ご日程
両陛下
2月12日・・・天皇陛下 → 通常業務
両陛下 → 国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)満了5周年記念オンライン会合出席
2月16日・・・天皇陛下 → 通常業務
2月17日・・・天皇陛下 → 祈年祭
2月18日・・・天皇陛下 → 通常業務
認証官任命式
皇嗣家
2月16日・・・妃殿下 → 結核予防会理事長、同代表理事他から報告を受ける(オンライン)
2月17日・・・殿下 → 祈年祭
2月18日・・・妃殿下 → 母子手帳国際ウェビナー 第1回聴講(オンライン)
先日の宮城・福島を襲った震度6強の地震の日、それは赤坂御所から皇居へ引っ越しを開始した日だったそうで。
週刊誌のその後の記事は読んでません。恐ろしく「皇后さま上げ」記事だったので。
皇后一人で大地震から「国民を守る」とかありえないから====
8億円新居って・・・皇居のことですよね。耐震もばっちりだそうでよかったね。
ネットでは、美智子皇后がいかに皇室を破壊していったかという事について、熱く語られるようになりました。同じような事が今までにも何度も語られてきたのですが、繰り返されるということは疑問符が多いという事ですね。
昭和天皇時代
吹上御所・・・1358平方メートル
昭和天皇は昭和40年に入るまで「御文庫」と呼ばれる防空壕に住み続けています。
でも皇太子の為には新しい東宮御所を建て、ご自分の吹上御所は後回しにされました。
本来、昭和天皇が崩御すると、香淳皇后はこの吹上御所を出て新たに「大宮御所」に引っ越さなくてはなりませんでした。
しかし、上皇夫妻は「思い出のある吹上御所に住まわせてあげたい」との思いから、そのまま香淳皇后を住まわせ、自分達の為に新御所を建設しました。
平成の新吹上御所・・・4940平方メートル(17LDK)
私はその時、「あれ?」と思ったんです。
大宮さまと呼ばれる皇太后がそのまま御所に住み続けるなんておかしくない?って。
そしたら、新吹上御所を建設する為に、昭和天皇が愛した森を伐採してなくしてしまったことが発覚。この時から「美智子さまバッシング」が始まります。
要は「思いやりのように見えて、実は香淳皇后が長く住んでいた御所なんか嫌だって話でしょ」ということです。
そこを8億円かけて改修し、今上一家が引っ越していきます。
上皇夫妻仙洞御所・・・5460平方メートル(22LDK)
これはいわゆる赤坂御所であり、東宮御所であった場所です。
しかも上皇夫妻は他にも高輪仙洞御所にも多額のお金をつぎ込んでいます。
2017年1月26日付けの毎日新聞では
宮内庁は代替わりに伴う新築工事は行わない予定
皇太子夫妻は皇居に移動
仙洞御所は秋篠宮邸などがある赤坂御用地のどれかにする
秋篠宮家は東宮御所に移動
これで建設費用を抑えることが出来る
と発表。
しかし、3月28日、突如「両陛下退位後は赤坂東宮御所に住む」事がNHKにリークされ、そのまま発表されてしまいました。
産経新聞3月28日
「皇太子さまと住まい入れ替え」官邸、寝耳に水 宮内庁と溝」
25日午後7時。
安倍晋三首相は東京都渋谷区富ケ谷の私邸で、NHKが「天皇陛下は退位後に皇太子さまと住まい入れ替え」などを報じたのを知り驚愕した。
譲位に関する有識者会議でも俎上に載せておらず、まさに寝耳に水。
首相はすぐに関係者に問い合わせたが、官邸内で検討した形跡はなかった。
官邸筋は「宮内庁が既成事実化を図り、NHKにリークしたのだろう」と打ち明けた。
菅義偉官房長官も27日の記者会見で不快感を隠さなかった。
「全く承知していない。どういう根拠で報道されているのか全く分からない。 そうした報道が出ること自体おかしい。報道されたことは全くあり得ない」
記者「譲位後のお住まいは東宮御所?」
菅官房長官「全く承知してません、それだけです」
記者「東宮御所にお住まいは選択肢の一つ?」
菅官房長官「全く承知してません(略)政府としては全く関与していない」
記者「公的活動から退く?」
菅官房長官「どういう根拠にそういう報道されてるか分からない いずれにしても報道おかしい。まだ政府としてどうするか決定していない 検討中なのにこんな報道はあってはならない」
宮内庁がリークした・・・というより、これは完璧に美智子皇后が示唆しただろうというのは予想がつくこと。
なにせその時、天皇はすでに認知症で「ここに住みたい」なんて希望が言える筈ないのですから。認知症気味になってますます皇后に頼り切りになってましたよね。
でも、とにかく「思い出の多い東宮御所に住みたい」という強い意志はそのまま通ってしまい、秋篠宮一家はそのまま宮邸に住み、公務の時は赤坂東邸を使うことに決定。
それでも「実質的な東宮御所になる」わけですから、そのままというわけにもいかず、新たに33億円の予算を投じざるを得なくなった。
そこから「秋篠宮家バッシング」が加速。
しょうがないから、譲位した上皇夫妻は一旦高輪仙洞御所に移る。
そこの改修費も多額のお金が使われ、でもコロナでなかなか進まないことに業を煮やした上皇后は週刊誌で「コロナ認知症の上皇陛下の為にも懐かしい東宮御所に帰りたい」と切望。
そこから急ピッチに工事が進んでいるという事なのです。
中国の古装束劇を見ると、皇帝より偉いのは皇太后、つまり「母」になります。
とはいっても、その母がどんな住居に住むかは皇帝の心次第になるわけですが。
一方「禅譲」した元皇帝は皇帝より立場は下になるので、滅多に顔を合わせなくなります。
常に世界の中心にあるのは「皇帝」であり、父や母はわき役なのです。
日本の宮廷においては院政の時代もあり、必ずしも「天皇」がもっとも格上となるかはわかりません。
まして后になると、明治に近づけば近づくほど称号なんてどうでもよくなるし。
でも令和の時代。
今上が最も格上とは言いながら、上皇夫妻の意志の方が尊重されている事は事実です。
現皇后は住むところや衣装や調度品にはあまり興味がないし、むしろ「外出して食べる」事や「静養」に情熱を傾ける気質です。
しかし、上皇后はステイタスに拘る人。
多分、上皇の退位を決めた時点でもっとも大事な「自分の立場を格下げさせない」方法を考え付いたのでしょう。
昭和34年から常に皇室の「主役」を演じて来た女性の執念深さを感じます。
今の上皇后には慈愛も感じないし、老人の柔和さや優しさも感じません。
そもそも、この方、本当に家族を愛していたんだろうか?とすら思ってしまいます。
毎日大鏡に自分を映して「もっとも綺麗な自分」に酔っていたんだろうかと。