昨日は大変でしたーーー
夜の8時から「チャングム」で、9時から「菊次郎とさき」で、また10時から「チャングム」で・・
「幸せになりたい」「女系家族」「初恋」は録画して・・・
せわしない夜でしたわーーー
という事で「菊次郎とさき」
に関しては最後の方は見なかったのね。
あのお父さんの暴れる原因が「字が読めないコンプレックス」というところまではわかったんですが・・・
昭和30年代の家庭の風景は、私達の年代から上の人たちにはとっても懐かしいものだし
暖かくて優しくてのんびりしていたような記憶とともにあると思います。
それはそれでいいんだけど、私の感想はちょっと違うのね
まず、さきさんの持論。
「学問が出来ないからいい仕事につけない。いい仕事につけないから貧乏のまま。
貧乏のままだから学問が出来ない」
これってまさに真理ですよ
思わず一緒に見ていた娘に「そうそう、そうなのよーーだから勉強しなくちゃね」
なんて説教してしまったんですけど
「貧乏」の連鎖を止めるのは学問しかない・・・これって韓国ドラマの真理です。
「初恋」の
チャヌなんかまさにその原理でお勉強に励み、家族を救おうとしているわけよね
余談だけど、1960年代の日本と80年代の韓国がリンクしているというわけね。
で・・さきさんは子供達を大学に行かせる為にやったらめったら働き、参考書を買い
子供達の尻をひっぱたき、勉強に打ち込ませます。
口癖は「そんなことやってるととうちゃんみたいになるよ」
「くだらない事言ってる暇があったら勉強しろ」
一方、ペンキ職人の菊次郎さんは、文字が読めないコンプレックスを持ち、
さらに理屈で負ける嫁に対抗する為、毎日酒を飲んでは暴れている・・・
そういう夫を妻は文句いいつつ世話をし、泣きながらも生活を変えようとしない
何かというとすぐに怒ってちゃぶ台をひっくり返す父親。
泣きながら後始末し、それでも「とうちゃんだからね」と言い続ける母親。
こんな風景はあの当時は、サラリーマン家庭でも同じだったのではないかしら?
横暴な父親と耐える母の構図は男性からみると、郷愁にかられるのかもしれないけど
女性からみたらどうかしら?
息子は父親の記憶をなくして母親だけが偉大だったと錯覚する。
娘は「お母さんみたいになりたくない」と「結婚」そのものに疑問を抱く。
どちらにせよ、そういう「家庭」の記憶は「幸せなもの」とは程遠いわけよねーー
現代の男と女の「結婚」に対する価値観の平行線は、昭和30年代に
きちんと「男女平等」をうたって来なかったこれらの年代にあるわけよ
「理屈より暴力」の父親と「耐えるだけの母親」の間に、子供はにはわからない「愛情」という
鎖があったとしても、それを目の前で見せられない限り、記憶は残らないし
あの当時の「お父さん」と「お母さん」がもう少し仲よく見えて
互いの話をきちんと聞きあっていたら・・・今の「家庭崩壊」「価値観の崩壊」は
防げたかもしれないと思うの
結局、お父さんはお母さんを大事にしない(だからちゃぶ台をひっくり返せるし)
お母さんはお父さんに期待しない(子供だけに期待)
そんな関係の延長が、現代の人間不信に繋がっているのでは。
そう考えると「菊次郎とさき」もそうほのぼのとは見ていられない筈なのよね
北野家では(ドラマの中では)長男は自力で大学へ行って独立。
次男は秀才で後の大学教授。長女は家事手伝いっぽい・・
そして3男は出来が悪かったけど、それでもさきさんのおかげで
大学へ進学できたんだよねーー今や「世界の北野監督」だもんね
でも、その次の世代はどうでしょ
「世界の北野」の娘はどうもふらふら・・出来ちゃった結婚後にすぐ離婚。
長男はフリーターで出来ちゃった結婚
どっちも親にパラサイトしているように見えるんです
これは菊次郎さんのDNAなのか(結局1代限りの栄光って奴?)
さきさんに聞いてみたいですね
(ドラマのたけし少年がかるーく言う「いつとうちゃんを殺すの」というセリフに
後々の「家族観」が投影されてて今に至っているのではないかと・・)
そうそう、「菊次郎とさき」もぶっとんでますが、我が両親「シゲルとミチコ」も
かなりぶっとんでました・・そのうち小説にしようかしら?
