、「書き」ながら「読む」必要がある。大学での勉強ももちろん同じだ。
 単語を覚えるときは、見ているだけは定着しない。
 まず目でじっと見て、目を離してすぐに言えるかどうか確認する。
 暗記すべき英文をじっと見て、小さく声に出して読み、見ないで言えるかどうか口ずさみ、さらに書いて確認してはじめて情報がとりこまれていく。
 この作業は、インプットとアウトプットが小っちゃく繰り返されているのだ。
 漢字を覚えるときは、字形を見て、読み方や意味を言いながら、指書きする。
 数学の問題が解けないときは、解き方を一行ずつゆっくり理解しながら書き写していき、次は見ないで書けるかどうか試してみる。
 歴史の教科書を読むときは、次はこうなるんだよねと予想しながら読む。
 文章で説明されている内容を、自分なりに図や表にしてみる。
 有効なインプット作業とは、必ずなんらかのアウトプット的作業を含んでいるものだ。
 ただ単語を目で追うだけ、文章を読み流すだけという、純粋にインプット的な作業で終わらせていると、脳に刻まれ保持されていく率は大きく減る。
 ただ読むのではなく、赤いシートで隠しながら読むだけでも、効果は何倍も異なるのだ。
 インプットとアウトプットの繰り返しで短期記憶を長期記憶に替えていく作業を「復習」という。
 その結果を試すアウトプットの場を「試験」というが、緊張感のあるアウトプットは、それ自体がハイレベルなインプットの場にもなっている。
 試験場で問題を解くときに、それまでに入力された情報をフルに活用しようと脳は働く。
 その結果、つながっていなかった情報同士がその時はじめてつながったり、奥深くに眠っていた情報が掘り起こされて使える情報にかわったりするからだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インプットとアウトプット

2015年12月02日 | 学年だよりなど

 

    学年だより「インプットとアウトプット(1)」


 勉強ができるようにならない原因には二つある。
 一つは勉強量が不足していること、もう一つは勉強方法が間違っていることだ。
 正しいやり方で、一定量の勉強をすれば、高校の学習内容のほとんどは自然と身につく。
 勉強の正しいやり方とは、インプットとアウトプットの作業が、同時もしくは交互に行われている状態を言う。インプットとアウトプットとが、二重らせんを描きながら上昇しているイメージを描いてみよう。


 ~ やり方を具体的に言うと、まず問題と答を読みます。実力がついてきたら、ある程度考えてもいいでしょう。そのほうが解答の定着率が上がります。そうしたら、直後に解き直します。たいてい解けないと思いますから、もう一度(二度三度)解答を読みます。何も見ないでスラスラ解けるようになるまで、その場で繰り返します。
 これができてはじめて短期の記憶ができたといえます。これを怠るとアウトです。その場で解けないものは、本番でも絶対に解けません、気をつけましょう。
 特に理数系教科において、解答を読むだけとか、答を写すだけでは意味がありません。必ず自分の手で解き直してみることが肝要です。これをやらないと、問題が身につきません。そのうえで、解説の重要なところにマーカーで色をつけます。段落丸ごとという場合は、段落全体を鉛筆でカッコで囲んでおきます。 ~


 勉強は、「何も見ないでスラスラ解けるようになるまで」やってはじめて身についたという。
 ほとんどのみなさんに足りないのは、ここだ。
 マーカーで色を塗ったり、ノートをまとめ直したりする段階は作業にすぎず、その時点ではまだかしこくなってない。
 覚えるべき事柄を、ノートや教科書からいったん目を離してすらすら出てくる状態になっているかを、たえず確認しながら勉強しないといけない。数学や物理なら、問題を見た瞬間に解法がすっとイメージできる状態になってはじめて身についたという。
 インプットしたら、すぐにアウトプットして確認する。
 作業時間が多くても、勉強時間が少ないのでは、力がつかない。


 ~ 復習の回数も1回や2回ではだめです。最低でも5回と考えてください。自分にとって常識、反射的に出てくるようになるまで繰り返し復習しましょう。基本的には問題と解答を「覚えよう」という意識をもちながら読んでいくだけでいいですが、よほどあやふやな問題は、もう一度上の方法で覚え直す必要があります。要するに、短期記憶を長期記憶に変えていく作業です。
 勉強した翌日など、直近の時期に復習するかどうかが最重要な点です。一般に、勉強した事項は直近に見直さないと、急速に記憶から抜けます。 (荒川英輔『再受験生が教える医学部最短攻略法』エール出版社) ~


 どれくらい身につけられたかどうかは、模試や定期試験ではかることができる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ごめんなさい

2015年12月01日 | 日々のあれこれ

 

  レッズサポーターによる差別発言の問題は、地元民としても、高校教員としても気になるニュースだった。
 発言の主である高校生は、親とともに学校に出向き、自分のしたことを申し出て、チームや選手に謝罪したいと言っているという。
 もちろん高校生のしたことがいいことのはずはないが、自分のしたことの重さに気づき、すぐに謝ろうとした事後のふるまいには間違いがない。親御さんも常識的な方なのだろう。
 yahooニュースのコメント欄をみていたら、「学校が謝るのはおかしい」「学校はかばうな」というコメントが思いのほか多くて驚いた。
 これで学校が何の対応もしなかったら、「学校は何やってるんだ」と同じ人が書くに決まっている(これって差別かな? まあいいか、匿名でしか発信できない人には何言っても)。
 差別感情のない人はいない。
 大事なのはその感情が差別であると気づけることであり、その感情をそのまま表現したら傷つく人がいると思えることだ。
 今回の場合、高校生とはいえ、自分の発言が差別表現だと思わなかったとは考えにくい。
 差別的言辞だからこそ、その瞬間の自分の憤懣やるかたない思いをのせてしまったのだ。
 さらにSNS上で発信してしまったことが決定的に問題を大きくした。
 自分の発信がどの程度拡散するものかという想像力が欠けていた。
 子どもにそういう想像力をもたせられていないという意味では、本人や親だけでなく、学校教育にも責任の一端はあると言えるだろう。
 これまで、いじめ問題が起こったときに、学校や教育委員会が情報を隠すことで、二次災害が起きた例がいくつもあった。
 今回も、発言した子が公的に特定されないままだとしたら、またどこのどいつだとか、通っている学校はどこだとか、その家族はこんなだとか、とんでもない状況になったことだろう。
 高校生が名乗り出て、親や学校もあげて謝ることで、本人も反省しただろうし、隠すことで逆に生じるいろいろな問題を回避することができた。
 あえて言うが、この程度の問題はどこの学校でも簡単に起こりうる。
 そういう意味で、学校の今回の対応は、その素早さも含め(これは私立だからじゃないかな)危機管理の面からも評価しうるし、頭にとどめておきたいと感じた事例だった。 
 埼玉の一大人として、高校教員として、パトリック選手にはごめんなと言ってあげたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする