ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

両陛下 IN イギリス  1

2024-06-24 07:00:00 | 皇室報道

まあ、大体予想通りかな。

佳子様のギリシャは追いつかない程沢山の写真が出てきたものですが。

とりあえずお見送り。

後ろの紀子様と何か話してないと落ち着かないというのはいつものこと。

それにしても全部水色×白。

まあ・・・ねえ・・・・

紀子様のお召し物が一段と映えるだけだからいいけどね。

見送りも寂しいなあ・・・・華やかさの一つもないんだから。

いくら面倒な事は嫌いといっても、国賓として行くならそれなりの儀式をやってからいけばいい。

他の皇族方を排除するようなやり方は賛成できません。

 

得意で嬉しくてしょうがない顔。

だけど、本当に足、弱ってるから~~~階段の上り下りした方がいいよ。少しは。

 

そしてイギリスにご到着。

長々出てこなくて、やっと出てきた天皇皇后

天皇の髪、また乱れて。

階段を降りるときはびくびくものでしたね。

国王代理は、なんとか子爵。殺風景な空港に。

 なんだこの顔は。

 

23日は終わり?

英国の方々はさぞ雅子皇后の様子に戸惑ったろうなと感じます。

正直、羽田とイギリスの風景が全然変わらない様に見えて。

本人達は嬉しいんだろうけど。

 

で、ホテルに到着

車から飛び降りるように降りた皇后は元気・・・っていうか、ドアがあくまでじっと待っていられない方。すぐにお手ふり始めたりするから。

この時、少しよろけて、腕が天皇に当たってしまったようです。

黄色い声。100人の日本人?が「雅子さま~~!」と叫ぶ。

嬉しい皇后。なんせ「雅子さま~~~」よ。どこかの学会さんなのか、メロメロさん達なのか。多分同じメンバーでしょう。

「天皇陛下」と呼ばれない方はお可哀想。

 

 

さあ、皇后陛下は睡眠薬飲んでおやすみなさい。

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皇室ウイークリー

2024-06-23 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

5月14日・・・天皇陛下 → 通常業務

        両陛下 → 主席随員等に会う

              外務省から進講を受ける

6月16日・・・天皇陛下・愛子内親王 → 香淳皇后例祭

6月17日・・・一家 → (養蚕)繭切り

6月18日・・・天皇陛下 → 勤労奉仕団に会釈

              通常業務

6月19日・・・天皇陛下 → 英国訪問につき記者会見

6月20日・・・天皇陛下 → 賢所皇霊殿に謁するの儀

 

皇嗣家

6月14日・・・両殿下 → JICA海外協力隊(令和6年度第1次隊派遣隊員)に会う

6月16日・・・両殿下 → 香淳皇后例祭の儀(皇霊殿)

      佳子内親王 → 香淳皇后例祭の儀(武蔵野陵)

              「第25回記念東京都障害者ダンス大会ドレミファダンスコンサート」出席

6月18日・・・殿下 → 「第26回日本水大賞・2024日本ストックホルム青少年水大賞」表彰式

6月19日・・・両殿下 → 京都府訪問

 ・霊明殿参拝

 ・ご斎食

 ・「令和6年度御寺泉涌寺を護る会定期総会」出席

6月20日・・・殿下 → 済生会より報告を受ける

 娘が例祭に出ても母は出てこないという、この頑固さがねえ・・・

  何でそんなに祭祀が嫌いなのかな。愛子内親王だって務まるのに。

  母は娘以下って事ですか?

  そして本当に頑固に勤労奉仕団に会釈しない。日本人なんか目じゃないわって感じ?

 泉湧寺。一度だけ行った事あります。寺には秋篠宮両殿下の写真があります。

  私は貞明皇后が途中で終わられてしまったテーブルクロスの刺繍が印象的で。

  歴代の天皇や皇族が葬られている大事な寺なんですよ。こういう皇族との絆を秋篠宮家は大事にされますよね。

 秋篠宮殿下 国事行為臨時代行

勅書を受け取る為に参内する殿下

 両陛下が外国行って一番いい事って、秋篠宮殿下が国事行為の臨時代行される事だけですね。わずが1週間だけ、まともな日本がそこにあるって感じ。

 

 悠仁殿下 昆虫学の国際会議でポスター発表

8月に行われる昆虫学に対する世界最大の学術会議で、悠仁殿下が「ポスター発表」のメンバーになっている事がわかりました。

これは日本中の「昆虫大好き」な人にとっては嬉しい事で、若い人達の励みになりますね。

コツコツとライフワークを頑張る殿下。この生き方は秋篠宮家の伝統です。

今後、トンボだけじゃないかもしれないし。

いやいや、将来「トンボの宮様」と呼ばれるようになるのかな。

お父様は「ナマズの宮様」で悠仁殿下は「とんぼの宮様」いいなあ。ほんと。

 

そして、両陛下が22日、イギリスへ出発しました。

通常は空港内で出発の式典があり、それから皇族方がみな見送るのがしきたりですが、令和になってそれは全部廃止。

常に見送りは秋篠宮両殿下のみ。

あれ?愛子内親王の見送りなし?皇居玄関でもないの?

また行方不明になってしまったのね。内親王は。

だから佳子様ですら見送りに出さない意地悪を。

 

雅子皇后のスーツは、この暑いのにやたら地厚で「太った人が着てはいけない」代表のようなもの。

私は彼女の1歳下で同じように太っていますが、まず服選びは「太って見えない」ものを選びますよね。お腹周りがすっきりしてて、視線が上に来るような?

なのにこのスーツはジャケットがより太く見せているし、リボンも余計。色も平凡。

白い襟がすっきりして見えるかというと疑問。だったらリボンを外した方がよかった?

紀子様の白のスーツには地紋が入っています。それゆえにかなり高級品に見えるんですけど、皇后陛下のは、どこでも売っていそうな・・・・

腰回りをいかに細く見せるかというのも、私達の年代の課題ですよね。

どうにも参考にならないのはわかりました。

とりあえず新しいのだというのはわかるけど、それ以外は冬でも着てる感じ。

やぼったいって言った方がいいかなあ。これでイギリスの空港に立つのか・・・・

気になったのは、皇后の笑顔に見える「ハイ」な状態。異常な程ハイですよね。

目がキラキラしてて、踊りだしそうな雰囲気。

それとタラップを上る時の足取りのもろさ。

私自身も言えない事ですけど、この方は私よりも足がお弱いのでは?

歩けなくなるのが早そうな感じ。

ヒールを履きなれてない事、運動不足であること、重心がふらふらしている事。

大丈夫か?といつも皇后の歩き方には疑問を感じてしまいます。

 

 

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超忙しいイギリス王室・・・そんなところへ

2024-06-22 07:00:00 | 皇室報道

今からでもいいから、皇嗣夫妻に行っていただきたい。

でないと、大恥をかくことになるんじゃないか・・・・「郷に入れば郷に従え」という言葉を理解しない日本の皇后と不法移民。

心配です。

実はこの3日間、英国王室は忙しかった。

 

6月15日は国王誕生日。いわゆる「トゥルービング・ザ・カラー」で国王夫妻他、王族が馬車でパレード。

キャサリン妃が非常に注目された1日でしたね。

そして6月17日にはガーター勲章授与式(はい。徳仁さんが欲しがっている)

 伝統的なガーター騎士団の衣装をまとっている。非常に重いだろうなと・・・それにしても華やか。

エジンバラ公爵夫妻

 アン王女とウイリアム皇太子。

ウイリアム皇太子

今回授与されるグロスター公爵夫人のバージット妃。ダッチェス・オブ・グロスターです。

グロスター公爵はエリザベス女王の従兄弟で、妃はデンマークの人。

公爵は次男坊で結婚当時は普通の人。でも兄の死で思いがけなく公爵位を継いだ人ですね。

 

そして6月18日はロイヤルアスコットの初日。

アン王女とレディ・ガブリエラ・ウインザーとピーターフィリップス。

レディ・ガブリエラと言われてもピンとこないんですけど、これまたエリザベス女王の従兄弟、マイケル・ケント公爵の娘。

マイケル・ケント公爵って確かカトリックに改宗した人じゃなかったっけ?

