3月10日 東京大空襲 語られなかった33枚の真実
昨日はTBSで、東京大空襲の時、現場の写真を撮っていた
石川光陽という人の生き様を中心に、フィクションとドラマを取り合わせて
また、空襲を経験した人の話を拾いつつ、アメリカの戦略も交えて
興味深い仕上がりで放送されました。
来週は月曜日と火曜日に日テレで東京大空襲のドラマをやるようですが
見比べてみようかな・・・・と思っています。
さて
東京大空襲があった日が1945年の3月10日であると知ったのは
大分大きくなってからですね。原爆の日や終戦記念日は教えられても
東京大空襲については熱心に教えられてないです。まあ、仙台も同じ
ように大空襲がありましたからどちらかというとそっちの方が・・・
ゆえに未だに両国の慰霊塔の場所すら知らず まさか関東
大震災の慰霊と一緒にされているなんて初耳でした
大空襲経験者の海老名香葉子さんの話などで、相当ひどい被害
が出たという事は何となくわかりましたが・・・ドラマを見て、あの状態では
生き残る方が不思議だったとしか言いようのない現実に愕然としました。
何で空襲警報が鳴らなかったんでしょう・・・・
(ヒロシマの原爆の時もそうだったけど)
アメリカは最初、無差別攻撃はしないと言っていたのに、ルメイ
司令官はB-29で詳細に日本の本土の攻撃を考え、実行
その用意周到さは・・・あの当時の日本人は太刀打ち出来なかった
でしょうね・・・
石川さんが命をかけて撮り続けた空襲の最中や遺体の写真。
どんなに辛かったろうかと思うと涙が出ますが、そのネガをアメリカに
渡さずに持っていたという事に感動しました。
進駐軍に行った時、ケーキを出されて唖然呆然・・・日本では砂糖すら
手に入らず、同僚の刑部さんは「菓子職人が菓子を作れなくなる戦争
ってなんなんでしょうね」と呟いた意味がよくわかり、涙が出ました。
現在、生きて証言してくれる体験者はほとんど、当時子供だった
人達です。自分が疎開先から帰って来たばかりに家族が揃って空襲に
合い、死んでしまった・・・空襲で右腕を失いひっそりと生きるしかなかった
・・・あの言問い橋で生死を分けた瞬間の恐ろしさ
何で63年も経ってから明らかにされるんでしょうか・・・・と思いました。
でもそれと国へ賠償請求を出すというのはちょっと違うんではないかと。
気持ちはわかるけど今更そんな事をしても・・・あの当時は日本中が
同じように空襲を受けていたわけだし。それよりも記録として残す方が
大事では?
今、ガソリンが高く食の安全も脅かされ、環境問題も出てきた日本は
もしかしたら戦前のような暮らしをするしかないんじゃないかと・・・
自給出来るものだけで食事を作ったら石川家で食べていたような
すいとんだけだったり、配給が一日分で「大根とにんじんちょっとと
ほうれん草一束だけ」になっちゃうのかーー妙にリアルに感じました。
両国署の所長さん、空襲が始まった時、消火活動より逃げる事を
命じたなんてすごい人だなあ・・その後、帝銀事件やら下山事件に
関わるなんて・・・かつての日本人はすいごいっ
一方、東京大空襲を指揮したルメイが日本によって勲章を授け
られていたなんてあまりにショックです これが敗戦国の屈辱と
いうものでしょうか?
大空襲の写真を見せた時、アメリカのB-29の搭乗員だった
おじいちゃんは一生懸命「自分は命令に従っただけだ。誇りに思って
いる」と繰り返していましたが 本当にそう思って・・それがアメリカの
正義なのかなーー
薔薇のない花屋
英治の友人、神山は院長の娘の元恋人で雫の実の父親
神山は美桜の父親の手術の成功率は五分五分で、生きる希望
があるかどうか聞く
神山はるりとの別れ話を英治に委任。しかし英治はそれを言う事が
出来なかった
院長が娘を捨てたのは神山であると知る
何だかめちゃくちゃ人間不信な神山先生 育ちゆえ?
直哉の不良っぽさなんてどこかへ消し飛んでしまうくらいのワル
ぶりで 玉山君、素敵
喫茶店のマスターって、元刑事?だから先週、あんなコート着て
いたわけ?これってもしかしてギャグなのか?と思ってしまいました。
ギャグっていうよりこじつけ・・・かもね
今回の英治にはイライラさせられっぱなし
いくら脚本がそうでも、あそこまでだらーーっと演じられたら見ている方は
たまったもんじゃないって
いい加減はっきりしろよっ 何なの?彼女のこと好きだったの?
美桜の事も好きなの?だから薔薇の花束なの?
花屋も再開するの?しないの?はっきりせい