ふぶきの部屋

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聖女か悪女か 美智子上皇后の肖像19

2021-05-26 07:00:00 | 聖女か悪女か美智子上皇后の肖像

 1966年10月7日 首相官邸で行われたガールスカウト世界大会のレセプション。秩父宮妃と総理夫人。

 1966年11月 ユトリロ展鑑賞

 1966年11月 パラリンピック開会式

 1966年11月 大分県での全国身障者スポーツ大会

 

社会福祉法人「太陽の家」訪問

 

客船「るり丸」で神戸へ

 1966年11月30日 礼宮1歳

 1966年12月 鎌倉でテニス

 1967年1月1日 天皇一家

 

 週刊文春1967年3月13日号 苗場スキー場にて

 1967年4月 ブラジル訪問一ヶ月前に59年ぶりに訪日した第一回移民団に会う

 1967年5月9日 南米訪問見送りの浩宮と礼宮

 1967年5月 ペルー訪問

大統領の出迎えを受ける

公式晩さん会

 1967年5月 ブラジル訪問

 1967年6月1日 帰国

 1967年6月19日 里帰り

 1967年6月 東宮御所内

 1967年7月25日 乗鞍岳登山

 1967年 10月 古寺へ

 1967年10月19日 美智子妃の誕生日用写真

 1967年 11月10日 秋の園遊会

 1967年11月7日 歌舞伎座での赤十字大会

 1967年11月21日 青梅市の聖明園盲老人ホームにて

 

 1967年11月30日 礼宮2歳

段々やつれが目立ってきた美智子妃ですが、その原因は何なんでしょう?

かつらをすぽっと被っているのですが、盛り髪というより本当に髪が少なくなったのかな?と。結構子供を置いてテニスやら静養やらやっているようですし、傍目には結構優雅に見えますが。

赤十字大会の写真の美智子妃は今でも何であんなスタイルで立っているのか謎です。

皇室内でのいじめ・・・と言われていますが、常陸宮妃はやつれていないし。

結局「育ちの違い」が孤立させたんでしょうね。

広い範囲で常陸宮妃から後はご先祖で繋がっているようなものだし、思い出話も華麗なものが多かったでしょうし。

息子2人授かって地位も盤石。国民の支持も高く人気ナンバーワン。

それなのに精神的に追い詰められるっていうのは、よほどプライドが高いのか。

何でも一番じゃないと満足できない美智子妃なのかな。

 

 


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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
喜怒哀楽 (しまき)
2021-05-26 07:19:37
浩宮殿下の幼少時のお写真を多数見せていただき、なるほど。愛子様同様、余り喜怒哀楽を見せないお子様だったのだなと。当時はそれが将来の天皇陛下としての片りんを見せているというような、良い方向で見ておりました。
御両親が出かけてしまうときの礼宮殿下の行動こそ、この年齢にとっては当たり前のことで、前に掲載してくださった、直立不動で両親を見送るナルちゃんというのは、この年齢にしては余りにも立派過ぎて、今さら見ると違和感も感じます。が、この当時はその健気さに心を打たれたものです。

まあでもとにかく、幸せな時代でしたよ。写真の中では浩宮殿下はとても兄らしく弟に対する思いやりが感じられ、礼宮殿下は天衣無縫の愛らしい存在で、お二人の男子を設けられて将来の天皇家も盤石という、安堵と幸福に満ち溢れておりました。
美智子様はこの後ほどなく、主に目から劣化が始まります。華子様がお若いときと変わらぬ姿をずっと見せてくださっているのと、物すごい対比感があります。華子様の安定感はすばらしいです。この頃の医療的技術では、お子様を望むことができなかったのだろうかと、とてもとても残念です。常陸宮家に男子がいたら、情勢はまるっきり変わっていたことでしょうに。
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Unknown (ガァ子)
2021-05-26 07:36:28
いつも色々な画像を準備して下さり、ありがとうございます。楽しく拝見しています。
1967年正月の画像、華子さまの後ろに見える、顔が大きいドレス?の人物は何でしょう?
何かの物品なのか、はたまた巷では有名な心霊写真なのかしら?
気になって。。。(^_^;)
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Unknown (ゆうこ)
2021-05-26 09:56:35
1967年1月1日 天皇一家
確かに常陸宮華子さまの隣に心霊写真の様に成っちゃってますね。ドレススガタの小さな女性に見えます。
お払いしますか(笑)
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Unknown (Ray)
2021-05-26 12:56:11
いつも有り難うございます。
この頃から本当におやつれが目立ち始めますね。比例して眉が細くなり不思議に思っていました。
母親がやはり華子様は世が世ならお姫様、違うねぇ-と言い始めました。
秩父宮妃、三笠宮妃、常陸宮妃と並ぶと明らかに民間から入られた感が否めないのに驚きます。恐ろしいものですね。
磐石の地位を築き幸せ一杯のはずなのに。
皇室の話題あまり興味の無い友人知人が多く、ふぶき様のお部屋で皆様のコメント拝読でき、本当に楽しみです。
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心霊人形(汗) (しまき)
2021-05-26 16:39:22
華子妃殿下のお隣に写り込んでいるものは、立ち姿の人形だと思います。写真の撮れ具合が悪くて顔がぼけているのと、全体的にぼおっとした感じで、心霊写真みたいですが、このお人形は昭和30年代にはやった飾り人形で、実は私も同じようなものを祖父母から「お年玉」としてもらったのです。
お年玉、お金でもらえるものと思って楽しみにしていたら、渡されたのがこれとよく似た立ち姿の人形で、心底ガッカリしたのでよく覚えています。小学生の私では、見るだけでは全くその価値が感じられませんでしたが、結構お高い人形で、喜ばない私を見て祖父母がガッカリしたようでした。
その人形は私が成人するころまでピアノの上に飾られておりました。後年の古びた様子が、ちょうどこんな按配でした。きっと皇室の価値あるお人形なんだと思いますが、確かにちょっと怖いですね。
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Unknown (サクラ)
2021-05-26 16:46:53
一枚目の写真、佐藤栄作夫人寛子さんが隣にいらっしゃいますね。かなりのお歳でミニスカートをはいて話題になったこともありますが、品がおありですね。長州士族の出ということです。