で、このレディ・ガブリエラはつい最近、夫を亡くしたばかり。まだ43歳の未亡人。

 アン王女のドレスはオリエンタルですね。

ユージェニー王女

 ザラ・ティンダル。アン王女の娘。

 グロスター公爵夫人。

 

こんな先祖を遡ってまで王族が沢山いる国に、ひきこもり天皇皇后が行って大丈夫なんだろうか?

実質、お遊びだけど。

何で国民がこんな心配しなくちゃいけないのか。

ひたすら「楽しみ」ばかりで、少しも実にならない旅行でしかないような。

回り、全部貴族ですけどね。

いやいや、王族に囲まれても臆することなく自分流を貫く人達ですからね。

 

 

 

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天皇陛下 イギリス訪問記者会見 2

2024-06-21 07:05:00 | 皇室報道

 日英の王室皇室の21世紀のあるべき姿について

皇室の在り方や活動の基本は、以前からお話ししているとおり、国民の幸せを願って、国民と苦楽を共にすることだと思います。

 完全に言葉だけじゃないですか?気が付けば静養ばかりで。

また、時代の移り変わりや社会の変化に応じて、状況に対応した務めを果たしていくことが大切であると考えています。

英国の王室も同様に、英国の、その時々の状況に応じた活動をされているものと理解しております。

更に言えば、それは、英国という国がこれまで歩んできた歴史や、培ってきた文化や社会に根差したものではないかと思います。

英国に限らず、それぞれの国の王室の在り方を知る上では、その国の歴史や文化についての理解も大切なのではないかと思います。

今後も、皇室と英国の王室が世代を超えて交流を積み重ね、友好親善を深めていくことを願っております。

 建前論がすごいとしか・・・

 

 安定的な皇位継承について

現在、男性皇族の数が減り、高齢化が進んでいること、女性皇族は結婚により皇籍を離脱すること、といった事情により、公的活動を担うことができる皇族は、以前に比べ、減少してきています。

これは皇室の将来とも関係する問題ですが、制度に関わる事項について、私から言及することは控えたいと思います

 女性皇族は結婚により皇籍離脱するんだよね。ね。

 

 オックスフォードの思い出 二人で行きたい場所

「オックスフォードの2年間は、私たち二人にとって、本当にいろいろなことがあって、一言ではとても表現できないような日々でした。

オックスフォードでのそれぞれの学生生活について、楽しかったこととか、研究の話、あるいはどういった方々とお会いしてどのようなことをしたかとか、そういった話をすることがあります。

雅子からは早朝に起きてボートの練習に参加した話などを聞くことがありますし、私自身も回数は限られていますけれども、テムズ川でマートン・コレッジのボート部の人たちと一緒に練習をしたことがあり、そういった共通の話題もあります。

雅子は、先ほどもお話ししたように、オックスフォードでは国際関係論を研究しており、私はテムズ川の水上交通について研究していたので、研究分野は違いますけれども、研究に対するアプローチとか、先生と学生とが1対1で対面するチュートリアルの授業とか、あるいはセミナーとか、そういった話題もあります。

ただ一つだけ避ける話題としましては、オックスフォードで私はマートンに行って、雅子はベイリオルに行ったわけですが、どちらのコレッジが古いかという話があります。

これはお互いが自分たちの方が古いと主張していて、なかなか結論が出ないところのように聞いております。

 どっちのコレッジが古いかって?これ、冗談?まるで雅子さんの物言いそっくりですけど。

 留学したけどライフワークにならなかったというのが真相なんですね。

 現地に思い出の品を持って行くのか

共通の思い出の場所というのは、いろいろありますので、そういった話はよくします。

それから、私は、オックスフォードの街の中を散策するときとか、あるいは研究に出掛けるときなど、いろいろな写真を撮っていましたので、今回どのくらい写真を持っていくかは分かりませんけれども、私がいた当時と今で、どのようにオックスフォードが変わってきているか、そういったところは、是非確認してみたいと思っています。

やはり、二人ともオックスフォードで学び、2年間という非常に貴重な時間を、それぞれ時期は違いますけれども、過ごすことができて、いろいろな経験をすることができたことは、二人で会話をしていく上でもとても役に立つと思いますし、また、お互いを高め合っていく上でも、オックスフォードでの経験というのは、大きなものがあったのではないかと思っています。

先ほどの質問に関して付け加えたいのですけれども、例えば、思い出の場所としては、今回は行く機会がありませんが、オックスフォードの郊外のコッツウォルズという場所があります。

最近日本でも有名になっているところのようですけれども、蜂蜜色の石の建物などが非常に印象的で、雅子も、コッツウォルズに度々行っていたようですので、共通の話題となっています。

また、オックスフォードのクライストチャーチ・メドーという場所が、マートンから近いところにありますけれども、ここを散策した話なども、二人の間でよく出るところです。

 オックスフォードというワード連発。これは雅子さん作?

自慢する事が「留学」しかないって、年とるとこういう事になるんですね。

コッツウォルズくらい知ってらあとうそぶきたくなります。

 

全体的に観光旅行の様相が強い。目的が見えないから。

やっぱりセンチメンタルジャーニーかなあ。

テレビでは「外交官として留学していた雅子さま」って言ってますけど、違います。

「外務省職員」としての留学で外交官ではありません。

一人だけ修士を取れなかった記憶はトラウマにならないのですね。都合がいいわ。

 

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天皇陛下 イギリス訪問記者会見 1

2024-06-21 07:00:00 | 皇室報道

いよいよ22日からの英国訪問に関して、天皇陛下が単独で記者会見しました。

 英国訪問の意義・豊富

令和2年に英国より御招待を頂いたものの、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により延期されていた私たちの英国訪問が、この度、改めて頂いた御招待により、実現の運びとなったことを大変うれしく思っております。

御招待いただいた英国政府に対して、雅子と共に心から感謝しております。

この間、御招待を頂いていたエリザベス2世女王陛下が亡くなられたことは本当に残念なことでした。

御存命中に伺えなかったことが心残りです。

 能天気だなと思います。

「雅子とともに」というセリフはもう命令で言わされている?

無理に葬儀に行ったのにね。

 

私自身は、昭和61年、平成3年、平成13年に訪問を行ったほか、一昨年には、エリザベス女王陛下の御葬儀に参列するために二人で訪問いたしました。

上皇上皇后両陛下には、数度にわたって同国を御訪問になっており、それぞれの訪問先のことや、心のこもったおもてなし、お会いになった方々の心遣いなどについて、折に触れて伺っております。

このような背景の下、今回の英国訪問において、私が特に関心を払っていきたいと思っている点についてお話ししたいと思います。

第一に、今回の訪問を通じて、我が国と英国との間に培われてきた交流の歴史に思いをはせたいと思います。

両国間では、長きにわたり、王室と皇室の間、両国の政府・国民の間で幅広い交流が行われてきました。

1600年、英国人のウィリアム・アダムスは、オランダ船リーフデ号で航海していたところ、現在の大分県に漂着し、江戸に招かれて徳川家康の外交・貿易の顧問となりました。

その後、幕末から明治にかけて、1858年に日英の外交関係が開設され、1902年には日英同盟が締結されるなど、両国間の交流が活発になり、関係が深まりました。

20世紀の両国の関係には困難な時期もありましたが、現在の日英両国は、経済、文化、科学技術、教育など、幅広い分野において緊密な協力関係を有しています。

王室と皇室の間でも、明治以降多くの交流が積み重ねられてきています。 

昭和50年にエリザベス女王陛下御夫妻が国賓として来日されたことや、昭和61年に当時のチャールズ皇太子殿下御夫妻が公賓として来日されたことは、その時代を知る人々の心に今でも残っていると思います。

