「狭き門を突破して、合格発表で抱き合って、泣いて、夢を描いて大きな舞台踏んで、こんな結果になるなんて誰が思いましたかね」
「綺麗な舞台を作ってた役者さんがね、こんな形で…責任取らなあかんと思います」
「宝塚のファンだから」
「このまま時間たっても、みんな忘れても私は忘れませんよ」
「全部吐き出さなあかん。根底からやり直していただかないと」
「歴史、伝統、一回バーンと壊さなあかん」
「感情が出てしまって申し訳ないですが、間違ったことはいうてないつもり」
何でも彼女は鳳蘭がトップだった頃(40年前?)楽屋に入って、男性スタッフが「男、上がります!」と楽屋の外から声が聞こえ、「異常やった」と言ってます。
楽屋は女性しかいないし、プールで使うタオルみたいなのを巻いて、スリッパ履いて、化粧前で全身におしろいはたいている人達の中に男性が入るってのは、ダメでしょうとは思うんですけど。
私が彼女の何が間違っているかと思うと
人が「死を選ぶ」背景には、何年、何十年もの積み重なった「自己否定」「絶望感」があり、パワハラやいじめのみが原因ではない → 亡くなった子の背景を知らずに劇団を批判するのは間違っているのではないか。
歴史や伝統は一朝一夕に壊してよいものではない。改善はあっても壊すものではない。
という事です。
「私は忘れませんよ」というその一言で傷ついて誰かが死んだら、上沼さんは責任とれるんですか?
芸能界のご意見番だから大御所だか知らないけど、今まで何人の芸能人を虐めて来たんだ?あなたは・・・もし、それが原因で死んだら責任とれるのか?って事です。
「自死」というのは、たとえどんな理由があっても行ってはいけない事です。
ましてや自分の仕事を途中で放り出して死んだ挙句に、職場に責任を転嫁するというのは最もいけない。
いつから日本は「自殺」→「原因は向こうだ」→「責任とれ」が許される社会になったのだろうと。
これでは「自殺」が最大の仕返しと取られても仕方ないし、そのようなやり方がよいとは思わない。
これが許されるなら「いのちの電話」もいらないし、自殺予防のNPO団体も無意味になりますよね。
先日、自殺防止のゲートキーパー研修を受けて来ました。
死を決意した人というのは、必ず兆候があるそうで、急に明るくなったり優しくなったり、いつもとはちょっと違う動きをするそうです。
でも、例えそれに気づいた人がいて「どうしたの?」と聞いても、恐らく答えない。
絶望というのは言葉を失わせてしまう程のもので、回りを一切受け付けなくなるのです。
なぜならその「原因」となるものは、1年や2年で積み上がるものではなく、その人の成育歴や感情の在り方など、生まれた時からの積み重ね、考え続けた結果が「絶望」になるので、例えば同期が、先輩が、後輩が、職場だけの関係では、その人の心の中までは入り込めないんですね。
コロナがなければ、上級生と下級生が休日に旅行に行ったり、飲みに行ったりしてウサ晴らしも出来たかもしれないけど、そういうものが一切禁止になってしまって、常に「孤独」と戦わないといけない。
そうなってくると、積み重なった「悩みの根本」は大きく育ってしまって、打ち壊せないものにまでなっていると思います。
自殺に向かう人は、特急列車に乗ってしまった人のように、もう前しか見なくなっていて、そうそう止められるものではないんですね。
でも、自分の中で「死」への警笛に気づいた僅かの人が、救いを求めてみる、誰かに話して見る・・・という自ら行動を起こした時にのみ、助けられるというわけですよ。
だから、亡くなった子に対して、やれ職場が、上級生が、上司がと言い募っても、それが本当ではないと思います。
母親がLINEで色々愚痴られて、「そうか。悪いのは宝塚なんだ」と思って、それで楽になれるならいいけど、そうはならないでしょう?
