赤坂ACTシアターまで「ダル・レークの恋」を見に行ってきました。
本来なら2007年版瀬奈じゅん主演の作品と比較して語るべきでしょうけど、見てないし、スカステでも録画していないので、心はやっぱり1998年の星組版まで遡ってしまいます。
「ダル・レークの恋」は菊田一夫脚本、春日野八千代主演で1959年に初演されました。星組版のパンフレットを見ると、麻路さきと春日野先生の対談が載っていまして。
この作品には春日野先生が制作陣の一人として参加したり、相手役の方が退団だったりと色々な思い出を語られ、「麻路さきなら大丈夫ですよ」とおっしゃっていました。
元は4時間以上あった超大作を、酒井澄夫が切り取ってきりとって2時間半に縮めて星組で上演しました。
ラッチマン・・・麻路さき
カマラ・・・星奈優里
ペペル・・・稔幸
でした。
この時、追加されたのが「まことの愛」でオープニングに燕尾にマント姿で歌っています。燕尾にマントってありそうでなかなかないというか、これを着こなすのは難しいのだと、今回の舞台を見て感じました。
当時の星組を思い出すと、組子みんなの顔面偏差値が高かったんだなあと思いますし、麻路さきと星奈優里のコンビは白城あやかに次ぐゴールデンコンビだと思った記憶があります。
麻路さきは退団を控えて「男役」を極めたまさに「伝説」と化していた存在ですし、星奈優里は雪組から組替えしてお披露目公演。ラッチマンもさることながら、星奈優里のカマラがなかったらこの作品は完成しなかったと思います。
なぜなら、この「ダル・レークの恋」って至る所「18禁」だらけなんです。
いやーー菊田先生、なんだってこんな作品書いたかな。
いや、きっと春日野先生時代の宝塚では当たり前だったのかも。
なんせ「エルベ」でも「俺にひどいことをされたくてここにきたんだろ?」なんてセリフが飛び出してるくらいだし、しかもホテルで一夜を過ごすというシーンまでありましたよね。
「ダル・レークの恋」は、マハラジャの姫でゴヤール王家の女官長に内定しているカマラ姫が、ヴァイシャ(カースト制度で一番下の身分)の騎兵隊員ラッチマンと恋に落ちます。
しかし、世間体を重んじたカマラの祖母たちは、「この恋を終わらせなさい」と迫り、カマラはその通りにしてしまうのです。
しかも、そこに前科12犯のラジエンドラがラッチマンではないかという疑いが浮上し、哀れ彼女に振られ、しかも無実の罪まで負わされたラッチマンは「自分はラジエンドラだ」と告白。
王族スキャンダルを一生黙っていて、しかももう二度とカマラと会わないと誓う代わりに、「カマラの命を頂戴したい」というわけです。
なんてことない。
「お姫さまの処女を頂きたい」と言ったわけですね。
ここで、カマラに処女性がないと、「はあ?今更?」って観客は思います。
しかし、星奈優里のカマラはお子ちゃまでしかも儚くて、ラッチマンに触れられるたびにびくびくして。
「つらそうですね」はいっ!でも平気っ! からのーーあごくい、腕くいっ「暴力もまた楽しいものだと教えて差し上げましょう」はいっ!妄想が~~~
ということで、かの有名なベッドシーンに至るのでした。
あの「お代官様」シーンで星奈優里が転んだときの、麻路さきの片腕でぐいっと彼女を引き揚げて立たせた腕力もすごかったけど、なんだかんだ言って二人とも愛し合ってるんじゃん。というのが見てとれて。
翌朝、ボートハウスから出て来たラッチマンが襟もとを直す仕草が、ドツボにはまって「きゃーー」状態になってしまいました。
で、今回の月組は新曲も入り、ダンスの振付も変わり、スピード感が増した感じがします。
また、元のセリフに色々付け加えて、なるべくわかりやすいようにしましたーという印象です。でも照明とか、あちこちに谷貴矢のサイケな雰囲気が混じっているような気もしましたね。
がっかりしたのは、カマラがラッチマンに別れを告げるシーン。
ここは湖の前という設定なのか、後ろが大変綺麗な湖の映像なんですね。
だから、昔あった長椅子がない。
長椅子がないと、ラッチマンが振られて傷ついてがっくりきて・・という感情が大にくかったのかなと。
それと1幕最後、ピストルズドーンで本来は客席降りして去っていく・・・で終わるところを、ペペルを見送った挙句、カマラとラッチマンが二人きりで立ち尽くすシーンで幕。
これは一体なんだろう?と。
コロナ禍であること、映像が美しくなって大道具の役割が消え始めている昨今、役者が棒立ちでセリフを言うだけのシーンが多くなりました。
「男役」「娘役」の型を披露する場面が消えてしまったら見せ場がないではありませんか?