最近では、平成27年に、ウィリアム王子、現在の皇太子殿下が、我が国を訪問されて東日本大震災の被災地である福島県と宮城県で被災者をお見舞いくださいました。

また、令和元年には、チャールズ3世国王陛下が、皇太子として私の即位の礼に出席してくださったことは有り難いことでした。

このように長きにわたる日英の交流の積み重ねを踏まえながら、今回の訪問では、チャールズ国王陛下御夫妻始め英国王室の方々と旧交を温めるとともに、在留邦人や日本とゆかりのある英国の方々などから、両国の交流の歩みなどについてお話を伺い、我が国と英国の人々との友好関係が更に深まる機会になればと思っております。

 申し訳ないのですが「友好」を崩す結果になりそうです。

がんの治療をしている国王、皇太子妃に加え、さらに選挙期間中に無理に訪問するのに「友好」もなにもないのでは。

 

また、今回視察するフランシス・クリック研究所では、日英の研究者が協力して医療・生命科学分野の研究を行っていると聞いており、がんやインフルエンザワクチンなどの最先端の研究についてお話を伺う予定です。

さらに、今回訪問するジャパン・ハウス ロンドンは、多くの文化行事を開催するなど、文化を中心に日本の魅力を発信していると聞いており、現地の展示を見ながら、英国でどのように日本文化を発信しているかなどについて実際に見たり、お聞きしたりしたいと思っています。

 国賓としての訪問というより、お勉強と観光が目的かな?事前に勉強せずに行くのか?

第二に、我が国と英国の若い世代の交流についてです。

昭和62年以降、JETプログラムには、英国から約1万2千人が参加しているとのことで、このプログラムにより日本に派遣され、各地の学校での語学指導や、地方自治体での国際交流支援などを行った青年たちが、英国への帰国後、閣僚、下院議員、大学教授、政府職員、日本企業の社員などとして活躍していると聞いております。

私自身、以前に雅子と共にJETプログラムの記念式典に出席した折に、JETプログラムに参加した方々にお会いしたことがありますが、今回、お会いする方々からも、日本での滞在の印象や両国の交流についてお聞きしたいと思っています。

また、今回の訪問中に、Ⅴ&A子ども博物館で、日英両国の小学生と直接交流することも雅子と共に楽しみにしています。

こうした日英の若い世代が、今後も交流を深めながら有意義な経験を積み、活躍していくことを期待しています。

 また「雅子と共に」ですか・・・・妻を強調せずにいられない病なんでしょうか?

 何だか全ての言葉が「ときいております」「楽しみにしています」「思っています」が多くて、また聞きみたいに聞こえるし、さらに社会見学っぽいんですね。

 

また、私が関心を寄せている「水」問題について言いますと、水の恩恵を享受しつつ、災害に対応することは、歴史を通じた人類共通の歩みでもあり、各国の水を巡る問題を知ることは、それぞれの国の社会や文化を理解することにもつながります。

今回訪問する予定のテムズバリアは、1953年に発生した北海の高潮被害を教訓として建設され、1982年に完成した可動式の洪水バリアです。

現地を訪問し、テムズバリアの構造や運用状況、そして、高潮被害の防止のためにどのような取組が行われてきたかなどについて理解を深めたいと考えています。

 陛下のいう「水」の研究は一向に成果をあげていませんね。水災害が多い日本において、なんら解決策を出すでもなく、それなのにテムズ河に関心があると?

当時は「運河」の研究だった筈。

また、今テムズ河は非常に汚れていることをどうとらえているのでしょうか?

これまた社会見学ですよね。

 

私たちにとって、英国は、それぞれ留学生活を送った思い出の地であることもあり、今回の訪問を楽しみにしています。

雅子も、英国より御招待いただいたことを有り難く思っており、オックスフォード大学で過ごした2年間を懐かしく思い出しながら、今回の訪問を楽しみにするとともに、日英の交流の歴史に思いをはせつつ、これまで築かれてきた日英間の友好関係が更に深まっていくことを願っています。

また、愛子も、高校生の時にイートン校に短期留学した時のことを懐かしく思っており、その時の滞在中の思い出などについて家族で話をすることもあります。

 雅子が、愛子が・・・といってもね。愛子内親王は留学じゃなくて合宿みたいなものだったと記憶しておりますが。いかにもこうやって印象操作をしていくんですね。

 

 イギリス留学の思い出

私がオックスフォードに滞在したのは、昭和58年6月から60年10月に至る2年4か月間でした。

その間のことについては、私の著書である「テムズとともに」にも書きましたように、一口では表現できない数々の経験を積むことができました。

 寮で洗濯機に洗剤を入れ過ぎて泡が噴出したとか、パブにノーネクタイだったから入れなかったとか、そんな話ばっかりでしたよね。秋篠宮殿下と違って、研究している姿が全然ない。報道されていないので、2年4ヶ月、本当は何をしていたのかわからないです。

オックスフォードでは、様々な人と出会え、また、研究という一つの柱を通じて数々の貴重な経験をし、研究者であればこそ味わえる感動を覚える日々でした。

私の研究テーマは、18世紀におけるテムズ川の水運の歴史についてでした。

今でも、留学から帰国した後にまとめた研究論文を読み直すと、テムズと共に過ごした日々の記憶がありありとよみがえってきます。

 水運の歴史と水の研究にはかなり距離があると思うのですが。

テムズ関係の史料集めに奔走したこと、ピーター・マサイアス、ロジャー・ハイフィールド両先生を始めとする多くの方々の御指導や御協力を頂いたこと、研究で疲れた私を癒やしてくれたテムズの緩やかな流れと周囲の美しい景観、テムズを見ながら川沿いをジョギングした日々など、数え上げたらきりがありません。

マートン・コレッジの寮生活では、専攻分野や出身国を異にする学生が共に生活する中で、多くの貴重な経験をすることができました。

例えば、コレッジでは食堂での食事が大切な交流の場となっていました。

食堂での席は自由であり、近くに座った者同士が自己紹介し、握手し合っている光景をよく目にしたものです。

コレッジの食事の場は、他の学生との会話を通して、自分の専門外の話や広範な知識を身に付けられる貴重な機会となっており、当時、私が弦楽四重奏のグループを作ることができたのも、朝の食堂での一学生との出会いがきっかけでした。

このように、寮生活を通しても、多くの友人や知り合いを得ることができたことは有り難いことでした。

 気が付けば食事の話と音楽のこと、何を勉強しに行ったのか正直わかりませんでした。

一年くらいいたのかなと思ったけど、入学式から4ヶ月だったんですね。で、その間、ご両親が外遊のさいに立ち寄ったりして。

礼宮殿下の時はそういう事が一切なかったんですけど。かなり過保護にされてましたね。

 

留学の経験から、英国では、伝統を重んじながら、古いものと新しいものを対立させることなく見事に融合させており、柔軟性のある社会が形成されているという印象を受けました。

例えば、オックスフォード大学の入学式での服装や、ラテン語で行われる式の進行を見ても、数百年にわたって継承されている伝統を感じたものです。

このように伝統が重視されるオックスフォードの街で、ガウンを身にまとい、学帽をかぶって歩く学生と、パンク・ファッションの若者がすれ違っても特に違和感がなく、両者がうまく街に吸収されているかのように思われたものでした。

 うーん・・・そうなのって感じで。イギリス最高の学府とパンクを並べなくてもね。

ご自分は伝統を全部無視しているんですけど、何を学んだんでしょうか。

 

