ヒサシにとって娘とは何か。何の意味も持たない存在だった。
ユミコにとって娘達とは何か。男子を産めなかった象徴だった。
ゆえに、そもそも夫婦は子供達に関心が薄かった。
子供達だけではない。彼らの親兄弟に関しても「情」が薄いとよくいわれた。
でもそれは仕方ないと思っている。
ヒサシは外交官で政治的な野心を燃やす事に精一杯だったし、ユミコは歳の近い
3人の娘達の扱いに苦慮していたから。
それぞれが自分の事で精一杯・・・という状況だったのだ。
それでも、ヒサシとしては自分の野心を満足させてくれる子供が必要だった。
欧亜局大洋州課長、そして外務大臣秘書官取り扱い、さらに国際連合政治課長と
着実にステップを踏んではいるが、まだまだ先は長い。長すぎる。
もっと一気に自分の名声を上げる方法はないだろうか。強力な権力を得る方法は
ないだろうか・・・そんな事ばかり考えている彼にとって、長女のマサコは失敗作
そのもの。
何が失敗って、マサコには利発な所が何一つない。
落ち着きがなく、いつも怯えたような顔をして自分を見る。時々媚びるような視線を
送ってくるのも憎らしい。
この子の顔を見るたびになんで男の子じゃなかったんだろうと悲しくなる。
そんな雰囲気を察しているのかマサコは、とりわけ自分に気に入られようとするのだ。
「パパ、私、ロシア語を話せるの」と言いながら片言でしゃべり始める。
それは傍目には可愛いしぐさなんだろうが、ヒサシ的にはどうしてそれくらいの事しか
覚えられないのだろう。もっとネイティブに話せる筈だ・・・と思う。
「努力しないとな。もっと努力だよ」
小さい子相手にそんな事を言っても仕方ないのはわかっているが。
「マサコは少しぼやっとしすぎなんじゃないか」
「そうかしら?そういわれてみればちょっと変わってるわね」
ユミコはのんきな顔をして答えた。
「絵本を読んであげても普通の顔して聞いてるの。面白い?って聞くとうんって
答えるけど本当はどうなんだか。動物が好きみたいだけど可愛がるというより
観察してるだけって感じかしら?やたら清潔でね。砂とかいじると延々と手を洗って
いたりするわね」
「特別に興味があるのは動物?」
「特別に興味があるわけじゃないわよ。あまり何かに執着するって事はないかも。
でも、そうねえ・・・お手伝いが失敗した時はずっとその事を怒ってるって言ってたわ」
なんだ?それは・・・ヒサシにはマサコがかいもく見当のつかない子供に見えた。
そこで、紙とペンをもってこさせて、何か書かせてみようと思った。
マサコは久しぶりに父親がかまってくれている喜びに怯えているような顔だった。
一緒にいて嬉しいのか悲しいのか全然わからない。しかし
「とりあえず数字を書いてごらん」と言った。
マサコは数字を書いてみる。それから足し算や引き算をやらせてみた。
一度やり方を覚えてしまえばそれはなんなくクリアできるようだ。
「お前は勉強に向いているのかもな」
何気なくそう言ったら、マサコはとても嬉しそうに笑った。
「パパ、私がお勉強できたら嬉しい?」
「そりゃあ嬉しいさ。パパは東大を出てる。お前もそれくらいの大学に入れるように
頑張ってくれると嬉しいな」
「東大・・・」
マサコは大きく頷いた。
「パパ、私、勉強する。一生懸命に勉強する」
「ああ・・期待してるよ。オワダ家の人間なら勉強が出来ないとな」
そう・・オワダ家の人間ならまずは学歴がないと・・・・