一種の「接待」という儀式だ。事を伝える、事を成した、その証として相互に確認し合う怪しい儀式のようなモノ。
国会の場で――様というか細い声が妙に恥ずかしい。あの方は本心から出世をしたいのかなあ、…。今後生きるに大事なモノを捨てた!これは男女の別なく。
この儀式は、一つは、独裁者の息子の誘いのって、身を賭して忠誠を見せたこと。それが自らの地位の保全につながるとは、なんと惨めなうら悲しい事。結果、外資比率の超過に組織全体で見ぬふりをした。何と情けない事か。
もう一つは、君主の鶴の一声の為に、政策をねじ枉げてしまう暗黙の了解の儀式かも。目先の携帯料金を下げるために業界全体の正常な競争を歪めた。これは自由な競争の否定だ。
此の事件を報道できなかったメディアの凋落に愕然とする。
なぜドコモをNTTの子会社にしたのか、一般国民は判然としなかったよ。今回カラクリが分かった。遅れた国になってしまったものだ。
かつて官僚たちは、天下りを壊す民主党を懼れて再び自民党を生き返らせた。
が、その結果がこの様だ。この国の官僚制度も腐っている。魚は内臓からも腐る。
私の接待は自分に。