2005年12月9日 東宮職医師団の見解
12月9日、雅子様は42歳の誕生日を迎えました。
雅子様はこういったお祝い事の儀式や集まりがお嫌いでした。
ご自分がおもてなしされる分にはいいのですが、ホステスになると、とたんに全てが面倒になってしまうのです。
何しろ、一般常識という「礼儀」に関して、何となく遅れているなという事はかんじていたし、それについてひそひそと語る人達の事もご存知ですから。
東宮御所ではお客様が来た時に「茶たく」を廃止しました。
表向きは「茶碗と茶たくがくっついてしまうのを防ぐ為」でしたが、本当は、茶碗と茶たくを選ぶのがとても苦手で面倒だったからです。
だったら女官に任せればよろしいのに、その点は「信用出来ない」と思ってしまうのですね。
信用出来ない女官に任せなくてはいけない仕事・・・これ以上苦痛な事があるでしょうか。雅子様はそれゆえに、任せきりにも出来ず、かといってセンスを感じさせるような事も出来ずというジレンマに陥っていました。
しかし、そんな東宮職不信の中で一人だけ、雅子様の心をひきつけた人物がいました。
それは福迫出仕です。
「出仕」というのは「女官」の下の身分ですが、内親王の面倒を一手に引き受け、まるで雅子様の心が読めるかのように振舞うので、雅子様は皇居などに内親王をお連れになる時には必ず同行させていました。
そして12月9日の朝。その日は、第三者から見たら「遅い」けれど、雅子様にしては早起きして、皇居に参内されました。
お誕生日の挨拶をする為です。
皇后陛下は「お誕生日おめでとう。具合の方はいかが?」とお尋ねになり、雅子様は「あ、はい」とお答えになりました。
別に感慨も何もありません。よく皇后陛下は毎年文章をひねり出すものだ・・・とむしろ奇妙に見えていた雅子様ですが、とりあえず参内はうまく行きました。
その後、午後3時からは、田園雙葉や外務省時代のお友達が東宮御所に訪れました。
かれらは部屋に入ると、お互いに挨拶してお茶を飲みながら暫くお話をされました。
「妃殿下、お誕生日おめでとうございます」と外務省の元同僚の一人がいいました。
「ありがとう」雅子様は少し顎を上げ気味に笑って答えます。
「内親王殿下も大きくなられて、いよいよ来年は幼稚園ですね」
そんな話から、結婚している人は子供の話や受験の事などが話題になります。
雅子様と同い年や元同僚らの子供はみな小学校高学年から中学生で、今が大切な時期なのです。
最初はにこにこ笑ってそんなやりとりを見ていた雅子様ですが、彼らが帰る時間には、すっかり無口になり、無表情になりました。
それに気づいた人達は、何と言ってよいかわからなくなり、「では失礼します」と言って部屋を出て行きました。
雅子様は残ったテーブルの上のものをいきなりバーンと床に叩きつけました。
じゅうたんが力を吸収して茶碗が割れたりはしなかったものの、下げに来た女官は驚いて、また怯え、女官長を呼びに走ってしまいました。
「どうなさったのですか」
「うるさい!」と雅子様は怒鳴りました。彼らに自分の弱みを知られてなるものか。そんな思いで形相は恐ろしい程に怒り狂っています。
「誰か・・・皇太子様を」と女官が言うと、「出て行ってよ!」とまた雅子様は怒鳴りました。
雅子様は悔しくて悔しくてなりませんでした。
同級生や元同僚の子供達は、幼稚園から慶応などに通っていたり、受験も名門を受けるという話ばかり。そんな望みは今の雅子様にとっては永遠に叶えられないものだと思い知らされたのです。
何でご自分には愛子様しかいないのだろう。どうして娘は今も笑わず、歩くのもおぼつかず、終始気分が代わり、扱いにくい子供だ。
今の時点で受験などありえない。こんなはずではなかったのに。
雅子様はさっさとご自分の部屋に入ると中から鍵をかけ、閉じこもってしまいました。
困ったのは東宮職です。
これから5時に妃殿下の恩師と呼ばれる大学教授や教師などが挨拶に来るのに。
気が付くともう4時半を過ぎてるではないか。
女官長や侍従長は何とか雅子様に部屋を出て頂こうと必死に説得をしました。
しかし、雅子様は無言を貫き、鍵はかかったままです。
やがて時間になり、雅子様の誕生日祝いの為に恩師らが到着しました。
どうしよう・・;・どうしたら・・・・・
もう仕方ないではないか。侍従長は玄関の車寄せまで出て
