ふぶきの部屋

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雪組 蒼穹の昴 その前に

2022-12-26 07:00:00 | 宝塚コラム

日本人は明治維新については学校で習っているし、幕末は好きな人も多い。

でも維新後は日本を中心に習う人は習い、習わない人は全く触れないので、正直、お隣の国の歴史なんてまったく興味がないんじゃないかなと思います。

ゆえに、歴史がねじ曲がって伝えられ「韓国併合」を「植民地支配」日華事変を日中戦争といい、日本が悪逆非道を尽くしました・・・と思っている人が多いのです。

 

私が、いわゆる「中国」に興味を持ったのは1995年くらいに作られたドラマ「さよなら李香蘭」だったと思います。

母が彼女の名前や存在を知っていて興味があったのです。

その後、少しずつ本を読みつつ、NHKドラマ「蒼穹の昴」と出会うわけですね。

このドラマは日中合作で西太后役の田中裕子に「すごい」の一言でした。

それから原作を読んで、さらに「中原の虹」「珍妃の井戸」と続き、浅田次郎が解説で出る清朝のドキュメンタリーを見たり、中国ドラマで色々学び、さらに宮脇淳子の本で真実を知る・・といった具合でした。

 

原田諒の「蒼穹の昴」はよく出来たストーリーではあるけれど、そもそも見る側が「清朝」とは何かを知らないと全然思いが伝わってこないのではないでしょうか?

 清朝・・・太祖ヌルハチに始まる女真族の一族「愛新覚羅(アイシンギョロ)家」です。女真族は中国人ではなく草原の民です。やがて満州族と呼ばれます。満州文字を持っているけど漢字を取り入れ、無理やり名前を漢字にしているので「愛新覚羅」という4文字なんですね。

 西太后の実家・・・イェホナラ家と言われますが、乾隆帝の皇后を出した家なのです。しかし、この皇后と乾隆帝の不和により皇后は諡号も墓もなく、「イェホナラ氏から妃を出すな」と言われて来ました。

その掟を破って咸豊帝の側室に入り、やがて後継ぎの同治帝を産んだ事で、正室を「東大后」帝の母は「西太后」と呼ばれます。

しかし、同治帝はご乱交が過ぎて性病でなくなり、後継ぎに困った西太后は身内から光緒帝を迎えるのです。

 清朝の服装・・・いわゆる「満州服」と呼ばれる格好で、男子は辮髪でした。辮髪は頭のてっぺんをそり落として後ろの髪だけを編むという独特の形。

これがあるから清朝物は絶対宝塚ではありえないと思ったら、なんと「辮髪」させなかった!

西太后達の頭に載っているカツラは「リャンパトウ」と呼ばれるもので、大変重いです。身分によって飾りの制限もあります。また、花魁の下駄みたいな靴を履くので一人では歩けません。

西太后が一人で歩くなんてありえない。女官が片手を持ってないと歩けないのです。

 清朝が滅びたわけ

端的に言うと、後継ぎがいなくなったからです。

これはどこの王室、皇室にも言える事ですが、背負う人が凡人だと必ず滅びます。

清朝は長い間「眠れる龍」と呼ばれていました。

つまり、西洋列強からすると「手を出すと怖い」存在だったのです。

でも近代における西洋の「植民地支配」「領土を増やす」魔の手がアジアに迫り、日本は明治維新後の「富国強兵」で乗り切りますが、清朝は、アヘンの流入で国力が弱くなりました。

そこでイギリスと「アヘン戦争」・・でも負けて香港割譲。

清朝のあちこちに「西洋の租界」が出来て、侵略が進んでいたのです。

光緒帝は、どうしたら清を強く出来るんだろうと真面目に考え、「開国」の道を選びますが、西太后はそれを許さなかった。

「戊戌の政変」と呼ばれるクーデターは失敗に終わり、光緒帝は幽閉されて終わります。

その後、孫文が辛亥革命を起こして清朝は消え、紫禁城に閉じ込められます。

袁世凱は愛新覚羅家にとって代わって皇帝になろうとしたけど、張作霖らに阻止され。

やがて蒋介石の国民党軍による軍閥政治が始まり、それに反発した毛沢東率いる共産党と内戦を繰り返します。

日本は、行き場がなくなった愛新覚羅溥儀を皇帝に据えて「満州国」を設立しますが、13年しか続かなかったのです。

 科挙・・・科挙という言葉は誰でも知っているけど、実際何がそんなに難しいのかわからないと思います。百田氏の受け売りと私の印象で言うなら、科挙は「暗記の天才」って事になります。

