1935年(昭和10年)11月28日 義宮正仁親王誕生
1940年(昭和15年)7月19日 津軽伯爵家の令嬢として華子姫誕生
1940年2月20日 義宮着袴の儀
1943年 3歳頃の華子姫
1945年10月 疎開先の金谷ホテルでの義見
1945年12月頃の笑顔で食事をとる天皇ご一家
1945年12月頃 久邇宮茂子妃がお子様を抱いている天皇一家
1962年 振袖にショールを羽織った華子姫
1962年夏の華子姫
1963年頃、津軽家の華子姫は婿をとらないという情報が高松宮グループから香淳皇后に流れる。
1963年12月25日 津軽家に正式な申し込み。しかし津軽家は辞退。
華子姫を説得し、希望に沿ってお見合いを設定
1964年2月20日 義宮と華子姫のお見合い。場所は義寛侍従邸。
徳川侍従は北白川祥子さんの兄で華子姫の伯父。
お見合い後、徒歩で帰宅する華子姫
毎日新聞1964年2月21日号外
「義宮の婚約者に津軽華子さん内定。昨日の午後お見合い 両陛下もご内諾か」
1964年2月22日 華子姫婚約を承諾
1964年2月28日 宮内庁で記者会見
ご家族と
アサヒグラフ 1964年3月6日号
「特集 義宮さま婚約へ」
女性自身 1964年3月9日号
1964年4月14日 納采の儀
納采の儀を終えて家族で。
納采の儀を終え皇居に挨拶にいく義宮
掲載紙不明
1964年4月21日 お妃教育
1964年4月~5月頃 秩父宮妃と「ミロのビーナス展」に
1964年5月28日 常盤会総会にて。まだ結婚前なのに妃殿下方のすぐそばに席をあたえられている。
1964年 茶の湯をたしなむ華子さん
津軽華子さんは、お父様が徳川家出身で津軽藩に養子に出た方。
お母さまも藩主の家柄出身。
双方とも伯爵家。
秩父宮妃・高松宮妃からみて親戚筋。
多分、「お妃」にどうかと言われた時、華子さんの気持ち云々じゃなくて決まってしまった事だったのだと思います。
華子さんとしてはせめてもの抵抗が「お見合い」だったのかもしれません。
ぽつんと一人で帰宅する姿は「夢見た結婚とは全然違う現実」を受け入れようと思っている姿に見えます。
徳川家に連なる宮妃からお勧め、皇后陛下からのお勧めでは嫌というわけにはいかない。
でも義宮は背も低いし、ポリオを患っているし、悪いけど決して男性としての魅力があった人とは思えないんですよね。
最初からお子様も望めないとわかっていての結婚であったと言われているし。
そういう結婚を承諾している津軽家のお母様。久子さんの目力の強さに圧倒されます。
西洋風の建物に靴を履いてリビングで家族写真の正田家。富美さんは目を伏せて不本意そう。
それに比べると津軽家は、久子さんの「うちの娘はそこらそんじょの娘じゃないわ。世が世ならばお姫様よ」といわんばかりの目。
服装も普通。一人で帰宅する姿。さらに婚約記者会見のスーツも普通。ゆえに手袋云々と言われない。
だけど着物には伝統美が一杯。
自然で前向きな笑顔に「淑女らしさ」が目一杯です。
妃殿下方と並んでも臆することなく、自然体でいられる。
それが「同族同士」の自然体な婚姻の在り方だったんですよね。
散々テニスコートでデートを重ねた皇太子と比べると、義宮の場合、お見合いは出来レースで最初から「お妃になること」が定められているお相手でした。
派手ではない奥ゆかしさを感じる・・・それが常陸宮家ですね。
ご成婚前の表情は、紀子さまの愛らしさに通じるものがあります。
お母さまもとてもお上品です。紀子さまのお母さまも上品な方ですが、やはりかつての学習院へ通われるご家庭は、民間人でもお家柄やお育ちが違うのでしょうね。
中でも、使者から受けとる際の振り袖のお袖が、ピッという音が聞こえそうなくらいにキレイで驚きました。