「本日、雅子様はお出になりません」と言いました。
「ええっ!」みんなびっくりして言葉を失いました。
失礼のないようにと服装も選びに選び、時間を作って来たというのに・・・・
「しかし、お部屋はありますのでどうぞお茶をお召し上がりください」と小さい部屋に通され、約1時間程、とりとめのない話をして帰されました。
一体何が起こっているのか、彼らの常識の範囲を超えた行動でした。
「もう、二度とあんな所にいくものか」
「いくら病気だからって、自宅までこさせといて遭わないって何」と怒りをあらわにする人すらいました。
皇太子様は、事の重大さに驚いて、雅子様の部屋に駆けつけドアをこんこんとノックしました。けれど、答えはありません。
「何があったか知っている人いないの」とお尋ねになったのですが、誰もわけを知りません。でも雅子様がお怒りになって非常に悲しい思いをされている事は確かです。
「雅子。ねえ、もうすぐ両陛下がおいでになるから部屋から出て来てくれないか」
皇太子様は祈るような気持ちでおっしゃいます。
人格否定発言から、ご自分への風当たりが強い事は知っていました。
だからこそ、人前でくらいきちんと笑って欲しいと思ったのです。
でも、雅子様は「うるさい!」と叫ぶだけでした。
「何があったの?何か嫌な事でもあったの?」
「あんたのせいよ!全部あんたのせい!」雅子様の泣き声が聞こえてきました。
いきなりそう言われても、皇太子様はさっぱりわかりません。
「あの・・・お食事の用意は整っていますが。両陛下がそろそろ御所をお出になると」
侍従の言葉に皇太子様は「悪いけど、今日はお断りして」
とおっしゃいました。
「え?両陛下のお出ましをお断りするのですか?それはあまりにも」
「仕方ない。こちらにいらして雅子が部屋から出てこなかったら大事になる。だから体調がすぐれないからとお断りして」
皇太子様はそうおっしゃるしかありませんでした。
実に両陛下が御所を出ようとしていた所、緊急の連絡が入り、お誕生日の夕食会はキャンセルされたのでした。
千代田の職員は怒り心頭になるし、東宮職は言い訳に必死で、でも本当に何があって雅子様が期限を悪くされているのか、本当にわからなかったのです。
この日、雅子様のいわゆる「東宮職医師団」は初めて「見解」を出しました。
その内容は以下です。
すでに発表しております「適応障害」という診断は、国際的に広く使用されているアメリカ精神医学会の公式の診断分類『精神疾患の診断・統計マニュアル第4版改訂版DSM―IV―TR』に基づいて行ったものです。DSM―IV―TRによれば、適応障害は、「はっきりと同定される社会心理的ストレス因子に反応して、臨床的に著しい情緒的または行動的症状が出現することである」と定義され、うつ病や不安障害などの他の精神疾患の診断基準は満たさないが、著しい苦痛を伴うものであるとされています。適応障害はストレス因子(またはその結果)がなくなれば6ヶ月程度で解決するとされてはいますが、慢性のストレス因子などが原因になっている場合には長期間続くことがありうるとされており、妃殿下の場合は後者に相当すると考えております。
治療に関しては、環境に働きかけてストレス因子を軽減することが最も重要であり、精神療法(カウンセリング)を行いつつ、補助的に薬物療法を行い、気分転換なども活用することが望ましいとされており、妃殿下の治療もその方針にそって行ってきております。
妃殿下ご自身は、治療に対して非常に前向きで医師団の指示を守ろうと努力していただいており、ご病状は着実に回復されてきております。また、こうした治療では、ご家族など周囲の方々のサポートが非常に重要ですが、皇太子殿下が常にあたたかく、そして力強く支えて下さっていることが最も大きい要素になっているものと拝見しております。内親王殿下との間にしっかりとした心の交流がおありのことや、天皇皇后両陛下に温かく見守り支えていただいていることも、治療の大きな助けになっております。
ご回復の兆候としては、その時々の心身の具合に応じて上手に考えや気持ちを切り替えられ、柔軟に活動に取り組まれるようにもなっておられ、ご関心のある学問領域の書籍や雑誌をお読みになる機会も少しずつ増えてきていらっしゃいます。また、様々な行事にも徐々にご出席いただけるようになっていらっしゃいます。薬物療法に関しても、妃殿下のご努力もあって、服用量を減らせてきております。
