第二回までご理解いただけましたか?
要するにこの事件は幻のように現れては消えた事件なのです。
無論「ドス子の事件簿」等には「魚拓」と言われるものが取られ、オークションの
画面そのものが今も保存されています。
にも関わらず、宮内庁はおろか警察すら動かない。
その理由は・・・・単純に考えると
「警察が手を出せない程の権力者が関わっている」事件であるという事。
素人でもこれくらいは想像できます。
じゃあ、権力者って誰
皇室の骨董品を沢山持っている人物 → 旧皇族?旧華族?
皇室の歴史的骨董品を自由に持ち出せる人物 → 皇族・宮内庁トップ?
↓
皇室のものを廉価で売り払うメリットは何?
↓
緊急にまとまったお金が必要である
早く売りたい
これしかないですよね。
でも、例えば吹上御所とか東宮御所とか京都御所あたりにしかない
歴代天皇が使用した物・・・(椅子とか軍服とか)を運び出しても
怪しまれない人物というなら限られます。
最大の容疑者は・・・・・
宮内庁トップあるいは宮内庁内に容疑者はいるか
考えられない事もないですが、非常に厳しいです。
ボンボニエールや皇族の写真程度のものなら盗む事も可能かもしれませんが
内親王着用の「御地赤」だの先帝が戦前から使っていた「椅子」などは
きちんと保管されている筈ですし、そんなものを仮に持ち出したらすぐに足がつきます。
皇族方は・・・・
しつこいですがボンボニエールや写真程度のものなら、自邸にあるものを売る事は
可能でしょうが 内廷外皇族が皇居の敷地内で動き回るのは大変かと。
というか、見つかるリスクを犯してまでそんな事をする必要性があるかどうか。
じゃあ「ばれてしまうリスクを背負ってまで、超高級な文化財を盗み出し、
現金に換える必要がある人」は誰?
それは 「小和田恒」氏です。
といっても確実な証拠(SMOKING GUN)があるわけではないのです。
けれど、彼には疑われても仕方ないような背景があるということを覚えておかなくては。
「2ちゃんねる」ではヤフーオークションの事実が発覚してまもなく
「スネーク」と呼ばれる匿名中の匿名の書き込みが相次ぎました。
その内容は
小和田恒氏が投資に失敗した。
小和田恒氏の借金は「将来の天皇の義父&祖父」という肩書の元による信用取引
皇太子夫妻に誕生したのが皇位継承権のない女子であったこと
皇太子妃が適応障害になったこと
この2点が原因で「信用」を失った
「皇太子は渡してはらなないものを小和田に渡した」
近衛家の財宝を皇太子が借りたまま、返さないので両陛下が詫びに出向いた
皇太子は「壺切りの剣」を舅である小和田恒氏に渡した
現金を運ぶ手段は「外交後嚢」ゆえに、オランダ静養は確実に必要な事だった
などなどです。
小和田氏の借金の理由・・・・それは「勲章」を手に入れる為であるとか
ヨーロッパの社交界への足掛かりが欲しいとか、要するに週刊誌に書かれているような
「名誉欲」によるものであるらしいです。
「渡してはならないもの」≒皇室の財産
「外交後嚢」≒ 外交官が出国する時には手荷物はノーチェックなので
何でも持ち出そうと思えば持ち出せる環境
「壺切りの剣」とは皇太子である事の「証」の剣。
これをなくした事を知られたらまずいので、絶対に自らは位を降りないと言われています。
前科がある小和田氏
小和田恒氏といえば「機密費流用事件」の容疑者の一人。
もし、娘が皇室に入らなかったら確実に逮捕されたであろうと言われています。
小和田家は「自腹」を切るのが嫌い
現在、老朽化した小和田邸(コンクリート御殿)には帰宅した形跡がない。
ではどこに?東宮御所ではないか。
出国・帰国の旅券ですら自腹を切る事なく、誰かに払わせている疑惑
小和田優美子氏
彼女は雅子妃結婚当初から頻繁に東宮御所を訪れ、美術品などの品定めを
していたと言われます。
「李下に冠を正さず」
つまり、疑われるような背景があるからこそ、まことしやかに語られるという事も
あるのです。
扇の行方
けれど・・・・本当のところ、ネットでは最初、そんな書き込みを見ても信じる人は
いなかったように思います。
だって、そもそも出品されたものが本物かどうかという事すら庶民には確かめようも
ないのですし。
でも・・・・・扇。
この扇が出品されているのを見て、人々は「まさか・・・・皇太子妃が」と思い始めたのです。
ヤフーオークションに乗る前、皇太子夫妻は不可解な行動をしています。
2008年2月4日。国立博物館で開催中の「宮廷のみやびー近衛家1000年の秘宝」を
極秘に鑑賞します。実は宮内庁の予定には載っていなかったので、完全なる
プライベートな鑑賞。
そして2月14日。再び同じものを今度は「公式」に鑑賞するのです。
そしてこの頃より、皇太子が極秘に単独で京都へ赴くようになります。
通常、皇族が出かける時は手ぶらですが、この時は常にサラリーマンのようなバッグを
持っています。
これが毎年、去年に至るまで続いている。
一応、名目上は「御研究」になっているけれど、皇太子が京都御所で特別な研究テーマ
を持っているなんて聞いた事がないし、論文一つ発表した事のない皇太子が・・・と
疑いが募るばかり。
さらに2008年は、赤坂の東宮御所改築により、東邸に引っ越し。という事は
そのゴタゴタに乗じてこまごまとしたものを持ち出す事は可能だった・・・・・
出品されたものの中には皇太子夫妻の写真。それもサイン入りのものが含まれており
「こんなものを持っているのは身内に近い人ではないか」との疑いが。
さらに昭和帝がお使いの椅子。
そして「そういえばこの扇は高松宮妃から雅子妃に渡されたものではないか」との
強い疑いが生じたのです。
この扇の由来としては
1869年・・・・昭憲皇太后より宮家女王の結婚祝いとして贈られる
有栖川宮実枝子女王と徳川慶久の婚姻により扇は徳川家へ
↓
高松宮妃が結婚の時に贈られる
↓
高松宮妃から雅子妃へ贈られる
持っていますね?確かに雅子妃はこの扇を・・・・・
扇の太さに注目して下さい。