何でもいいから、ここは小道具を使う成りなんなりして動きを付けて欲しかったですね。
2幕目はラッチマンの無頼漢時代から始まるのですが、ここで結構余計なセリフがくっついているなと思いました。
ラッチマンは二度ほど「思う所があり」と言いますが、この「思うところ」って一体なんでしょうか?
身分制に拘らず自分らしく自由に生きること?
パリの無頼漢が父の説得で、無頼漢をやめる・・・そして「思うところあって」騎兵隊に入る。
だけどマハラジャの息子として入るのではなく百姓の子として入る。
自分が求める愛は身分や財産など表面的なものではなく、「それでもあなたが好き」と言ってくれる人を選ぶ。
そこまで「実家」を嫌うラッチマンの過去に何があったのかなと思いました。
そしていよいよラッチマンが名家の息子であることがわかって、カマラ達は今度は手のひらを返したように応援し始めるのですが、ラッチマンは去っていきます。
この強情さがラッチマンなんですけど・・・ね。
フィナーレはとても華やかでしたし、下級生の子達だけのダンスもあって素晴らしかったですね。
ただ月組に「ダル・レークの恋」は似合いません。
この作品は「男役」「娘役」の古き良き型をきっちり修めていないと出来ない役です。歩き方、客席から見える横顔、座った時のポーズ・・それは単に踊りが上手いとかいうレベルじゃないです。完璧な「型」です。
現代的なものが多い月組にとって、この作品は荷が重かったなと。
出演者について
月城かなと・・・申し訳ないけど、ラッチマンじゃなかったです。
「ピガール狂騒曲」のような動きがあって感情がわかりやすい役なら出来るけど、今回はセリフの意味がわかっていたかどうか。
一番許せなかったのは「自分なりのラッチマン」を演じようという工夫がみられなかったことです。
「まことの愛」を歌い終わった時の表情、プロローグでのカマラとのダンス。
パーティでの登場の仕方、そしてカマラに振られた時のショックの度合い。せっかく音楽で盛り上げてくれているのに全然顔に出てこないのです。
さらに、ラジエンドラの疑いをかけられた時に、笑うでもなく苦しむでもなく、間もなく「私がラジエンドラです」と言ってしまった時、ああーーもうダメと思ってしまいました。
こういう「間」のとり方は古い作品ほど出てくるもので、演出家もきっちりと指導すべきでした。
全てにおいて「間合い」がないのです。
また、インディラおばあ様と対峙して「私は金はいらない」と言ったあと、「私はお姫様を愛しています・・と申せば」のシーン。
これまた、間がない。ちらっとでもいいからカマラを見なさいよと。「カマラ、あなたまで」という失望も絶望も感じられない。
ゆえに。バルコニーのシーンはただの恨み節ですよね。
カマラを愛していたからではなく「仕返し」をしたように見えるんです。
祭に参加するのも報酬・・・のシーンもやっぱり無理やり感があるというか、たった一つの仕草でいいからもう少しカマラに優しく出来ないか?と思ってしまって。
1幕最後のシーンは、余韻も何もないって感じです。これは月城さんの責任ではないとは思う。演出家のせいだと思う。けどやっぱり、そうはいってられない。
2幕目の無頼漢は、座っていればカッコいい。
けれど、サイコロ勝負とか、ペペルにすごむところは迫力が今一つ。
全体的に「昭和の宝塚の名作」の振りや間のとり方や、心境というものが理解出来ていなかったのかなと。
令和の時代、体面や名節に拘る人なんていないと思うけど、あの時代は何より「世間からどう見られるか」が大事。そんな上流階級の出身なのに馴染めなくてはみ出して真実の愛を求める男ってのが、つくづく古いし、意味不明な部分はあるでしょう。頑なな程自分の意志を貫くというか、信念を貫く為には彼女も捨てるみたいなね。
月城かなとの課題は、1にも2にも「表情」です。
セリフの気持ちをちゃんと表情に出してくれないと観客はわかりません。
シャイな性格とは聞いていますが、舞台に立つ以上は大げさでも仕草や表情が大事ですよ。