華子様の装いに間違いはないと言われるのも納得。姿勢が美しいのでしょうね。家柄の良さは一朝一夕にはなりたちません。その良さを生かして、悠仁殿下のお相手が決まりますようにと願わずにはいられませんね。
お姿を見かけなくなりましたので、続編をお願いします
鷹司和子さん・池田厚子さん系の方なのでしょう。
華子さまは、常陸宮さまに配慮をなさりながら、公務をされていました。
子供が生めないのを承知で結婚をなさるのは、女性としてすごい決断です。皇室の為だったのでしょう。大した心構えの方です。
華子さまは、立ち振舞いが自然体で、年を経られても、容貌が、あまり変わらず、品があります。もっとスポットライトが当たってもいい方なのにと感じます。
「春の雪」にあった「いついかなる時もお召があればお上に差し上げるにふさわしい娘として育てております」という感じですね。
それにしても昭和天皇の内親王様方は皆さん美少女ですねえ。
懐かしく拝見しながら、ご結婚の背後に有るものや当時の周辺の対応を改めて知り、読み応えがありました。
同時まだ子供だった私は、華子様お綺麗で可愛いけど、何たって美智子様の美しさには太刀打ち出来ないと思っていました。
しかし、美智子様が窶れていかれるのに対し年々美しく品格に磨きがかかっていかれ、血筋とか家って確かに有るのだと確信しました。
正田家も素晴らしいご家庭なんですけどね!
最近の華子様の凛とした、時には厳しい表情はまさにお母様の気質を受け継がれたんだと改めて思いました。
以前、コメントで華子様の特集を希望されていた方がおられ、ふぶき様きちんと応えられたんだなと感心してしまいました。
兄宮は、温かい家庭を経験してないなどと、婚約者に愚痴ってらしたらしいですが。
ご成婚後の常陸宮ご夫妻のエピソードにもすてきなものが、たくさんありますよね。
おふたりの意見がわかれたとき、宮さまが「華子の言っていることはどうしてもわからない」とおっしゃった。それ以後華子さまは言い争いはしない、と決めた、、、、、、
晩餐会で宮さまが口の中のものを吐いたことがあったが、それを華子さまはさりげなくハンドバッグに回収した、、、、、、
犬を飼ってらして、そのトイレの世話も華子さまご自身がなさるとか、、、、、
この記事で知ってなによりよかったのは、津軽家の対応です。
SHD家やOWD家のように思わせぶりがいっさいない。
それにしても、ご成婚前か後か記憶してませんが、
「宮さまは華がお守りします」
という華子さまのお言葉は、何から守るという意味だったのでしょう? 兄宮ご夫妻から? まさか。
お若いころは可愛らしく、本当のお姫様ってこういうかたなんだと。
お上からお声がかかれば、「否」はなし、いつでもその準備はできているというのが華族の当たり前でしたから(いちおう一回はご辞退いたしますが)、いいも嫌もないのですね。
義宮様は、いわゆるおっとりさんだったようですが、お人柄はよかったようで、華子様も香淳皇后様始めご親戚の高松宮妃殿下や他の妃殿下達に可愛がられていらっしゃったのは、お家柄もさることながら、そのお人柄にあったようです。悪く言う方を聞いたことがありません。
華子様は、上つ方としての気品や矜持をお持ちですし、
皇族として、本当にご尊敬ご敬愛できるかたです。
たらればを言っても仕方ないのですが、夫妻にお子様がいらっしゃったら、皇室もここまでの体たらくになってなかったのでは…
ポリオで不妊は聞いたことありませんので、「おたふく風邪」によるものだったのかもしれませんが、おたふく風邪でも絶対に不妊ではないのに、と思うと残念です。
家柄とか育ちとかはやっぱりあって、年齢を重ねても地は隠しおおせるものではないですね。
この方は存命中の妃殿下方の中で、一番品格がおありだと思っています。