留学中にも、英国王室の方々から、様々な形でお心遣いを頂きました。

英国に到着した翌々日、エリザベス女王陛下からバッキンガム宮殿でのお茶に御招待いただき、女王陛下御自身で紅茶をいれてくださるなど、くつろいだ雰囲気の中で、楽しいひとときを過ごさせていただきました。

女王陛下からは、日本訪問時のお話や今後の私の英国での生活についてのお尋ねがあったことを覚えています。

その翌年、女王陛下の御招待でスコットランドのバルモラル城を訪れた際には、女王陛下、フィリップ王配殿下を始め、王室の方々と数日間御一緒する機会に恵まれました。

滞在中、女王陛下が車を運転してくださり、敷地内の建物でのバーベキューに御招待いただいたり、フィリップ殿下が自ら馬車を操って敷地内を御案内くださったりしたことはとても有り難く、懐かしい思い出になっています。

また、当時のチャールズ皇太子殿下とは、バルモラル城近くの川で毛ばりで魚を釣るフライフィッシングを御一緒しました。

私自身フライフィッシングは初めての経験でしたが、皇太子殿下から毛ばりの付け方や毛ばりの投げ方などを丁寧に教えていただきました。

二人そろってウェーダーという胴付長靴を履いて川の中に入り、近くで大きな魚が跳ねるのを見たのですが、二人とも収穫はありませんでした。

このように、女王陛下を始めとする英国王室の皆様に家族の一員であるかのような心温まるおもてなしを頂いたことが懐かしく思い出されます。

そして、このことは長年にわたって、日英の皇室、王室の皆様が培ってこられた温かい交流の歴史のお陰と深く感謝しております。

 あちらは「昭和天皇の孫」だから大事にしたんですよ。

自分が皇太子になってからは、雅子さんのせいでダイアナ妃の被災地訪問をダメにしたり、衣装被りしたりとめちゃくちゃな事をやってますけど、何も思わないかな?

 

雅子も、昭和63年から平成2年にかけて、当時勤めていた外務省の研修生としてオックスフォード大学のベイリオル・コレッジに留学し、大学院で国際関係論を学びました。

オックスフォード大学の歴史や伝統、荘厳な建物や庭の美しさなどに感銘を受けるとともに、先生方や友人たちからも多くのことを教わり、かけがえのない貴重な経験ができたということです。

また、英国各地の美しい風景や人々の親切も深く心に残り、私同様、思い出深い2年間になったようです。

今回の訪問で、初めて雅子と一緒にオックスフォードのマートン・コレッジやベイリオル・コレッジなどを訪れ、市内を散策することを心待ちにしております。

 イギリス留学は天皇にとって最高に楽しい人生の思い出だという事はわかります。なんせ「お妃候補」が沢山いて、自分に注目が集まって、さらにイギリスでは遊んだ経験の方が多いでしょうし。センチメンタルジャーニーなのでは。

 皇后にとっては、決していい思い出ばかりじゃないと思うんですけど。自分がはりきって「浩宮様とは結婚しません」と啖呵切った事は全部忘れてる?そういう事を言われた経験があるのに「心待ち」にするほどなのね・・・天皇陛下って感じです。

私が留学した経験から言いますと、実際に外国に行き、自分自身で様々なものを見て、そこに暮らす人々に会い、経験を積むことによって、テレビやインターネットでは知り得ない多くのことに触れることができるように思います。

さらに、一つの国に一定の期間滞在することは、日本の外に出て日本を見つめ直すまたとない機会となると思います。

今後とも、我が国の若い世代の人々が外国への関心を持ち続け、留学などを通して、世界中の国や人々との友好を深める機会が増えていくことを期待しています。

 ですからそういうの、今は流行らないって。この円安で給料が上がらないのに、「洋行」経験こそキャリアと言ってしまえる天皇の頭の中を見たいです。

正直「留学しても何も実にならなかった」見本が天皇陛下ですから。

チャールズ国王陛下が、御病気の御治療中にもかかわらず、私たちをお迎えくださることを大変有り難く思います。

また、キャサリン皇太子妃殿下も御治療中にありながら、少しずつ御公務にも復帰されると伺いました。

お二方ともいろいろと大変でいらっしゃると思いますが、御治療が順調に進み、お早い御快復がお出来になるようお祈りしております。

 ニュースではキャサリン妃とも会うと言われています。

まさしく療養中の人と会うのか?全く意味がわからない。

 色々大変・・ってバカにしてる?他人事?あまりにもひどい言葉です。

 

 先の大戦のこと 愛子内親王等に対する期待

先の大戦においては、世界の各国で多くの尊い命が失われたことを大変痛ましく思います。

我が国と英国も、不幸にも戦火を交えることになったことは、誠に残念なことでした。

私と雅子は、戦後生まれであり、戦争を体験していませんが、亡くなられた方々や苦しく、悲しい思いをされた方々のことを忘れずに、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。

 今更戦争の事を質問する記者も記者です。もう70年以上経っているのに。

「我が国と英国も」の一文は余計でした。

上皇陛下からは、お若い頃にジョージ5世伝を読まれたことやエリザベス女王陛下の戴冠式に出席されたことなど、また、両陛下で英国を訪問されたときのことなど、英国王室との交流について折に触れて伺ってきました。

また、両陛下の戦時中の御体験のお話など、平和を大切に思われるお気持ちについて伺う機会が幾度もあり、私もそのようなお気持ちをしっかりと受け継いでまいりたいと思っています。

戦後、我が国は、英国を含む各国と共に、国際社会の平和と繁栄のために力を尽くしてきました。現在、英国とは、経済、文化、科学技術、教育など、幅広い分野において緊密な協力関係を構築するに至っていますが、その陰には、戦争の傷を癒やすために両国の人々が地道に積み重ねた努力があったことを忘れることはできません。

今回の訪問を契機として、日英両国がこれまでに重ねてきた交流の歴史を踏まえながら、友好親善が更に深まることを願っております。

外国訪問は、国際親善の増進のために皇室が果たすべき役割の中で、大事な柱の一つであると考えています。

昭和天皇並びに香淳皇后も、上皇上皇后両陛下も、外国訪問に当たっては、相手国と我が国との歴史を心に留められると同時に、両国間の相互理解と友好親善をどのように更に深めていくのが良いかということを深くお考えになりながら、御訪問先での諸行事に臨まれたと思います。

こうしたなさりようとお気持ちを、私たちとしても大切にして国際親善に努めていきたいと考えており、今回、雅子と共に英国を訪問できることをうれしく思っております。

 ここらへんは小和田節ですかね。

進講1回でそこまで勉強出来るものなんですかね。

愛子については、社会人としての生活を通じて知識や経験を広げていく中で、将来の公務の方向性などについても考えていくことになると思います。

2月には、ケニアの大統領御夫妻をお迎えしての宮中午さんに出席しました。

今後は、公的にも私的にも、海外の方々と接する機会が増えてくると思います。

そのような機会を通じて視野を広げるとともに、国際親善に努めていくことができるよう願っております。

 22歳にもなって「将来の公務の方向性」ってなんですか?まるで幼稚園児みたいじゃないですか。ケニアの宮中午餐会は親としての自慢ですか?

