『昭和天皇独白録』の中には『寺崎英成御用掛日記』も収められている。
1948(昭和23)年1月23日の条にはこう書かれている。
「原田日記(『西園寺公と政局』)は個々の事実に誤りあれど全体の流れは正し、木戸はその反対なり」と天皇が言った。
そして、寺崎は「木戸日記は人に見られる事を予想して書いたものに非ず」と書いている。
寺崎は1946(昭和21)年4~5月に作成された『昭和天皇独白録』を天皇に近侍して書き纏めた五人のうちの一人である。
寺崎にとって、広田弘毅と重光葵は外務省の上司であった。二人の運命を考えると、気持ちはかなり複雑であったろう、…。広田は死刑、重光は禁固7年だった。
ふと私は、天皇と5人が回想録の作成の時には『木戸日記』と『西園寺公と政局』の2冊が横にあったと考えてしまう。