海乃美月・・・カマラ。本当に美しいカマラでした。衣装も似合っていましたし、演技もダンスも上々。だけど、カマラをやるには数年遅かったかも。星奈優里のカマラと比べると、とても元気で意志が強い。「恋する女」より「王家の姫」の立場が勝っていたような気がします。
それはラッチマンに別れを告げたあと、何度も「去りなさい」というセリフがあるのですが、そこに未練や愛情があまり感じられなかったからです。「未練」を正反対のセリフで表現するのは難しいかもしれませんけど、最初から「女官長になるカマラ」が確立してて、幼さや未熟さがあまりないのです。
だから2幕目になっても「成長」がなかった・・・
それにしても彼女は美しい。月城かなとの相手役は彼女しかいないと思う程です。
暁千星・・・ペペル。最初「ペペル?ノルさんの明るさが出るのか?」と心配しましたけど、いやはや、本当に成長したというかご立派になったというか、心から「男役」になりました。
暁千星のダンスは他の人から浮き上がる程個性的でかっこいい。
そこに歌唱力が加わって、シバ神のダンスもペペルのテーマもぴったり。
街角で女達に「愛してるよ」って囁くシーンも色気があるし、リタを騙すところも、愛嬌があって許せてしまう。表情が豊かで、ラッチマンにラジエンドラと見破られた時のがらっと変わるあたりはまさしく役者だなあと。
私がリタだったら騙されてもいいかなと思う。
だけど、ペペルのいい所は、どこかのKKみたいに嘘がばれてもスルーせず、気持ちいい程正直に自分をさらけ出すところですね。
2幕目のパリ。階段を下りてくるところからすでに悪人というかギャング。
明るいけど目つきは怖い。この勝負、本当はペペルの価値じゃないの?って思う程にすごかった。星組では稔幸がこのシーンを酷評されていましたけどね。
暁のペペルは詐欺師だけど呑気で気楽で、強気なんです。
ラスト「あばよ」だったっけ?このセリフの間がよかったねえ。
「ダル・レークの恋」は暁千星がいなかったら本当につまらない作品になったと思います。(あ、無論梅田では風間柚乃がそれ以上の演技力をみせてくれるでしょうけど)
風間柚乃・・・クリスナ。完璧なクリスナでした。でも私は絵麻緒ゆうの方が好きですけど。風間柚乃のクリスナは領主さま。政治家ですね。元々クリスナってそんなに重要な役ではないです。そこにいるだけで華をみせればいいという役どころなんです。この「華」がない変わり、演技力でカバー。北翔海莉っぽいなと。
多分、ペペルになっても完璧でしょう。
夏月都・・・アルマ。星組の朋舞花のアルマは上流の奥様で、腹に一物あるようなアルマですが、こちらは非常に正直。だからアルマ・クリスナ・インディラのシーンは中国王宮ドラマのようでした。
千海華蘭・・・シャンドラ・クマール。
蓮つかさ・・・ハリラム・カプール。
この二人は共にコメディ部分を引き受けているのですが、千海が非常に面白いマハラジャな感じに対し、蓮つかさは生真面目に役を作ったという感じ。でも蓮は父親役はまだ早いなと思います。
きよら羽龍・・・リタ。明るくておきゃんで強引な感じがとても可愛らしかったです。暁千星との背丈バランスがとてもよかった。カップル役で色々やってくれたらいいなと思います。
他には「水の精」の彩音星凪と菜々野ありはダンスがとっても上手で、もっと見たいなと思いました。リフトが綺麗でねえ。
インディラの梨花ますみはさすが専科で、非常に立派なおばあ様でした。
最後に・・・谷貴矢。完璧に「ガワ」コピーになっちゃいましたね。
かといって、あなたのオリジナル性が出ると作品がワケワカメでめちゃくちゃになるし。あそこらへんで抑えてくれてよかったです。
谷貴矢ワールドを理解する人も多いのでしょうが、やっぱり宝塚的とは思えないのです。地球ゴージャスか劇団新感線あたりでやればいいんじゃないかと。
そうでないなら2・5次元で。
宝塚でやるならわかりやすい脚本じゃないと、全然生徒の為になってません。
生徒ありきの作品を作ってくれないと宝塚の座付き作家としての意義がないのです。