国際親善なんてありえないわ。

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佳子様 ギリシャ訪問の感想

2024-06-20 07:00:00 | 皇室報道

何で姪がギリシャの感想を発表した日に、それも遅い時間に天皇が記者会見するんだろうか。

佳子様の感想

この度、日本とギリシャ共和国の外交関係樹立125周年、また「日本・ギリシャ文化観光年」にあたり、ギリシャ共和国政府よりお招きをいただき、同国を訪問できましたことを誠に嬉しく思っております。

訪問にあたり、ギリシャの皆様からあたたかくお迎えいただいたことに深く感謝を申し上げます。

まず、カテリナ・サケラロプル大統領閣下を始めとする方々にお目にかかる機会をいただきましたことは大変ありがたいことでした。

大統領閣下には、表敬の機会をいただき、この記念の年が両国において幅広く多くの人々がお互いの国を知る機会になってほしいということなどについて親しくお話をさせていただきました。大統領閣下の社会や人々への思いを感じるとともに、私自身が国内外での活動に込めてきた思いもお話し、心に残る時間でした。

キリアコス・ミツォタキス首相、マレヴァ・グラボウスキ・ミツォタキス令夫人にもお目にかかりました。

お二方とは両国の関係や私の両親が昨年お会いしたことなどについて、また令夫人とは両国の伝統工芸などについて、なごやかな雰囲気の中でお話をさせていただきました。

リナ・メンドーニ文化大臣は、「日本ギリシャ外交関係樹立125周年及び日本・ギリシャ文化観光年記念式典」と昼食会を催してくださり、「アクロポリス博物館」の常設展示をご案内くださいました。

また、オルガ・ケファロヤニ観光大臣は、昼食会を催してくださり、「アクロポリス博物館」の企画展示とケルキラ島の旧市街をご案内くださり、式典と記念行事にも同席してくださいました。

両大臣とも度々ご一緒くださり、ギリシャの文化や観光などについて、多くのお話をしてくださいました。

お迎えくださった皆様に心から御礼を申し上げます。

 佳子様はギリシャでのお話の時も、一人ひとりのお名前をきちんとおっしゃっていました。

今回も、お会いになった要人一人ひとりに感謝を述べられています。素晴らしいですね。

昼食会も2回ですか。大変でしたね。

 

次に、本年を記念した式典と行事について記したいと思います。

主要行事として開催された前述の「日本ギリシャ外交関係樹立125周年及び日本・ギリシャ文化観光年記念式典」では、関係の皆様とご一緒に125周年と文化観光年をお祝いしました。

ドデカニサ諸島の民謡の合唱などを聞きながら、両国の友好親善関係がさらに深まっていくことを願いました。

また、日本の貴重な美術品を数多く所蔵し、日本で展覧会を開いたこともある「ケルキラ・アジア美術館」にて、「日本ギリシャ外交関係樹立125周年及び日本・ギリシャ文化観光年記念行事」に出席いたしました。

記念行事に引き続き、美術館を見学しながら、日本の美術品が遠く離れたギリシャで大切に保管されてきたことを実感しました。

能面の展示の横で能楽の映像を見たり、兜の展示を見て折り紙の兜を作ったりするなど、来館者が様々な形で日本の文化に触れていることもお聞きし、喜ばしく思いました。

「ケルキラ・アジア美術館」のほかにも、日本にご縁のある場所を訪れ、また両国にゆかりのある方々にお会いしました。

 訪れた場所を一つ一つ噛みしめるような文章が並んでいます。事細かに覚えていらっしゃるんですよね。忙しいと頭から飛んでしまう事があるのが庶民ですが。

また、「式典」と「行事」二つ同じものがあったわけですが、本当に大きな行事だったんですね。

 

サラミナ島で訪問した「ファネロメニ修道院」は、荘厳さの中にあたたかさを感じるとともに、ここで暮らす方々やこの地を訪れる方々から大切に思われてきたことが伝わってくるところでした。

修道院の貴重な壁画の研究・修復には日本の研究者も関わっており、このような両国の繋がりを嬉しく思いました。

来訪者に花びらを撒く伝統的な歓迎などもしてくださり、素敵な思い出になりました。

「全ギリシャ体育協会柔道クラブ」では、子どもから大人までの年齢層の方々が、柔道の稽古に励んでおられる様子を見学しました。

皆様がそれぞれに、得意な技や今後の目標などについて生き生きと話してくださったことが思い出されます。

 私達もあの花びらの歓迎は忘れないなあ。

日本政府から叙勲等を受けられたギリシャの方々、ギリシャから日本に留学された方々、ギリシャで暮らす日本の方々にもお会いし、ご自身の経験や思いなどについてお話をお聞きしました。両国の友好へのご貢献や、両国間の多岐にわたるつながりを、心強く思いました。

ギリシャの歴史や文化に触れるとともに、関係する方々からお話を伺えたことも貴重な経験となりました。

 叙勲を受けたギリシャ人、そして日本から来ている人達に会うのは皇族にとって大切な公務の一つですね。

 

「アクロポリス」を見学し、多岐にわたる説明を伺いました。

世界史の教科書で見た「パルテノン神殿」の壮大な姿を見上げた際には、約2500年も前の高度な技術に感心するとともに、現在に至るまでの保存修復の多大な努力を感じました。

「アクロポリス博物館」では、なめらかな曲線や細部にわたる表現など、彫刻の持つ美しさを間近で鑑賞することができました。

また、彫刻に残る顔料も興味深いものでした。

その後、同博物館の企画展である写真の展示を見せていただき、船を漕ぐ人や学校で学ぶ子どもたちなどの写真から、撮影当時のギリシャの暮らしを感じました。

1896年に第1回近代オリンピックが開催された場所である「パナシナイコ・スタジアム」も見学しました。大理石で作られたスタジアムの特徴や管理、像の由来などについての説明を興味深く伺いました。

世界遺産となっているケルキラ島の旧市街では、市庁舎を訪れ、この島の経てきた歴史について伺いながら、多彩な文化が織り交ざった色とりどりの建物が並ぶ街を歩きました。

旧市街で聞こえた楽団の演奏や、島全体に咲いていた色鮮やかな花々、車窓から見えた青緑色のイオニア海とそこに浮かぶ船も印象的でした

ギリシャのろう者施設や孤児院を訪問し交流できたことも、大切なひとときになりました。

「国立ギリシャろう者施設」では、オンライン手話通訳サービス、きこえない/きこえにくい子どもとその家族に対する早期介入サービス、カウンセリング、手話教室を見学し、また、関係者が特に改善を望んでいることなどについても熱意のあるお話を伺いました。施設の方々が利用者に寄り添いながら、努力を続けていらっしゃることを強く感じました。

ケルキラ島の孤児院では、子どもたちと職員の方々にお会いし、一緒に時間を過ごせたことを嬉しく思いました。子どもたちのことを思い出しながら、1人ひとりが元気で幸せに過ごせることを、心から願っています。

滞在中に、多くの方々が大変あたたかく、優しく迎えてくださったことを、心から嬉しく、またありがたく思っております。訪問先のアテネ、サラミナ島、ケルキラ島において、それぞれの歴史や文化の一端に触れることができたことも、私にとってとても貴重なことでした。

強い日差し、穏やかな海、果実がなる街路樹など数々の情景も、お会いした方々のことと共に思い出されます。

この文書にすべてを記すことは叶いませんが、ギリシャでの出会いや出来事はどれも大切なものであり、これからも強く心に残り続け、度々に思い返すことと思います。

この度の訪問には多くの方々が、それぞれの形で力を尽くし、心を寄せてくださいました。関係してくださった皆様に、改めまして心から感謝を申し上げます。

そして、本年の「外交関係樹立125周年」と「日本・ギリシャ文化観光年」がひとつの契機となり、より幅広く、様々な形で、両国の友好親善関係がさらに深まることを心から願っております。

 一言でいうと「完璧」です。

私達も佳子様の文章と共に今一度ギリシャを旅したような気がいたしました。

本当にお疲れ様でした。これからも様々な国を訪れて頂きたいと切に願っています。

 

