玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

自民党は何処に行ったのか

2020-10-05 14:41:09 | 政治

自民党は55年体制以降、彼らの言うところの「押し付けられた戦争放棄の憲法」を受け入れがたい憲法と認識しながらも、平和憲法として、人権保障憲法として一応受けとめた。

また彼らなりにこの憲法を欧米民主制を見本として、必死になって慎重に運用しようとしていた。

戦前の皇民教育しか受けていない彼らは、そもそも民主主義が解からないために、ともかく国民のご機嫌を伺っていた。結果、いつも国民に顔を向けていたのだ。“人の命は地球よりも重い”と言った首相もいた。

今や、中東に行ったジャーナリストが反政府勢力に捕まっても、知らんぷりして自己責任と云い、自力で帰って、また外国に行こうとしたら、パスポートすら出さない、坊若無人で幼児的な政府になりました。

どうも、この原因は自民党自体が変わったんだと思うのですが、…違いますか?

もう秋の日差し

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『史記』五巻 読めた

2020-10-03 14:26:48 | 

先月末、やっと『史記』五巻を読み上げた。第一巻の読了が二〇一五年十一月だから、約五年間かかった。大体が、寝る前に一節を読み、ほとんど漢文は分からず、漢字の多様な意味に驚き、読み下し文と解説を読むという読み方だった。正直に云うと目を通したという程度である

実は、五年と言っても、約二年間のブランクがあった。その躓きは「英雄伝」から「酷吏伝」になってパタッと読めなくなった。面白くないのである。B.C.62年ころ『史記』はできたというが、当時から残酷なだけの人間性に欠ける官吏は居たのである。

今で言う「官邸官僚」もつまらん人間なのかもしれない。彼らは死んで、この国に何を残すのだろうか

文書は隠蔽できなければ、改竄し、出張は遊びを兼ねてコネクティングルーム、天下り先を名前を変えて、山のように作り、それを公費(税金)で賄っていく。

あとは時の権力者に面従腹背して、国民を全く顧みない。今や彼らは国家のゴミ(廃棄物)のようなモノでになってしまった。

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時代の空気感

2020-10-01 11:22:45 | 近現代史

嘗て、瀬戸内寂聴は、2015年9月、安保関連法案がアベ自公政権によって強行採決されるときに、「今の状況は、自分の生きてきた昭和十五、六年の状況に非常によく似ている。平穏な日常の裏側には軍靴の音が鳴り響いていた」と云った

時代は遡って、1937年7月日中戦争が勃発した。この時、雑誌文学界7月号では「文学主義と科学主義」のシンポジウムが紙上で開催された。

出席者は、三木清・岡邦夫・谷川徹三・佐藤信衛・大森義太郎・青野季吉・島木健作・小林秀雄と錚々たる知識人たちであった。(丸山真男『日本の思想』)

しかし、世の中では「暴支膺懲国民大会」開催され、街では「千人針」が復活していた。

戦争のためのファシズムは悪魔や死神のように、気が付いたら既に横に来ていた、というのかな。

それとも、隣に住む善良そうな人々や、広告や芸能人スキャンダルでいっぱいのマスコミが運んでくるのか、今のところ分からない。

 

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