美智子妃ファッション
時期詳細不明
とにかく着物がお好きというのはわかりました。それも非常に高級なものばかり。これを断捨離されたらたまらないなあ。
普通は娘や嫁や孫に受け継ぐ筈なんですけどね。箪笥のこやしになっているのでしょうか?
この帽子の被り方は若い頃の定番。顔がよく見えるようにと、わざと深くかぶらないんですよね。コサージュやブローチを高い位置に着けるのもこだわり。
手の形も・・・
プリンセスっぽさを重視していたころ。
普段着もおしゃれ。
少女フレンド創刊号 1963年1月1日号
「ナルちゃんと美智子さまのおうち見学」
1962年12月23日 皇太子の誕生日用の写真
1963年1月1日
思えば美智子皇后の「孫が可愛い」破顔一笑はないんですよね。
このころに戻りたいと思うほどです。皇室への敬愛や尊崇の気持ちはこのころは本当に強かった。今はスカスカです。
「開かれた皇室」という言葉が昭和時代はよく使われました。今に比べたら本当に開かれていると思います。いろんな場所の写真が次々と。そしてオメデタイ系の記事が多くて、読んでいても楽しかった。まさに上つ方々の憧れのお暮らしでした。でもそれはくっきりと「上」という意識であり、そこに下から何としても加わろうなんて考えた庶民は、当時は一人もいなかったと思います。
屋外の御一家写真いいですねぇ。皆さんの笑顔が自然で素敵。平成になってから御一家写真はいつも同じ部屋、同じ構図。つまらなくなりました。
美智子様のお着物。下に渡している様子はないですね。あればお写真が出てくると思うんですが。体型があるので、雅子様はともかく、紀子様、佳子様にはお渡しできるはず。三笠系は時折着回しが見られます。もしかして美智子様は正田系統の御親戚に回しておられる?
お帽子に関しては、皿になる前が主にこれでしたね。紺の水玉お洋服のときに、皿帽子が登場しますが、このお写真もしかしたら後年?美智子様の眉の位置が、他のお写真よりかなり上にあります。
どちらにしても、この方は、絶壁後頭部がえらくコンプレックスだったようで。カツラを誂える前はこうして後頭部隠しのお帽子着用だったのかと。
ほとんどの人は自分の容貌にコンプレックスがあり、それを隠す為のファッションを好むのは当然のことです。
まして人目に晒される立場なら尚更ですよね。
上皇陛下のファッション、不思議なこともありますが、それらがコンプレックスを隠す為なら仕方ないな、と思います。
逆に現皇后が、くびれのないウエストを強調するファッション、目の下のクマの目立つ色選びをしているのが、不思議です。
(私自身、目の下のクマが目立つタイプなので、カラー診断をして、メイクと上半身にもってくる色のアドバイスをしてもらったので、そう思ってしまいます)
サングラスに黒革手袋に毛皮とか、皇室でも堂々と美貌を武器に尖ってて、若い頃の彼女は好きです。
清子さまを生んだ前後から、後頭部をカツラでボリュームたっぷりに極限まで盛っていました。
屋外での昭和天皇も香淳皇后も自然体で、笑顔を見ていると、こちらまで笑みが浮かびます。この時代は、皇室と国民との幸せな時代でした。
こういう写真を見ていると、毎年恒例の、コルク部屋で籠っての御一家画像は、少し異常だと分かりますね。
着物は、使い回しに下げる事も出来ますし、日本伝統の継承・職人育成の為に、作り続けるのは、必要でしょう。
でも数百?以上の小皿帽子とケープマントは宝の持ち腐れかな(笑)
ご苦労もおありでしたでしょうが、一人の女性としてはある意味すべての夢を叶えてしまわれたと言えるかもしれません。そういうところにだけ目が行くと全体像を歪めてしまうでしょうけど。
う~ん、やっぱり美智子さまと愛子さま、とても似ている気がするなぁ…。
最後の写真、平和だな~。とてもステキな写真ですね。美智子さまは、破顔一笑ではありませんが、微笑まれている様子は、拝見できますね。
しまきさん
>体型があるので、雅子様はともかく、紀子様、佳子様にはお渡しできるはず。
私もそう思います。もし体型の合わない着物でも、ある程度なら直すことはできるでしょうし…思い切って、有名デザイナーにオーダーして、普段着へとリメイクするなど、思い出の品は手元に残しつつも、ぜひ活用していただければ、と思います。
洋装3枚目の写真、横にいらっしゃる男性の称賛の視線を充分意識していらっしゃいますね。 なんかあざとい(?)
今着ても全然おかしくないような洋服ばかりで、正に女優のようです。
ノースリーブは今は着てはいけないんですか? 全く見ないような気がします。
皇后母子はどうでもよいけど、秋篠宮家母子には、特に佳子さまには思いっきり素敵なお洋服をお召し頂きたいです。
毛皮も結構使われてますね。
時代が違うので今は殆どのロイヤル方は毛皮は着用されないですね。
平気でお召しなのはデンマークの女王くらいでしょうか。
続けて三笠宮家親王方に不幸があり、東宮家には男子ならず。その間の忙しい秋篠宮家を思うと、紀子様はどなたの顔色をも見なくてはならず、難しかったと拝察します。難しいクジを引いてしまったと虚無感に襲われていないとよいのですが。
申し訳ありませんでした。