2006年8月1日 着帯の儀を終えて皇居から出る両殿下
2006年8月3日 オーストリアへホームステイに出発する眞子内親王
2006年8月9日 定期健診
2006年8月12日 ステイホーム先のオーラック夫妻とシェーブルン宮殿を見学する眞子内親王
2006年8月13日 乗馬を楽しむ眞子内親王
2006年8月13日 帰国時の眞子内親王
2006年8月16日 紀子妃殿下、愛育病院に入院
2006年8月29日 「アフリカ・リミックス展」を鑑賞する殿下と眞子内親王
2006年9月3日 龍雲が現れる
2006年9月6日 悠仁親王誕生
批判を浴びたテレ朝の渡辺アナ。喪服のような格好。
「オメコメいかないといけないんですかね」って言ったの覚えてます。
医師団の記者会見
号外
お見舞いに訪れた殿下・眞子内親王・佳子内親王
まさに日本中が祝福であふれかえったのでした。
2021年、悠仁殿下は15歳になり中学3年生。
時が経つのは早い。
一定程度の知性があれば物事を客観的に見ることができるはずで、秋篠宮に男子ご誕生とあればとにもかくにも「世継ぎ問題」は一応の解決という事なのだ。
「私たちは愛子を心を込めて育てよう。秋篠宮のおかげで世継ぎ問題からは解放されたのだから。」陛下にはそういう指導力を発揮してほしかった。
皇后陛下の御父君の影響ということもあるだろう。
それにおもねるしかない宮内庁の体質、上皇ご夫妻の過度の御忖度・・・
関係者すべてが自分たちの心を安きに委ねてしまったことに現状の不安定さの要因があると思う。
子供をどう育てるかとは親の永遠の課題だが、亡くなられた浅田真央選手の母上は素晴らしかったと思う。
不潔なマスコミの精神的汚染から浅田真央さんが逃れられたのは、常に行動を共にされたお母様のご薫陶が大きいだろう。
彼女は最後まで人間として、日本人としての誇りを保つことができた。
引退してもなお彼女の輝きが消えないのは、そのことに対して多くの日本人が賛辞と、そして感謝を持ち続けているからなのだと思う。
そうすればコムロ問題は起きていなかったと思います。
なんとなくあやふやで降嫁できると思っていたからややこしくなったのだと。降嫁できないとわかっていればコムロに引っかかるようなことはなかったでしょう。
私は、今から思うと、胎盤剥離さえなければ、紀子妃は、もうお一人チャレンジなさいたかったのではないかと思っています。今の時代は40代後半でも生めるのですから、設備的に整った環境なら十分可能だったかと。しみじみ、高齢まで待たねばならなかったお苦しさと無念さを思ってなりません。
眞子様はこの当時まではほっそりしておられました。このまま成人なさればよかったのになと。
やはり何らかのストレスが、この後、眞子様にのしかかってこられたのではないかと思います。高校時代、急激に太られて今に至ります。お顔立ちも香淳様に似られて、品もおありでした。
このころの眞子様を見ていると、その成人後を楽しみにしていた気持ちが空しくなるのは止められません。
しかし、、忘れてはいません。
宮内庁は、皇位継承順位3位にもかかわらず、一宮家の慶事として「記帳所」さえ設けませんでした。
一方で、雅子様の祖父母が逝去の際には一般人なのに東宮御所に「記帳所」が設けられました…
宮内庁の、外務省の手先のような有り様や、今に続くていたらくを見るにつけ、やはり秋篠宮家をお守りする気はもともとなかったのかと、憤慨と落胆の気持ちでいっぱいになります。
秋篠宮家が宮内庁に対する不信感をお持ちになっても不思議ではないと思います。
本当に素晴らしい日でした。
悠仁さま御誕生はアメリカではある女性キャスターが「イッツアボーイ」と言ったので2ちゃんねるでは感激しているコメントもありました。ですがその後のジョージ王子が生まれる直前、英国では性別を当てる事が流行っていてあるケーキ屋さんが特別に「イッツアボーイ」「イッツアガール」と書いたケーキを売出し、お客に好きな方を選ばせるという趣向をやってるのをニュースで見ました。そしてガールの売れ行きが多かったんです。日本でもキャサリン妃の第一子は女の子という予想が多く結果は男の子だったので、悠仁さまの追い風になると私は嬉しかったです。でも英語に詳しくない私はイッツアボーイとかイッツアガールの意味がますます分からないです。