中国と朝鮮において「科挙」は重要な役人登用の窓口。

けれど実際は「論語」など古典を読み込んで暗記して間違いなく書けて、さらに解釈を自分で入れて、それをいかにも漢詩のように美しく流れるように語るように書くって事です。

中国でも朝鮮でも軍人より文官の方が位が高かったのです。

中身は究極の「国語」ですよね。

日本では科挙を取り入れませんでしたし、将軍家から農民に至るまで読み書きに加え、数学が流行ったり、天文学が流行ったりと学問は自由でした。

でもお隣の国では1教科しか科目がなく、全国の人が一つの問題に答えるのですから大変。

文秀が言ってた「科挙の部屋」って・・マンションのごみ置き場を石造りにして並べたような狭い部屋。椅子と机しかなく人一人がやっと入れるような空間しかなく、そこで何日も答えを書き続けるんです。

お金と暇がないと4回の科挙を全部受けることは不可能です。

その「科挙」を廃止する事は正しい事だったけど、官僚がその考えについていけなかった。日本は価値観ががらりと変わってもなんとか慣れていくけど、あちらはそうではないんですよね。

 

 日清戦争・・・日本が明治維新で感じた事は「うかうかしていると西洋列強に支配されてしまう」という事。それを防ぐ為に清や朝鮮に対して開国を求めるも、どっちも拒否。朝鮮を巡って日清戦争が勃発。日本が勝利します。でも勝利したから得をしたのかというとそうでもなかった・・・

 春児達が貧しいわけ・・・百田さんの本で読んだのですが、中国大陸は自然災害や戦が多い。王朝が変わる度に大規模な戦争が起きて負けた側は全て殺される。また計算すると4年に一度飢饉が起きていたらしく、痩せた土地に住んでいる農民は常に死と隣り合わせだったのです。

 宦官と後宮・・・宦官は2000年も前から大陸で存在し、それを受け入れたのは朝鮮と琉球。日本は中国からこの残酷な風習を取り入れませんでした。

宦官が出来たのは、皇帝の妃達と男女問題を起こさない為でした。

また、日本の後宮で働くには家柄や血筋がとても大事にされましたが、中国や朝鮮ではいわゆる食い詰めて行き場がなくなると宮殿に仕えるという習わしだったわけですね。

後宮の女性には「皇后」「貴妃」「貴人」などの明確な位がありましたが、末期になると皇帝自体が繁殖能力を失い、後宮の女性は少なくなるばかり。

宦官になる為にはいわゆる男性性器を切り取る作業が必要ですが、これは専門家がいて、ちゃんと処理しないと死んでしまうんです。切った後3日間は絶食、水も飲めない。この間を生き抜けば何とか・・・って感じです。

西太后・・一樹千尋の役。回りを固めているのが宦官です。春児はこの宦官の中でも長となっていくのです。

光緒帝・・・縣千の役です。彼は頭がよかったし、国を思っていたけど、いかんせん国民がついてこなかった。

隆裕皇后・・・光緒帝の正室。うまれつき猫背で美人ではなかった。でも西太后の姪です。この人は溥儀の時代まで生きます。

珍妃・・光緒帝が最も愛した女性。ちょっと小太りで美人には見えないけど・・・この人は義和団の乱の時、西太后によって井戸に落とされます。

譚 嗣同(たん しどう)・・・諏訪さきがやっていた眼鏡のお兄ちゃん。

 悪役・栄禄・・悠真倫の役。この人の娘が溥儀の母です。

 康有為・・・奏乃はるとの役。

李鴻章・・・北洋軍の将軍。凪七瑠海の役です。

 

 

 

 


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1 コメント

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Unknown (ミロ)
2022-12-26 09:14:03
ふぶき様、「蒼穹の昴」についての話題をありがとうございます。
コメントこちらの記事にいたします。
私は昨日は家で配信を見ました。

ふぶき様の感想や解説、とてもわかりやすかったです。
コメントは全記事できていないのですが、ふぶき様のエンタメ関係の記事は大好きです。

「エリザベート」の博多座のライブ配信があるそうですが、ふぶき様のご感想をうかがいたいです。
コロナで中止にならなければよいのですが・・・。
私も1枚、帝劇で中止になった公演があります。
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