1962年5月 九州訪問
空港に降り立つ
宮崎県立整肢学園訪問
宮崎駅から延岡へ
宮崎で農薬散布を視察
都農駅で皇太子夫妻を歓迎する人々
1962年5月2日 青島のこどもの国を訪問
1962年5月8日 鹿児島県の児童養護施設「愛の聖母園」を訪問
1962年5月 神代三山陵 ニニギノミコトを祀った可愛山陵を参拝
ヒコホホデミミノミコトの高屋山陵を参拝
吾平山陵(神武天皇の両親の墓)
熊本県球磨郡の保育所視察
熊本城視察
農林省種畜牧場阿蘇支場を視察
1962年5月12日 熊本県立第一高等学校で生物の授業を視察
1962年6月 東京五輪開催に向けたオリンピックで―で言葉を述べる皇太子
1062年6月 東京馬術大会を観戦
少女クラブ 1962年7月号付録
1962年6月6日 上野動物園でフラミンゴを見る
1962年8月3日~8日 静岡県御殿場にて日本ジャンボリー視察
1962年夏 軽井沢静養 自転車に乗る浩宮
沼津静養
19622年 志賀高原
静養時にしても、施設訪問時にしても、美智子妃のカリスマ性はすごいものを感じます。
わざと夫とラブラブ状態を撮影させているかのような?
でも、こういう写真を見て「うちの親とは全然違う!素敵」と胸をキュンキュンさせた乙女も多かったろうなと思います。
浩宮ですら小道具に見えちゃう不思議です。
ハシゴ静養はこの時から定例化していたんですね。
ありえませんよね。
当時はあんな付録が付くだけで、飛ぶように少女誌が売れたのでしょうか。
たとえあのようはオファーがあったとしても、普通はお断りされますよね。
さすが「皇室の女優担当」ですね!
お里が知れる…とは、まさにこのような行動なのだと思います。
それでも美智子さま嫁がれてから精力的に日本全国津々浦々出掛けていたのですね。私より余程日本を見てるわ。この頃は未だ一生懸命で妖怪度数は低いです。
今回も初めての写真沢山有り、楽しませて頂きました。
やはり、この頃はお美しいですね。スリムになられお洒落です。
私はお絵描き帳に新聞雑誌の写真を見ながら、美智子様のお洋服描いていました。星由里子さんがほぼ同じデザインのワンピースで、若大将の映画に出ておられ、ビックリした事等思い出しました。
なるちゃんがこの可愛いらしさから、立派に成長されたらなら皇室も安泰だったのかなあ等々、色々考えてしまいます。
昭和のこの時代、まだふぶき様お生まれでない時代。
良き時代でした。オリンピックに向けて、人々は今日より明日、明日より明後日が良い暮らしになることを実感しておりました。世界における日本の地位もどんどん向上し、日本人であることを世界に誇れる気持ちでした。
そして皇室に対しての気持ちも明るいものでした。皇太子が一般人から妃を得、その妃は明るくて美しくて、そしてご夫妻で来てほしいという要請があれば、でき得る限り調整して応えたんじゃないかと。
寒い日もあったでしょうし、田舎の香水満載な場所もあったでしょうし、細い丸木橋を渡っていくところもあったでしょうが、美智子様は笑顔で皇太子殿下に添い・・・という姿がまた国民にとってはたまらなかったのですよ。
それには美智子様の資質もあります。人に見られるのが大好き。美しくなった自分を見るのも好き。静養先で、皇太子に手を取られてラブラブという、端で見ると面映ゆい写真でも撮影許可。(紀子様の右手があんなに物議をかもしたのが噓のようです)
美智子様の写真を載せれば週刊誌も売れる、月刊誌ももちろん。実家祖母は「主婦の友」を毎月購入。グラビアページは大半美智子様でした。今でいうグラドルですね。
オリンピック開催挨拶の皇太子の後ろで低頭している美智子様。ほんと、このころはマトモでしたよ。
個人的には都農駅の田畑に馬がいることに哀愁を感じます。まだこの時代「農耕馬」は立派に活躍していたんだなぁ~。。と。
どんなに微笑ましく見える写真も
右下の「朝日新聞社」で夢から醒めるような…不思議な感覚ですね
少女雑誌の付録の写真、なかなか見る事のない貴重な発掘有難うございます。懐かしい~。
上皇の御学友の明石氏に、祖父母世代、御両親方の教育方法まで批判されてしまっている。
上皇・上皇后は、どう受け止めているのでしょうね?裁可したまま、そのまま放置なんでしょうか?
Rayさんと同じく、幼少時のナルちゃんは可愛かったですね。180㎝くらいになり凛々しい天皇になると想像していたんですけど。。。
大変ですよねー、皇室の方も。
あたりまえかもしれませんが、美智子さまと愛子さまは似てますね。
美智子様、お綺麗ですね。
当時の浩宮様も愛子さまによく似ていらっしゃる。
ワンピースみたいの着ていて「あれ?」っと思ったら甚平なのかな。
写真を拝見していて、この頃は皇室の存在意義が今と違っていたのだなと、改めて思いました。