キャンパスウォッチングをしていると、白人なら白人同士。アジア人ならアジア人同士とかたまりがち。
授業に出席する学生を見ていても、アジア人は結構並んで座っていることが多い。そういえば、私も大学院の時代には、韓国人の留学生と仲良くなりいつも一緒に座っていたことがある。
アメリカ人の学生はフレンドリーだが、やはり留学生を見て意図的に話しかける学生は少ない。私の観察する限り、どちらかというと、留学生からアメリカ人に話しかける場合のことが多く、それでも会話が長くなりたつことは少ない。
いわゆる"confort zone"と呼ばれる、私の勝手な解釈だと、自分のアイデンテティを崩さずにかつ余分なエネルギーを使わずにいれるような心地よい人間関係に浸っていたいと思うのは、人間の本能。無理してまで、留学生に話しかける必要はない、と大抵の学生は考える。
その領域の外に一歩踏み込んで、自分とまったく価値観の違う宗教や文化を体験させるために、ダイバーシティの授業では、学生たちに「多文化イベント参加」という課題を課している。1学期の間に、自分にとっては経験のない宗教の集いに参加したり、ゲイや性差別、人種差別などの集会を経験したり、異文化の伝統行事やお祭りに参加するという課題である。こういう機会を2度経験し、それぞれレポートを書かせるようになっている。
こういう経験を通して、マジョリティ(白人ミドルクラス)である学生たちも、社会弱者の立場になって、互いに尊重しあえるような関わりができることを願っているが、どうなのだろうか。