キキ便り

アメリカ便り、教員・研究者生活、シンプルライフ、自閉症児子育てなど

ダイバシティについて考える:その2

2008-10-10 08:23:15 | アメリカの大学で教える

オットが管理職についたことで、ずいぶんネットワークが広がり、大学のいろいろな人たちをゲストスピーカーとして呼び、授業にきてもらえることになった。どの国で仕事をしていても、人と人のコネクションは強力な武器である。

今日きていただいたのは、大学のAssociate Vice Presidentという立場の人で、アフリカ系アメリカ人というテーマで自分の体験から話してもらった。

いつも思うのは、出来た人ほど、謙虚で腰が低く、人当たりが柔らかい。この方も最初にEmailを交換させていただいた時から、「声をかけてくれて光栄に思う」「自分で役立つかどうかわからないが」など、メールのところどころに人格がにじみ出てくる素晴らしい人である。

さらに頭が下がったのは、私が授業で使っているテキストをわざわざ読んでくださり、私が教えていることからわき道にそれないように、しっかりと準備をしてくださったこと。見知らぬ人からこのように声をかけられ、ここまで心を尽くしてレクチャーに備えてくださったのは恐縮のいたり。

逆にこういう誠実な人だからこそ、周りからの信望も厚く、出世の上まで上り詰めたのかもしれない。黒人女性でAssociate Vice Presidentというのは、アメリカでも稀であると考える。

人との出会いで教えられることの多い今日この頃。

 

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ダイバーシティについて考える:その1

2008-10-10 07:58:58 | アメリカの大学で教える

ダイバーシティをテーマとした授業をアメリカで教えるようになって2ヶ月目。

最近、Tolerance(寛容)とはどういうことか考える機会を得た。ことの起こりは、娘の宿題を手伝っていた時に、単語ペーパーの語を私が日本語的に発音したことで、娘が腹を立てたことから始まる。

Measureという語のmeとsureがそれぞれ音声的におかしかったらしい。イライラした娘は、「Go back to Japan」(日本に帰れ!)とつい口にしてしまう。それを聞いて、ショックを受けてしまった私だが、よくアメリカ人がメキシコ人や中国人にそういう風に言っているのを思い出してしまう。

移民社会では、言葉や文化の違いから、そのような人種差別的な言葉を口にする人がいる。また仕事を移民に取られてしまうから、税金が移民の生活保護や教育・保険などのために使われてしまうから、など根拠はさまざまである。

しかし、一般的にはアメリカ人は非常に寛容であると考える。英語を母国語としない私の授業を辛抱強く聞いてくれるのは、その一例であるし、私のような人たちが社会でたくさん働いている。日本社会は、日本語を母国語としない人たちを大学の教員(外国語や国際比較などの教員以外で)として雇うだろうか。

ずいぶん昔の日米比較の子育て研究で、アメリカの親がこのような子どもになって欲しいと挙げた上位3つの中に、「寛容さ」が含まれていたことを思い出す。ソトとウチ、という意識のはっきりした日本社会の中では、外の人たちを暖かく受け入れる「寛容さ」を培うのは、非常に難しいことであろう。

「ダイバーシティー」がキーワードとして注目され始めている日本社会の変化に注目したいところ。

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