玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

翁の童話

2021-03-03 21:31:49 | みみっちい話

年取ると、自分の顔が醜いからか、同じような醜い顔には飽き飽きしています。

もはや深い皺は貫禄にもならないし、老残の欲は回りにはただ気持ちが悪いだけです。

城下の人々は八年間以上、二人の翁の醜い顔を見てきました。

昨年二人は仲たがいしたのか、人前で目を合わさなくなりました。

ところが、厄病が流行って、バカ殿様は頭が疲れてしまい、突然隠居すると言い出しました。

いままで血筋が悪いとおでこ家老を馬鹿にしていたのに、驚くことに後継に推薦したのです。

人々は不思議な気持ちで喜色満面のおでこ殿様を見ていました。

今やっとわかりました。二人は同じ穴の狢だったのです。

自分の悪事を隠してもらうためには、同じ悪事に手を染めた者に後を任せるしかないのです。

昔々のことですが、この邦は大きな地震や津波で酷い目に遭ったら、それを理由に、呑気な殿様は役立たずと罵られ、旗本や豪商や瓦版屋によって追い出されてしまいました。

人々は再び昔の血筋の良い、バカ殿さまをお城に戻しましたが、三年間の浪人の間に、お殿様はすっかり人が変わってしまい、欲深い花咲き爺のお殿様に変わっていました。

それから七年以上、花見で人々を惑わせ、陰で御用金を乱費していました。

その時におでこ家老も陰で同じように御用金を乱費していたのでしょう。

その二人の悪事を全部引き継いだ、おでこ殿様は毎日二人の悪事がバレないか、冷や冷や生きています。

でも、よく考えると、旗本も、豪商も、瓦版屋も、みんな城内の御用金に手を付けているようです。みんな悪人ばかりで、この邦は、困った、困った、とさ。

ミャンマーの空、空は同じ。

 

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『落日燃ゆ』と『昭和天皇独白録』

2021-03-03 11:09:16 | 

『落日燃ゆ』の初版が1886(昭和61)年である。

参考文献の中には、当然に『昭和天皇独白録』(1991年刊行:以下「独白録」という)がない。

城山三郎は死ぬまでに「独白録」を読んだに違いない。

「独白録」の中では、天皇が広田のことを「玄洋社の関係か、…戦争した方がいいという意見で…外交官出身として…思いもかけぬ意見を述べた」と書かれている。

城山はこれを読んで加筆しようとしたのか?いや、きっとしないだろう。

城山は小説を書いたのであり、伝記を書いたのではないだろう。

もっとも「独白録」も単なる天皇の回想録ではなく、東京裁判対策のために作成された政治的な意図のある書き物であるから、全面的に信頼できるものではない。

 

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