ふぶきの部屋

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祝!ご成婚30周年 雅子様語録51

2023-09-07 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2007年7月17日 モンゴルから帰国の皇太子を迎える

雅子様における「内親王をだしにして、ご自分が経験したいことをする」という傾向は非常に強くなっていきました。

まるでおいしい果物の味をしったありのように、そこに向かって一直線にならずにはいられなくなったのです。

7月16日は新潟で新潟中越地震が起きたのですが、東宮一家は一切それを気にする事はありませんでした。無論、被災地にも行きません。

大事なのは、夏休みになってからの「愛子様の為のお楽しみ会」を何度も開く事です。

取り巻きの子供と親を集めて、東宮御所でごちそうを出したり、ミニ屋台を出したり、スイカ割をしたり。

一般庶民が都内では経験できないだろう事を見せつける事によって、みなが雅子様にくっついてくるようになったのです。

そりゃそうです。東宮御所に招かれると、おしゃれなんかせず、平服で行けて、ごちそうが並ぶテーブルで好きな時間だけ飲み食いする。

子供達は愛子様の相手をさせておく。なんて手軽で贅沢なのでしょう。

雅子様は、ご両親がそうしてくれたように「財力」を見せつける事で、自分や内親王に「お友達」を作りたかったのです。

本当の「友情」など、雅子様は信じた事はありません。

みな、どこかで悪口を言っているに違いないと思っていました。

あの子はチッソの会長の孫だってさ」と。

妹達は、それなりに表面的でもお友だちがいたし、互いが友達のようですが、雅子様はいつも孤独を抱えていました。

話すのが苦手、相手の言ってる事がわからない。空気を読めないからです。

母君はそんな雅子様の為に、パーティを開いて子供達を集めたり、トラブルが起きた時もお金を使って処理してくれたりしました。

だから、雅子様は、東宮御所に人を沢山招く事は罪ではないし、ごちそうを食べさせて、自分達の立場の優位性を見せればなびいて来ると思っていました。

「久しぶりに電車に乗りたい」と思えば、近い距離なのにわざわざSUICAを買って、内親王を連れて山手線に乗る。

こんな事を気まぐれにされたら警護の人間は困ります。

でも困る顔も、また雅子様にとってかけがえのない「娯楽」なのでした。

 2007年7月19日 山手線に乗る

 2007年8月10日 御所で食事会

8月11日には、御所で食事会がありましたが、翌日には東京湾花火大会を特等席で楽しみ、さらにメキシコ料理店で元外務省の同僚と食事をする。

「食べるか」「遊ぶか」の楽しい夏なのでした。

 2007年8月17日 那須静養

実はこの静養にはご自分達だけでなく、おとり巻の家族も何家族か混じっていました。

彼らとは待ち合わせして、りんどう湖やとうぶつ王国を回ります。

食事代などは全部東宮持ちで、彼らは雅子様達とおなじようなVIP待遇と警護を受けながら回ったのです。

8月23日 どうぶつ王国

8月24日 りんどう湖ファミリー牧場

 2007年8月26日 帰京

 

お楽しみはこれだけでは終わる予定ではありませんでした。

実は8月30日から9月4日まで奥志賀の中華系ホテルで静養をする予定だったのです。

奥志賀のホテルは民間施設で、最上階を全て貸切ります。

また、おとり巻お宿泊も持ってあげるという大盤振る舞いの予定でした。

しかし、那須の静養から帰ってすぐ愛子内親王は「静養疲れ」の為、熱を出してしまったのです。

熱さえ下がれば短くても奥志賀へ行きたいと雅子様は思っていましたが、そういうわけにもいかず、全ての予定がキャンセルされました。

もうっ!何でこんな時に熱を出すわけ?」と雅子様は怒りましたが、元々からだが丈夫ではない愛子様にとって那須での連日のお出かけは相当な負担だったのでしょう。

奥志賀のホテルは大損害を被りました。

最上階スイート全部貸し切り及び下の階には取り巻きの部屋、さらに警備用の部屋と、ほぼホテルを丸ごと貸切ったようなものなのに、突如としてキャンセルになってしまったのです。

しかし、皇室相手にキャンセル料を取るわけにはいかず、結果的には泣き寝入りでした。

そんな相手の迷惑など、まるっきり気にしないのが東宮家のスタイルになってしまいました。

 

コメント (2)
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