夜の8時から「チャングム」で、9時から「菊次郎とさき」で、また10時から「チャングム」で・・
「幸せになりたい」「女系家族」「初恋」は録画して・・・
せわしない夜でしたわーーー
という事で「菊次郎とさき」
に関しては最後の方は見なかったのね。
あのお父さんの暴れる原因が「字が読めないコンプレックス」というところまではわかったんですが・・・
昭和30年代の家庭の風景は、私達の年代から上の人たちにはとっても懐かしいものだし
暖かくて優しくてのんびりしていたような記憶とともにあると思います。
それはそれでいいんだけど、私の感想はちょっと違うのね
まず、さきさんの持論。
「学問が出来ないからいい仕事につけない。いい仕事につけないから貧乏のまま。
貧乏のままだから学問が出来ない」
これってまさに真理ですよ
思わず一緒に見ていた娘に「そうそう、そうなのよーーだから勉強しなくちゃね」
なんて説教してしまったんですけど
「貧乏」の連鎖を止めるのは学問しかない・・・これって韓国ドラマの真理です。
「初恋」の
チャヌなんかまさにその原理でお勉強に励み、家族を救おうとしているわけよね
余談だけど、1960年代の日本と80年代の韓国がリンクしているというわけね。
で・・さきさんは子供達を大学に行かせる為にやったらめったら働き、参考書を買い
子供達の尻をひっぱたき、勉強に打ち込ませます。
口癖は「そんなことやってるととうちゃんみたいになるよ」
「くだらない事言ってる暇があったら勉強しろ」
一方、ペンキ職人の菊次郎さんは、文字が読めないコンプレックスを持ち、
さらに理屈で負ける嫁に対抗する為、毎日酒を飲んでは暴れている・・・
そういう夫を妻は文句いいつつ世話をし、泣きながらも生活を変えようとしない
何かというとすぐに怒ってちゃぶ台をひっくり返す父親。
泣きながら後始末し、それでも「とうちゃんだからね」と言い続ける母親。
こんな風景はあの当時は、サラリーマン家庭でも同じだったのではないかしら?
横暴な父親と耐える母の構図は男性からみると、郷愁にかられるのかもしれないけど
女性からみたらどうかしら?
息子は父親の記憶をなくして母親だけが偉大だったと錯覚する。
娘は「お母さんみたいになりたくない」と「結婚」そのものに疑問を抱く。
どちらにせよ、そういう「家庭」の記憶は「幸せなもの」とは程遠いわけよねーー
現代の男と女の「結婚」に対する価値観の平行線は、昭和30年代に
きちんと「男女平等」をうたって来なかったこれらの年代にあるわけよ
「理屈より暴力」の父親と「耐えるだけの母親」の間に、子供はにはわからない「愛情」という
鎖があったとしても、それを目の前で見せられない限り、記憶は残らないし
あの当時の「お父さん」と「お母さん」がもう少し仲よく見えて
互いの話をきちんと聞きあっていたら・・・今の「家庭崩壊」「価値観の崩壊」は
防げたかもしれないと思うの
結局、お父さんはお母さんを大事にしない(だからちゃぶ台をひっくり返せるし)
お母さんはお父さんに期待しない(子供だけに期待)
そんな関係の延長が、現代の人間不信に繋がっているのでは。
そう考えると「菊次郎とさき」もそうほのぼのとは見ていられない筈なのよね
北野家では(ドラマの中では)長男は自力で大学へ行って独立。
次男は秀才で後の大学教授。長女は家事手伝いっぽい・・
そして3男は出来が悪かったけど、それでもさきさんのおかげで
大学へ進学できたんだよねーー今や「世界の北野監督」だもんね
でも、その次の世代はどうでしょ
「世界の北野」の娘はどうもふらふら・・出来ちゃった結婚後にすぐ離婚。
長男はフリーターで出来ちゃった結婚
どっちも親にパラサイトしているように見えるんです
これは菊次郎さんのDNAなのか(結局1代限りの栄光って奴?)
さきさんに聞いてみたいですね
(ドラマのたけし少年がかるーく言う「いつとうちゃんを殺すの」というセリフに
後々の「家族観」が投影されてて今に至っているのではないかと・・)
そうそう、「菊次郎とさき」もぶっとんでますが、我が両親「シゲルとミチコ」も
かなりぶっとんでました・・そのうち小説にしようかしら?