2007年3月16日 奥志賀へスキー旅行
2007年3月20日 帰京
2007年4月7日 都バス六本木ヒルズから「ちいぱす」体験
2007年4月15日 オール学習院
2007年5月3日 御料牧場
2007年5月15日 新宿御苑に遠足
2007年5月21日 両陛下東欧旅行見送り
認知・・というのは「起きた出来事への感情」です。
例えば、雅子様の場合、最初の挫折はお妃教育での「神道」についてでしょう。
何を書いてあるのかさっぱりわけがわからない。
何の意味があるのかわからない。けれど目の前の講師は大真面目で話してくる。
普通の「認知」では「理解出来ない→自分は馬鹿かもしれない」と思ってなやみます。
しかし、「認知」が歪むと「これは日本語で書いてあるからいけないのだ」と考えます。
つまりご自分には一切責任がないので、成長もないのです。
これでは、日々何を失敗しても落ち込むより先に「こうなったのは〇〇が悪いせいだ」と考えるので、それを矯正するのは大変な事です。
愛子様が生まれた時、「女の子が生まれたのは堤医師のせい」で、その子が発達障害だったのも堤医師のせい、もしくは天皇家の血筋のせい。
そう考えるととても楽ですし、責められる事もないように思えました。
愛子様を育てる中で、雅子様はどんどん「お子様」に退化していきました。
皇太子様を盾に愛子様が遊ぶ名目で、実際のところ、ご自分がお楽しみになっていたのですから。それは叶えられなかった小さい頃の体験を追体験したいという願望がそうさせたのかもしれません。
雅子様の心に湧き上がるのは「〇〇をしたい」「反対された→パニック→自分は否定されている→悔しい→しかえしをしたい」という恐ろしく歪んだ感情なので、こればかりは大野先生の手にも負えませんでした。
電気治療を施したとしても、認知のゆがみをとる薬はありませんし、ご自分から自覚して変わっていくしかないのです。
けれど、雅子様の心は決して変わりませんでした。
次第に、犯罪者の認知に近づいていっている事にも、ご本人は気づかずただただ、日々遊んで嫌いな事はしないと言う生活を送っていたのです。
公務をすれば、手順が覚えられないから注意される→不愉快になる→同じ失敗はしたくない→公務に出なければいいのだ。
カウンセリングでその認知のゆがみに気づかれればよかったけれど、雅子様は真夜中でも大野先生と話し込む五程に心許してはいましたが、それでも頑として自分の気持ちの方が正しいと言い張っていました。