しかし、その一方で、現時点ではまだご体調には波がおありで、心身のストレスがご体調に影響を及ぼしやすい状態も続いております。そのために、頑張って行動しようとされてもその前やその時に強い緊張を感じられたり、後でお疲れを感じられたりすることがあります。したがって、妃殿下はご公務をまだ本格的に再開できないことを心苦しく感じていらしゃいますが、医師団としては、続けてご公務をしていただけるまでにはまだ回復されていらっしゃらないと判断しております。
今後さらに回復していっていただくためには、発症に影響した環境面のストレス因子を積極的に取り除き、ご活動の範囲を広げていっていただくことが大切になります。以下に、今後の課題に関する医学的な立場からの見解について述べさせていただきます。
3 今後の課題
妃殿下は、皇族としてのご自身の役割や皇室の将来を真剣に考えていらっしゃいます。したがって、医師団としては、今後そうしたお気持ちを大切にしていただきながら、より望ましい形でご公務に復帰していっていただくことが重要であると考えております。なお、ご公務の内容に関しては、皇太子殿下が先の御誕生日にお示しいただいた方向で、東宮職で具体的に検討していただくのが望ましいと考えております。
とくに現在は、妃殿下はご回復の過程にあり、妃殿下のご体調をうかがいながらその時々で可能なものをお願いしながら、焦ることなく徐々に復帰していっていただきたいと考えております。
ご公務と並行して、ご成婚前の知識や経験が生かされるような形でのライフワーク的なお仕事やご研究をされ、それをご公務に生かしていっていただくことが、今後大変重要になると考えております。また、妃殿下が、ご自身の体験や知識を生かしてお力を発揮できるご活動を今後積極的に行われることは、ご回復にとってはもちろんのこと、改善された後にも心の健康を維持されるために重要です。
育児とご公務の両立も今後の重要な課題です。妃殿下におかれては、ご流産に続くご妊娠、ご出産と初めての育児に関連した心身のお疲れが残られているご出産後間もなくから地方のご公務が始まり、その後も地方行啓を含めた多くのご公務が続かれ、それがご病気の引き金になったものと考えられます。とくにご公務のためとはいえ、深い愛情を感じていらっしゃる内親王殿下とすごされる時間を思うようにとれないことに、妃殿下はとても心を痛められたものと考えております。
妃殿下は、ご公務の前にはご予定の調整やお出かけのご準備など、ご自身でされなくてはならないことが多くおありです。その一方で、ご家庭内のお仕事のほかに、東宮職から相談を受けながら東宮内部の様々な懸案事項の処理などのご決定をされなくてはならず、対外的なご公務以外にも非常に多くのことをされなくてはなりません。
したがって、今後のご公務に関しては、妃殿下が育児などご家庭で果たされる役割や、妃殿下のライフワークになるようなご活動、ご研究とバランスをとりながら選んでいただけるように、東宮職で慎重に検討していただきたいと考えております。
こうしたご公務やご研究に加えて、日常生活の中で興味を持って楽しまれることを積極的に行っていただくことも大切です。これまで妃殿下は、ご公務などのお仕事を大切にしたいというお気持ちが強く、私的なお楽しみを控えられる傾向がおありであったために、意識されないうちに心理的な閉塞感を強く感じられるようになられたのではないかと考えられます。しかも、妃殿下はお立場上自由な外出がかなわないために、必然的に情報遮断や感覚遮断の状態になられ、それ自体がストレスになるだけでなく、ストレスに対する抵抗力を弱められることにもなりました。
そうした状況を改善するために、医師団は、私的外出や運動を可能な範囲で行っていただくようにご提案してきました。妃殿下は最初、ご公務がおできになっていない状態で私的な楽しみをもたれることに躊躇される面がおありでしたが、こうしたご活動を通して心によい刺激を与えていただくことが治療的に重要であるとの医師団の説明をご理解いただき、ご協力いただいております。こうしたことはご病状の改善に役立つだけでなく、心身の健康を維持していただくためにも重要であると考えております。