皆さまが話題にしている華子様のななめ後ろのドレス姿は、置物の人形に見えます。
3枚の写真の1枚が左右逆になっていますが、雑誌社が反転したまま印刷してしまったのでしょう。

礼宮さまがますます可愛らしくて。
そんな可愛いお子の誕生日写真に、その子をほって大きな長男とお手玉で遊ぶ母親。不思議な人です。
ちっちゃな子をトロッコみたいな乗り物に乗せて何をしていらっしゃるのでしょう? バスケットを携えているところを見るとお庭でピクニック? トロッコ、座り心地悪そうだしきつそう。
ご自分が目立つのが最優先なので、親王殿下が窮屈だろうが、つまんなそうだろうが気にしない。
写真は語る、ですね。

いつも貴重な写真ありがとうございます。
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Unknown (アメリ)
2021-05-26 19:44:15
私も子供の頃、美智子さまがいじめられていたと言うのは聞いていたような。。あの頃は、親と長男一家が同居したりする人たちが多かったと思うんですが、お姑さんや小姑のお嫁さんいじめは、今よりももっとあったのではないでしょうか。。平民の出なので、皇族の方々からの冷たい視線もあったでしょうし。。血が濃くなりすぎるので平民の出を入れる事は必要だったんでしょうが、ご本人は大変だったと思います。
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Unknown (ミソラ)
2021-05-26 19:57:32
1967年1月1日の写真に向かって右後ろの像は、精巧な作りの女性のミニチュア像のようですね。白黒写真の2つ下にカラー写真もあるので、そちらで見ると、わかりやすいと思います。

女性の全体像で、顔は右を向いてますね。つまり、写真に向かって左側をまっすぐ見ていている姿のようです。ショートボブくらいの髪の女性で、帽子もかぶっていて、襟元はVネックのように見えます。
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Unknown (はらちゃん)
2021-05-27 01:27:44
イジメられておやつれになった?
お痩せになったのは、もともと体質とか遺伝もあったのではないのでしょうか?母親の富美子さんも痩せた方でしたよ。
もともと美意識の強い方ですから、美しくあるために太るなんてありえない(♪この美貌が武器になると〜)
お忙しい毎日でお疲れになり、やつれて見えることもあるでしょう。

確かに入内されたときから苦々しく思っていた方は多々おり、美智子様の周りにもそういう方々がたくさんいらっしゃって、たとえば皇太子妃のあれやこれやをお教えしたとします。しかしそれをイジメとされれば、周りは「皇太子からお叱りを受ける」のです。
イジメなら当然ですが、指南や指導もイジメと言われたら、もう美智子様には何も言えなくなります。(だから「孤立」の原因にもなったのでしょうけど。それもお育ちの違いですね。)

それがご結婚当初からだったということですから、それから6〜7年も経って、男の子お二人、国民に支持されて、、イジメられてお痩せになりおやつれになった、なんてことはないですよ。
だって、イジメられないですもん(笑)
皇太子に叱られちゃいますもん(笑)

ご自分でお作りになった「孤立」に、プライドが許さなかったのはわかるけれど、痩せてやつれるほどだとは思えないなぁ…
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Unknown (はらちゃん)
2021-05-27 01:44:26
続けてでごめんなさい。
「血が濃くなりすぎるので平民の出が必要〜」
確かにそういう一面もありました。昭和天皇も科学者として理解されておられました。
しかし、一番は「戦前と同じではいけない」ということ。
戦後も同じように皇太子のお妃は皇族華族からと考えていたのが、皇室を維持するためには、変わったということを示されなければならない時代だったと。

そのための美智子様でした。
仕方のないことです。
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