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佳子様 どれみふぁダンスへ

2024-06-18 07:00:00 | 皇室報道

6月16日、佳子様は障害者のダンス大会「どれみふぁダンス」にご出席

マツケンサンバで一緒にポンポンを振られました。

毎年の事ですけど、毎回佳子様は絵になるなあと思います。

きっと障害者の方々も大いに勇気づけられたでしょう。

 佳子様が珍しく髪をざっくり結っていらっしゃる。

それは、この前に香淳皇后の例祭があったからです。

佳子様は武蔵野陵担当。行って帰って来てすぐ着替えて・・・状態だった筈。

天皇家の女性二人は当然欠席。

皇后陛下はよっぽど香淳皇后に恨みがあるのかね~~と思う程の無視っぷり。

美智子さまも香淳皇后を嫌っていた筈。

結局は抗えない「血筋」というものへのコンプレックスゆえなんでしょう。

親、先祖、出身・・・そういったものだけは変えようのない事は私だってわかるんです。

氏より育ちといいますけど、「氏も氏なら育ちも育ち」が最低ですよね。きっと。

そういう「抗えないコンプレックス」に直面した時、人はどういう行動をすべきなんでしょう。

あっさり「ええ、私、身分も低いし育ちも悪いんです」と開き直って、それを貫き通すか、出来ないと言われても努力をすべきか。

キャサリン妃だって家紋がない家の出身ですし、ダイアナ妃の影が付きまという王室で、苦労した筈ですけど、今や完璧な妃になられた。

片や、「私が法律」で伝統やしきたり破壊で生き延びる皇后もいますが。

 

佳子様は以前よりお痩せになった。

それは疲れもあるでしょうけど、公務に関して真摯に取り組もうとすればするほど、学ぶことが多いし、覚えるべきものも多い。それに真正面から取り組んでいらっしゃるから。

眞子様のような天才ではないけど、笑顔が武器の努力家なのです。

それに日々のバッシングも目につかないわけがない。

それを気にしない気にしない・・・とみないふりもされる。

佳子様のお育ちのよさが日本を救う。

令和になって、なくなった行事が増えています。

秋篠宮殿下が皇位に着かれた時に復活できるんでしょうか?

特に晩さん会や食事会のようなものが激減して、佳子様他宮家はみな排除されてしまいました。

日本に来る要人だって秋篠宮家に会いたいでしょうにね。

 

今。天皇皇后はイギリス行きを前にして1度、外務省から進講を受けたようですが、それだけで大丈夫なの?

皇后陛下は記者会見にも出ず、出発前の参拝もなし、無論帰国の参拝もなし。

果たして飛行場へのお見送りに内親王は行くのか?

またも秋篠宮両殿下にぺちゃくちゃ話しかけていくのか?と思うと、もううんざりしちゃって。

今年は干ばつかもしれないって時に。

令和が早く終わるといいね。

 

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夜明けの光芒 東京建物ブリリアホール

2024-06-17 07:00:00 | 宝塚コラム

私、ディケンズは「二都物語」しか読んでいなくて。無知で申し訳ございません。

だからどんな話で結末がどうでがわからず、「逆転裁判」しか作った事のない鈴木圭がどういう演出をするのか、ほんと未知数だったんですけど。

結論としては「宝塚ってこうよね!こうじゃなきゃ!」という作品であり、暁千星にとってはやっと主演としてまともな作品が巡って来て、本当によかったなと思った次第です。

ついこの間までおひげのインド人だった人が、いきなりイギリス紳士が様になる。そして次回は首相秘書?箱がいくつあるんだ?って感じですよね。

 

原作を知らない私からの見どころとしては、ピップ(暁千星」がステップアップするごとに服装が変わっていく事です。

最初はこんな鍛冶屋のお兄ちゃんでした。

小さい頃に姉にガミガミ言われ、庇ってくれる義理の兄とは親友。賢くて可愛い少年。

それがミス・ハビシャムに呼ばれて、そこの一人娘、エステラの遊び相手になった。

ピップはエステラに一目ぼれ。

彼女の為に「ロンドンに出て紳士になりたい」と思っていた。

そんな時、脱獄囚に会い、食料を分け与えた。その事は後々「紳士か否か」という点になっていくのですが。

突如弁護士が現れて、遺産を受け取りロンドンへ行って紳士クラブに入る。

夢の中に出て来るもう一人の自分。「闇」が天飛華音だけど、それとそっくりな人物が紳士クラブに現れ、最初から敵対していく。

ピップはハビシャムの親戚であるハーバートに出会い、一緒に住む事になる。

 このハーバートが絵に書いたような堅実青年で、金持ちなのに親に頼らず恋人と結婚する為に日々節約。事務員として働いてもいる。

そういう堅実さの裏には「贅沢」「欲」は闇ですよね。

ロンドンでエステラに再開するけど、感情的に振り回されてその欲求不満が酒とギャンブルに陥る。

エステラにも暗い過去があり、元々ミス・ハビシャムの「事件」が若者たちの人生を翻弄していく。でも、転落一歩手前で救われたピップはエステラの元に。

今回、思ったのは暁千星が本当イン瑠璃花夏を気に入ったんだなと。

星組に来て、何度か詩ちづるとのラブシーンを見て来たけど、こんなに優しくて積極的で尚且つ心からの「愛しい」目を見た事がないです。

しかもこの二人、背丈の差が黄金律と来てます。

瑠璃花夏がすぽっと暁の腕の中に入る度に「羨ましい」と思う・・・いやはや。ふぶきさんの乙女心を呼び覚ますなんていけないスターさんよね。

腕ぐいっからのキスシーンの色気ったらすごかったなあ。今まで見たことないですよ。

 

瑠璃花夏は、子役専科みたいになってて、そういうイメージしかないから、今回美しいドレスを着てすっと立ったらまあ、なんと美しい事で。「みんな私に夢中よ」と言われても全然違和感なし。赤い衣装が本当によく似合ってました。

今回はアンサンブルのダンスもひときわ上手でしたし、誰一人無駄な人がいないという感じで、星組の結束力を見ました。

でもやっぱりフィナーレ3分に及ぶ暁千星のダンスは本当に素晴らしかったです。

花吹雪が舞い散る中のダンス。オペラグラスが外せない状況でした。

作品的にきっと突っ込みどころは沢山あるんだろうと。何度も見れば

「え?何で?」ってシーンはいくつもあります。

が、王道のラブロマンスには誰もが納得したのではないでしょうか。

 

 出演者について 

暁千星・・・考えてみるとピップが個性を発揮するのは2幕最後なんですね。それまでは割と情けないというか、いい所なんか見つからない青年なんですけど、本来の自分に目覚めてからのピップは恐ろしく魅力的です。野心的・・・にはあまり見えないのは脚本のせいかも。すぐにかっと来たり、ギャンブルに酒のシーンで放蕩ぶりを発揮していますが、そこまで堕落したようにも見えず。

ただ、自分が利用されていた事を知ってからのピップは囚人を助けようと頑張り、親友の事業に全財産つぎ込み、あと一歩で脱税で監獄行きの所を義理の兄に救われ。ここからはもう本物の「紳士」となったピップの成長ぶりが嬉しい。「1789」のデムーランは何だったんだ?と思う程にラブシーンの色気が半端なくて、相性のいい娘役と組むとこうも変わるのかと驚きました。

歌唱力は元々あるのですが、「VIORETOPIA」のシャンパンの女王のように、裏声も美しく、音域も広いので主題歌がよく似合うなと思いました。

瑠璃花夏・・・エステラ。ミス・ハビシャムに育てられ、感情のない女性として「愛」を知らず成長したこの女性が、最後にピップによって「愛とは何か」を知り始める。硬くて殻に閉じこもっている女性から、最後、キス一つで笑顔が可愛い娘役になる。これぞ相手役からしたら、可愛くって仕方ないよねという感じです。