医師団は、この一年あまり治療に携わらせていただきましたが、妃殿下がこれまでに直面されてきたストレスは、医師団の想像以上に強いものであったということをあらためて実感しております。今後は、上に挙げた課題の改善に加えて、日常の生活でのプライバシーの確保やご負担の少ない取材設定の工夫など、ストレス要因の軽減についても改善を進めていただくことが、妃殿下が心の健康をさらに取り戻していかれる上で不可欠であると考えます。治療の成果が上がるまでにはなお時間が必要ですので、東宮職をはじめとして妃殿下の周囲の方々の協力がとても重要です。
幸いなことに、多くの人たちが妃殿下のために、そして皇太子殿下や内親王殿下のために、力をあわせてお手伝いをしていこうという気持ちを強くお持ちです。医師団としては、そうした方々のお力を借りながらさらに治療を続けていく所存です。特に、妃殿下におかれては、ご公務に伴う心身のご負担は、私的なご活動の場合に比べて格段に強く、次第に私的なご活動がおできになってこられることがそのままご公務につながるものではありません。妃殿下は元来精神的健康度が非常に高くていらっしゃり、順調なご回復の過程におありでもあり、これまでのような前向きのご努力によって、たとえ時間がかかっても回復していかれるものと医師団は考えております。現在はまだご回復の過程でいらしゃることを十分にご理解いただき、静かに見守っていただければありがたいと考えております。
「妃」と呼ばれる方々が当たり前にされている事が、雅子様の「負担」と言われてしまっては仕方ないのですが、人々はこの文章のあまりにもご都合主義な所に疑問符を唱えました。
それもその筈です。この文書は、雅子様が逐一口述筆記をさせたものだったのです。
雅子様の感情や行動の全てに「了解」を求める文書。
雅子様の父君はこのようにして、国民をマインドコントロールに導いたのでした。
いや~、これ、皇太子のことならまだ分かりますけど。
だって、「東宮内部の様々な懸案事項」の発生源は雅子さまでしょーに。
でも、自分で発生させておいて「お前らの所為」と被害者意識を持っているということでもありますね。
そして、そうなると当たり前のことでも一々「何故そうしなくちゃいけないのか?」と引っかかって腹が立つのでしょう。
こういう引っかかりは、私も経験があります。中学生頃だったかしら。反抗期だったのでしょうね。
雅子さまは「子ども返り」で遊びまわったということでしたが、「反抗期返り」でもあるのかもしれませんね。
そうであるにも関わらず[おかわいそーな雅子さん]を作り上げる為に、マスゴミを使ったのでしょう。
お妃教育を途中棄権wやブライダルチェックを受けなかった女なら無きにしも非ずの行動ですね。入内する前から素質は十分でしたよねw
愛子さまの現実をこの頃に発表するべきでした。適応出来ない自分の言い訳ではなく、娘の事を守っていれば国民の尊敬は失われなかったでしょう。寧ろ、応援し愛子さま、雅子さんを本当の意味で見守ろうとしたのではないのかな?と思います。
親も子も望んでそのように生まれたのでは有りません。育てたように育ったのです。
それが現在の愛子さまと雅子さんです。
これからご静養のご静養がエンドレスです。「ご負担になる寒さとそうでない寒さがある」って世紀の迷言も出ますね。
としか思えません
立場を理解して皇室に入られたのかわからなくなります
そもそも、天皇である姑や皇太子の夫に暴言を吐くというのが、相当なメンヘラですね。
誓って言いますが、雅子さまは徳仁親王を愛していません。婚約者内定会見の時から、「浩宮さまを心よりお慕いしているので及ばずながら」という気持ちが1ミリたりとも感じられませんでした。
「こんな窮屈な家、誰がすき好んで嫁入りするってんだ、皇太子が全力で守ってくれるというから来てやるんだよ、好きなだけ海外旅行させてくれると約束したんだよ」という気持ちが見て取れます。ファン(お身内?)からして、そういう発言ですから。いろいろと我慢できなくなって引きこもるのは当然かも。
入内に大反対していたという昭和天皇と秩父宮の眼力は凄いです。
ハイブリッド。特別扱いはされたい。努力は嫌。努力している人を馬鹿にする民族。
そして勝手に勝ち負け、ランク付けをして、勝手にファビョって「心の病」になり日本人の血税をダニの様に吸い尽くすだけ。