ましてや、亡くなった本当の理由というのは本人にしかわからないのですから。
私も彼女が入団する前の事から色々考えてみました。
なるほど、かなり自己否定する日々だったろうなと思います。
しかも、進んでも退いてもどっちにしても「否定」しか残らなかったんだと思います。
詳しくは書きませんが。
で、上沼氏の「綺麗な舞台を作ってた役者さんがね、こんな形で…責任とらな」云々は、正直何様のつもりだと言いたい。
宝塚の厳しい競争率を勝ち抜く為、バレエをやっても声楽やっても演技力つけても、常に競争社会です。体型の維持、メイクの上手下手、いつも誰かと比べられるのが芸の世界ですよ。
そこで。死ぬ気で努力して殻を破る人もいれば、挫折して他の道を選ぶ人もいる。
宝塚で過ごした経験を元に新事業を立ち上げる人、学校に入る人、結婚する人。
いずれ去らなければならない劇団であるからこそ、そこで必死に得るものは得たい。自分の為に。と思うのが自然ではないですか。
そういう人だけが宝塚の狭き門をくぐったと思っていたけど、そうではなかった。
っていうだけの話です。
マスコミによる、これ以上のバッシングは自殺者を減らすどころか、むしろ仕返しの為の死を選ぶ事を称賛しかねない、危険な行為です。
ゆえに、上沼さん、あなたは間違っていると思います。
ご自分はどんだけOGや現役に知り合いがいて、宝塚を知った気になっているのかもしれないけど、それはただの驕りです。
芸能界の荒波を越えて来た人だからこそ「死んだらあかん」と言うべきだったのでは?
それをマスコミにおもねるような態度、それが私は許せないのです。
女性週刊誌には、今度は「いじめの首謀者・真風涼帆」が出るらしいですが、正直、そんな事知ってたよ・・・としか言いようがないんです。
真風時代に退団者が多かったのは事実
舞台にまとまりがなくなった事は事実
こういうムードを変える事が出来なかったのは、確かに歌劇団の宙組プロデューサーの責任かと思います。
本当にトップ時代が長すぎて、私もブログでいい加減にしろと書いた事も何度もありますよね。
マンネリが過ぎるとか、手抜きするなとか。
虐められた~~とかいうけど、正直、真風があれこれ言うとしたら、自分に最も近い人達ですよね。相手役とか2番手とか。決して新人公演の長に文句は言わないと思うんです。
っていうか、そんなに顔と名前、覚えられないから。
だけど、雑誌がここで個人名を出す事には反対です。
そうやって、真実は知らないのに、誰かを悪者に仕立て上げて潰してどうするの?
どんなに酷いトップでも、外の世界に行けばそういう人は自然に淘汰されます。
(誰とは言わないけど)
なのに、わざわざ名前を出してバッシングするって・・・どこから情報を得ているのか?
こういうのを「歴史・伝統、一回バーンと壊さなあかん」という事なんですかね。
宝塚110年の歴史の中で培ってきたのは
男役、娘役の美学
究極の美
です。それだけは絶対に守らないといけません。
前回も書きましたが、今後の劇団としてのやるべきことは
組長を通して、期ごとに相談事を月1程度にまとめて劇団側に提出させ、カウンセリングや休演が必要な人はそうさせる。
音楽学校では社会的常識を教える。人の悪口を言わせない
上級生向けに「上手な下級生の指導の仕方」の研修を行わせること
矛盾のない出世(コネとかお金じゃなく)
無理強いをしない
この無理強いというのは、今回よく出て来た「アクセサリーの自作」のような、自主的な努力を強制しないということ。
強制しなくても、自分が前に出たいと思えばやるし、やりたくないと思えばやらない。
今回、宙組の問題に一番責任があったとすれば、それはプロデューサーと、事を中途半端に残して退団した寿つかさ組長だと思います。
新型コロナの流行で「舞台に立つ事は当たり前ではない」と誰もが感じた筈なのに。
舞台に立って演じる事が「ありがたい」と思った筈なのに。こういう形で中断し、バッシングされ、見に行く観客まで悪口を言われるのは心から嫌です。
最近、突如雪組の「Music Revolution」の千秋楽が見たくなって、DVDを引っ張り出したのですが、千秋楽、凪七瑠海が望海風斗に抱き着いたり、退団する子が舞台の中央にひっぱり出されてきたり。そういうシーンを見るだけで泣いてしまいました。
こういう温かいシーンを見る事が出来るのが宝塚なんだと私は思います。