この作品を通して一歩、階段を昇れたらいいなと。

天飛華音・・・まず「闇」と言う役は死の神トートのような・・・「カラマーゾフ」で五峰亜季が演じたような役だなと思いました。とはいえ学年的によくやったな程度ではあったんですけど、恐らく彼女のいい部分がかなり出てきたかなと思いました。ドラムルも「闇」と性格は変わらないし、ただ現実にいるかどうかの差しかない。それをわざと明確にしなかった事で、ずっとピップの「敵」としてそこに存在する。

そういう意味では意義深く、そしてやりがいがあったのではないでしょうか。

元々天飛華音は「陰」の気を持つジェンヌですので、ぴったりでしたよね。

稀惺かずと・・・ハーバート。育ちのよさではぴか一で、素の稀惺かずとがそこにいるんじゃないか?と思った程です。持って生まれた品格と素直さは誰にも真似できない本来の姿。そういう意味ではピップの真逆の存在としてよかったんじゃないかと思います。

しかしながら、稀惺かずとがこれ以外の役が出来るかと言われたらまだ未知数で、「主役の親友」が一番似合うようでは存在感を出す事が出来ません。どうしたら殻を破れるのか研究してみるべきですね。

藍羽ひより・・・ピップの少年時代。これがまた結構な出番でよく声が通り、明るく素直でよい子でした。アンサンブルに囲まれても、大人たちに囲まれても決して負けない「華」があるなと感じました。

乙華菜乃・・・エステラの子供時代。大人になったエステラとそう変わらない役作りがいいなと思いましたし、可愛いし、ツンツンしている所が魅力的。今後楽しみな娘役ですね。

輝咲玲央・・・マグウィッチ。最初、誰だかわからないくらいの汚れようで、でも濡れ衣を着せられた事がわかってからは、本当はいい人で、まっすぐにピップの「施し」をありがたいと思い、これこそが「紳士」であると教え諭す。上級生らしい役でした。

ラスト、亡命に失敗し捕まったら即処刑・・の筈がなぜか生き延びてベッドの上でピップに看取られて死ぬっていうのが「?」でしたけど、いいシーンだったから許そう。

朝水りょう・・・とにかくカッコよく素敵な朝水りょうをこんなに長く見る事が出来て嬉しい。

(だっていつも2役とか3役とかだもんね)弁護士のジャガーズさんは、財産管理人であると同時にマグウィッチの味方でもあるんですけど、なぜこんなに彼に尽くすのかちょっと理解出来ない部分もありました。でも彼のお蔭で寸でのところでピップは助かるのでこれもまあ、許します。

夕渚りょう。アンサンブルでのすごいダンスと共に、悪役でマグウィッチの敵役のコンペイソンを演じていました。この人ってミス・ハヴィシャムをだました人?の割に存在感がなく、これはやっぱり脚本が~~って所なのかな。

七星美妃・・・ミス・ハヴィシャム。最初に出てきた時から雰囲気が違う。綺麗な声、でも独特な話し方が怖い。何かあるぞ・・と思っていたらなんと悲劇の主人公。同情したけど、だからって復讐に関係ない子供を巻き込んではいけないんじゃないか?

彼女のせいでエステラは「愛」を知らない無感情な娘になった。その事を責められると逃げる。おい、逃げるな~~去るな~~責任取れ~~って無理よね。でも七星美妃の演技力は大したもので、今後重要な役も出来そうですね。

美稀千種・・・最初から最後までぶれない「いい人」を演じきって、最後は若い嫁貰って幸せだなと思います。彼が全財産をなげうってピップを牢獄に入れなかった事、本当に善の中の善です。みながこうあれば世界は平和なのに。

もうちょっと描いて欲しかったのが、綾音美蘭のビディと紫りらのモリー。

1幕目では明らかにピップを好きだったビディ。面倒見のよい彼女が二幕の最後にいきなりジョーの奥さんになる。そこには色々あったんでしょう。なんせジョーの前の奥さん、澪乃桜季演じるジョージアナはきつい性格でしたから。

でもジョーも最後に言ってたけど「元々はピップが好きだったんだろ?」ねえ?叶わないから義理の兄ですましたように・・・見えなくもないです。

それとエステラの実の母、モリー。こんな重要な人物がほとんどセリフがなく、後半一気にストーリーを話して、あとは見守るだけ?

夫との最後の別れも、娘との再会もなし?これはあんまりだなと。鈴木圭君。これは非常にまずい点でしたね。

以前にも書きましたが、アメリカでは今もディケンズの作品が人々の心の中に入り込んでいます。ドラマなどでセリフの中に「ディケンズか?」というのがあるんですよね。

この場合のディケンズは「二都物語」ではなく「大いなる遺産」だと思うんですけど。

税金滞納で牢屋に入るというのも、この時代のイギリスの象徴的なもので、私ですら「税金滞納・・牢屋」って思っちゃうくらいですので。

これを機会に「大いなる遺産」を読んでみようかな。非常に教訓的でいいのでは?

 

「RRR」でより強くなった推し活が、また強くなりそうで怖い。

いやっ!もうね、散財する年齢ではない。ひっそりと行く末をお祈りするだけ・・・で・・・

いい・・・筈・・・なのよ。と、自分に言い聞かせています。

 

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皇室ウイークリー

2024-06-16 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

天皇家

6月7日・・・一家 → ウイーン少年合唱団鑑賞

6月8日・・・愛子内親王 → 宜仁親王十年式年祭

6月10日・・・両陛下 →日本芸術院授賞式出席

      天皇陛下 → ルクセンブルク皇太子と会う

 

皇嗣家

6月6日~7日・・・殿下 → 愛知県訪問

・昼食会

・「第49回全日本愛瓢会愛知県知立市大会」展示会・懇談会

・知立神社参拝・視察

・株式会社FUJI視察

6月7日・・・佳子内親王 → 「第52回伝統工芸日本金工展」を見る

               武蔵野陵参拝

6月8日・・・両殿下・佳子内親王 → 宜仁親王十年式年祭 霊舎祭・墓所祭

6月10日・・・両殿下・佳子内親王・悠仁親王 → ルクセンブルク皇太子ギヨーム殿下と夕餐

 天皇家の日程更新なしです。なぜないのかわかりません。

 でも絶対に理由があるんじゃないか?と思うんですけど。

 雑誌では「愛子様の黒いベールが上品で美しい」と書かれていますが。私は襟足がどうしても気になる。お金がない家じゃないんだからこれくらいねえ。

まあ。お母さまからしてモーニング姿の夫と不釣り合いな白スーツをお召しですから。モーニング姿とか、羽織袴の人がいる中で「カジュアルすぎるかな」とは思わないんでしょうか。思わないんでしょうね。「私が法律」だから。

 桂宮十年祭では珍しく佳子様の喪服がだぶついてみえます。お痩せになられたんだなと。

 それにしても、三笠宮家は「・・祭」ばっかりでね。桂宮も幸せだったのかな?と思います。

皇族が幸せだったかどうかなんて考えるものではないけど、でも一人でひっそりと逝かれた感じがして。きっと本当はもっとハンサムで快活な人だったんだろうなと思うんですけどね。

車椅子の桂宮しか記憶がなくて。

 桂宮十年祭 

彬子女王の尊大な感じがものすごく私は嫌いです。

皇族である事がプライドで、それしかないんだろうなと思うけど、歳をとるに従ってギスギスしてきたな。この人。承子女王が可愛く見えてくるものね。

頭いいのもわかるし、自分で色々人生好きな活動しているのもわかる。でもだからって京都に別邸まで持っていいものかというのは別問題。いっそ京都に移住してはどうかと思うんですけど。

私が三笠宮家の次期当主」という気持ちは揺らがないんでしょうね。

私からするとただのファザコンにしか見えませんが。

久子妃は体調が悪いんでしょうか?いつものはつらつさがないというか。急に老けたとネットで話題になってます。

 

 ブータン ベマ妃34歳に 

美しい。王女様とご一緒ですね。ベマ妃は3人のお子様をお持ちですね。きっとこの王女もベマ妃に似て綺麗になるんじゃないかな。おめでとうございます。

 

