結局こうなってしまいました。
芹香斗亜のお披露目公演がなくなったと言う事です。
遺族に配慮してなのか?
「出たくありません」とかいう馬鹿者がいるとか?
セキュリティの面もあると思います。
大劇場の方がロッカーが使えなくなったり、トイレもダメだったり、開演が遅れたり。
劇場の前でいわゆる、「テロ」が起こる事を危惧しているのではないかと。
それ程、ヒステリックな状況だと言う事です。
「死んだ人に謝れ」派というのは。
時が戻って、「パガド」の初日になって、誰かが有愛きいに声をかけて病院へ連れて行くなり、ずっと一緒に過ごしてくれたらこんな事は避けられたか?
いや、無理だったと思います。
先日も書きましたが「死」に向かい始めると特急列車に乗ったようなもので、途中下車が出来なくなるんです。
「助けて上げられなかった」と同期なり、下級生なり、上級生が罪悪感にかられるというのはよいと思う。
けれど「お前のせいだ」と遺族や第三者が責めるのは違う。
何があっても「死」を選んではいけない理由ってわかる?
神田沙也加を見てごらんなさい。
彼女の死後、神田正輝はみるみるうちにやせ細って、松田聖子は仕事が出来なくなった。
愛娘を自死で亡くすというのは、病気で亡くすより辛いし悲しいし、残った人を最大の不幸にする。
私だって未だに「アナと雪の女王」は見れない。歌も聞けない。大ヒットした映画が日本人の心に残したものは「思い出すと辛くなる」声だったんです。
それは本当に罪深い行いです。
神田沙也加の両親だって、きっと元彼かなんかを責めたかったかもしれないし、元夫だって「お前のせいだ」と責めたかったかもしれないけど。
それでも「死」を受け入れて前に歩かないといけない。
全ての人が。
有愛きいの死を思うばかりに、誰かを傷つけたりまたも誰かを死においやったり、未来を閉ざす権利は遺族にもマスコミにもないです。
誰が情報を垂れ流して週刊誌にリークしているのかわかりませんが、そういう行為が、あの東京の狭い劇場を危険にさらしていると言う事を考えて欲しい。
結局、そこにあるのは「死へのいたみ」ではなく、私利私欲のみだから。
ゲートキーパーの研修を受けた時、思いのほか年長者の方が、「死にたくなる気持ち」というのが現実としてわからない人が多かったと思います。
「わからないよね。死にたいって言われた時、なんて答えるかなんて」とあっけらかんと言われたりして。
普通の人は、人の心の裏側をいつも推し量っているわけではない。
社会経験が多い人であってもです。
ましてや、蝶よ花よと育てられ、自己研鑽にのみ集中して来た若い乙女たちに何が言えただろう、何が出来ただろうと思うと。
誰も何も出来なかったと思います。
それがわかっているから歌劇団は生徒を守ろうとしているんですよ。
形だけの謝罪、納得してないけど謝罪を求めるのは違うでしょう。
私達、いつになったらこのトンネルから抜け出る事が出来るんだろうと。
かなり落ち込んでいます。
マスコミの酷い記事の数々のせいで、こっちが鬱になってしまう。