1990年11月、7・8日、元宮内省御用掛、寺崎英成の遺族に、1946年の昭和天皇の回想の記録(のちに『昭和天皇独白録』として文芸春秋社から刊行された。)が残されていたのをマスコミ各紙が一斉に報道した。昭和天皇は1988年1月7日に逝去されている。40年以上たって、本人が既にこの世に居なくなって、偶然に見つかった。ずっと隠されていたかのように都合よく見つかった訳である。
『文芸春秋』1990年12月号に『昭和天皇独白録』(以下、「独白録」という)に関する歴史家の座談会が載った。秦郁彦は「独白録」は東京裁判対策のために作成された、と言った。伊藤隆と児島襄は「独白録」は政治的性格を持たない単なる回顧録である、と評した。
2年後の1992年に、『昭和天皇の終戦史』岩波新書を著した吉田裕は、「独白録」は天皇の個人的な回顧録ではない、この時の天皇は紛れもなく一個の政治的主体として行動していた、と感じた。
以上4人の歴史学者の生まれた年を調べると、児島襄氏は1927年、伊藤隆・秦郁彦氏は1932年であった。吉田裕氏は1954年である。世代として20年の違い以上に、その間には、何か大きな溝や壁があるような気がしてならない。そろそろ、あの8月の暑く長い日がやって来る。