イギリスのキャサリン妃が15日のチャールズ国王の誕生日行事に出るとか。

早速パレードの写真が。

相変わらず綺麗。元気そうでよかった。

病気じゃない人がわざわざイギリスまで行って2日間ホテルにこもるって、常識的にありでしょうかね。

 

 

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阪急の株主総会で工作員炸裂

2024-06-15 07:00:00 | 皇室報道

いきなり世界的な政治の話をします。

ヨーロッパは今、「極右勢力」というのが強い。選挙にことごとく勝利しています。

イギリスは総選挙、フランスは国民議会を解散。

頑張って革命を起こして「人権宣言」を作ったものの、恐怖政治のせいで、王制復活した~~くらいのノリだと私は思っています。

イタリアも同じ。ドイツもそう。なぜそうなのか。理由があります。

 不法移民が増えすぎて、元々の国民が損をする、排除されている

 イスラム勢力の横暴がすぎて国民の不安感が増した

 多様性・共生にうんざりしてきた

と言う事です。

一見、「民主主義」は自由だと言われますが、左に転びすぎると

 独裁

 言論封殺

 国民より外国人優勢

という事になります。

両陛下が憧れのイギリスも、ロンドンに行けばわかりますが、肌の白い人はほとんどいず、インド系、イスラム系が街を占拠して、毎日のように衝突が起きています。

フランスも同じです。アメリカもそう。

なぜそうなったのか。それは白人による「慈悲」が「慈悲」を越えて「専横」になった。

王家に捧ぐ歌」のようなラダメスの優しさがエチオピアを戦争に駆り立てたように。

私達はこの現実の出来事を直視しなくてはいけません。

日本の話をします。今、日本は岸田独裁政権の中で

 多様性

 外国人との共生

 言論の自由を奪われ

このような事が起こっています。

私が電車で4人掛けに坐り、ちょっと眠ってはっと目が覚めると残りの3つが全部中国・イスラム系、横の4人掛けもそうだった・・そんな事がしょっちゅう起きています。

神様が与えた「性」を自分で決めるなどと罰当たりな事が認められ、何かというと差別的とののしられる。

Mrs.GREEN APPLEの楽曲MVが急きょダメになった理由も「差別的」であったと言う事ですが、実際問題、本当に差別的だったのかわかりません。

左の人はそう言われるとすぐ「言論の自由を奪われた」と大騒ぎして悪口を言う。

「つばさの党」のように。彼らが選挙期間中に逮捕されたり、取り調べを受けたりしなかったのに、アーティストのMVが一瞬で消された。これって「表現の自由」に抵触しないか。

コロンブスと類人猿の共生のどこが差別的だったのか、何なのか・・・・

そういう事に慣れ切った日本人は次第に思想が左傾化して、「もしかしてこれやるとやばい?」みたいな防御にかかる人がいる。

一方で、靖国神社に侮辱的な書き込みした挙句、堂々と中国へ帰った中国人は告発されなかった。

外国人が何をしても「不起訴」になるのは今や常識。その理由はなんでしょうか?

 人権派と呼ばれる人達が抗議を繰り返したり脅したりする

そのせいなのです。

川口でレイプされた女性も、危ない目にあっても、クルド人は少しも犯罪者になりません。

岸田政権のいう「外国人は国の宝」がよほど効いているんでしょうね。

不法移民にとって日本はパラダイスらしい。

何かされたらすぐ「差別」と言えば誰かが助けてくれるからです。

このような社会を何とかしたい・・・と思う事が「極右」というなら、喜んでそっちに入りたいと思います。

正直、LGBT問題も外国人もうんざり。日本の伝統は壊され左翼化した天皇家は持ち上げられ、まともな日本人である皇嗣家は誹謗中傷され、こんな事が当たり前になったら早晩、日本という国はなくなるでしょう。

そんな事いっても、私達には何も出来ない」というのが我が家の子供達の口癖ですが、だったら今からせいぜい中国語を操れるようにしておきな・・・と言ってます。

ドラマでもCMでも音楽業界でも、やたらハングルが出てきたり、10代の女の子がKーPOPに熱くなったり、文化交流の域を越えて、これはもう「信仰」だろうと思っています。

そういえば先日の「ブルーモーメント」では中国語が出てこなかったな。よいよい。

本題に入る前に。

日本では、この所電車への飛び込み自殺が増えているのご存知でしょうか?

その度に電車が1時間近く遅れます。

ひどい時は1日に2件も飛び込みがあります。

みなさんはこの事についてどう思いますか?

迷惑と思いますか?それとも「自殺においやった加害者を特定して裁くべき」と思いますか?

なぜ人身事故を起こすのかわかりません。

彼らにも家族はいるだろうし、友人もいるかもしれない。

理由もわかりません。パワハラ、モラハラ、単なる絶望。どちらにせよ「この世では解決できそうもない」と思った結果ですよね。

彼らにそう思わせ、そういう行為に走らせた理由を追求しなくていいのか?

誰が追いやったのか?これは考えなくていいのかな。

20日からの宙組再開を控えて、阪急の株主総会が荒れました。

宝塚市在住の男性は、Aさんの本名や、Aさんにヘアアイロンをあてて額にやけどをさせたり、罵倒した宙組上級生の芸名と本名を挙げて、問題の波紋で株価下落につながったと発言。「質問は6点ある」とし、主催側が途中で「他にも質問される方が…」と制したが、男性は引き下がらず、当該の上級生を「この場に呼んでほしい」と怒りを込めて発言した。

と、書かれいます。

挙句に村上会長や角理事長に「信頼に値しない」「辞任して下さい」と言った。

すると、会場から拍手が起こったそうです。

これ、おかしいと誰も思いませんか?

明らかに「阪急及び宝塚歌劇団貶め」工作員でしょ。拍手した人々も。

だって、じゃあ、なんで阪急の株を持っているの?そんなにお怒りなら売って株主を止めればいいじゃないの?って思いませんか?

株価が下がった時こそ買い時ってわからないかな?この株主。

しかも、なぜ亡くなった生徒の芸名に本名などを知っているんですか?

これは明らかに、一定数いる「人権派」の人達であり、宝塚という伝統を貶めたいだけの人達です。

 

確かに今時の社会人って、LINEで「〇」があるだけで「叱られてる」と思い、上司がため息をついただけで「不機嫌ハラスメント」と傷つくらしいけど、それを容認していくと、企業が発展するどころか、むしろ弱体化します。

 教えて貰っている事をいじめと思い込む

 自分中心で考える為に、先輩や上司の気持ちまで慮る事が出来ない

何でもかんでも「傷ついた。やめる」と言えば親が許し「いいよいいよ」と言っていると、本当に社会人として脱落してしまうでしょう?

宙組のトップがどんな性格をして、どんな行動をしていたかはわかりません。

外側の人にはわかる筈がない。株主だってそうです。

なのに、一方的に「加害者」と決めつけて誹謗中傷する事は正しいのでしょうか?

電車に飛び込む人は迷惑だけど、集団の中の一人が自殺すると「加害者特定」に動くというのはおかしいのでは?

少なくとも今まで宝塚を見てきて「よく耐えられるなあ」と思う事は多々ありました。

でも、内部のごちゃごちゃを必死に見せない様にプロに徹する、それが芸の世界でしょう。

帝劇や松竹では一切のパワハラがないと言えます?

そんな事ないと思う。

ただ、カンパニーのメンバーがその時々で変わるし、収入に直結するから耐えている。

芸能界っていうのは、昔も今も体質的にはあまり変わっていないと思います。

耐え抜いた人だけが栄光を掴める茨の道。

 

20日から始まる宙組が無事に幕を開け、称賛される事を願っています。

 

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