マンホールを見て、上水散策に戻ります。
しばらく行くと・・・
こんな小屋のような建物が見えます。
地下を通るJR武蔵野線の作業用下り口。
清流復活時に、この辺りは水が浸透しやすいことが分り、堀底に粘土を敷き詰め、さらに防水シートが敷かれています。
玉川上水からトンネルに浸透した水は、時々ポンプで汲み上げ、新堀用水に放流しているそうです。
所々、伐採された木もあります。たぶんケヤキではないかと・・・
樹木の調査があったようで、散策路には印がしてあり、「枯」「伐」とか書いてありました。
こんな風に伐採されるのでしょうか・・・残念です・・・
こまつ橋 上水で唯一の木橋です。
節や割れもあり、樹木に似せたコンクリとは違うのが分ります。
こだいら名木百選に選ばれたケヤキです。
小川水衛所跡
水衛所(水番所)とは、江戸市中への水を確保するため、水番人と呼ばれる人が常駐していた場所。
水番人は玉川上水に流れる水の確認、周辺の巡回、落ち葉の掃除などをしていました。
江戸時代には奉行の支配下におかれ、水番所と呼ばれていました。
小川水衛所は、明治維新後、東京市水道部(現・東京都水道局)が管理することになり、
水衛所と名前を変え、引き続き職員が常駐して業務をしていました。
昭和55年に廃止後、水道局は史跡である玉川上水をより身近に感じてもらえるようにと、
平成24年に跡地を散策路として整備し、右岸と左岸が行き来出来るようになりました。
かなりのゴミが溜まっています。サッカーボールも落ちていますね~
さらに、このあたりから境橋までの6km、両岸の「小金井桜」が、国の名勝に指定されました。
東京都が平成4年に調査した際、桜に番号が付けられました。
左岸(1~520)、右岸(522~1112) (521は切り株のみ)
さらに進みます・・・蒸し暑くてだいぶ疲れてきました・・・
清水水車跡
左岸、新堀用水から回し堀で水車がかけられていました。
明治32年から昭和25年頃まで稼動していたようです。
覗き込むと、堰が見えます。
やっと桜橋に到着。
一橋学園駅前には広い場所が無いので、ここで解散。
今回も担当は羽村のSさんで、詳しい資料を作ってくださり、古い写真も持ってきて見せてくださいました。
小平監視所から空堀になった時、堀に下りて調査され、復活に尽力された小平市のS氏にもお世話になりました。
集合写真。今回からはおっとが撮影をする事になりました~
長距離の散策には荷物はなるべく軽くしたいということで、三脚は無し。手持ち撮影で。
撮った後、私がおっとだけを撮り、合成するという手段で。
1枚目は探索を始めて直ぐの上水小橋で。
ハトが飛んできて、楽しい雰囲気で撮れました!
2枚目は散策路が広い、いこい橋で。皆さんとても良い表情ですが・・・
遠近があるし、超広角なので(これでなければ全員写らないから)、両端の人が大きく写っています。
(次回は中央で小さく写りたい・・・)
玉川上水は後世に残すべき偉業。 世界遺産登録への動きもあるようです。
かけがえのない水と緑を守っていかなければなりません。
そんな思いで探索を続けていきます!
探索3回目、これでおしまいです。
次回は暑いのでちょっと一休み、バス旅行の予定です。
(CANON PowerShot S120)
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玉川上水の探索、「小川橋」からさらに歩きます。
この辺りが玉川上水の最も深い場所で、堀底まで6~7mもあります。
渦紫陽花が趣を添えています。
緑の中を歩きます。
梅雨どきで蒸し暑い日でしたが、木陰の中は心地よい風が吹き、多くの人が散策しています。
上水右岸の所々に法面の土が崩れ落ち樹木の根がむき出しになっている場所があります。
ここで小平市のS氏からの説明がありました。
右岸の法面は北向きなので日はほとんど当たらず、冬は霜などで凍結し、
暖かくなると凍った土が風雨などにさらされてそのままくずれおちてしまうからだそうです。
遊歩道には玉紫陽花の葉が出ています。
7月終わり頃から開花するようです。
「くぬぎ橋」の下流に新市道が出来ています。
下見の時には橋の名前が覆ってあり、例会時には開通しているのかと思ったのですが・・・
まだでした~・・・
市道3・4・23号線、開通は今年の終わり頃のようです。
この道路は、北は立川通り、南は立川市境を結ぶ南北道路です。
この辺りには新田開発の原風景・屋敷林、短冊形農地が残っていたようですが、
時代の流れか、歴史を物語る新田開発の原風景が道路となり、架橋の為16mに渡り樹木が伐採され、
グリーンベルトが途切れてしまいました。。。残念ですね・・・
道路の先の公園で昼食。
例会ではコンビニのおにぎりを持っていきますが、お腹も空いているし、ベンチに座ってペロリと間食
歩くのも良いですが、昼食の休憩もちょっと楽しみ~
「寺橋」上流約300m地点は、堀がえぐられ壁面は石垣で補強されています。
第二次世界大戦中の昭和18年(1943)5月に爆弾が投下された痕跡です。
左岸を流れる新堀用水はコンクリート管で補強され、暗渠となっています。
「新小川橋」左岸、色とりどりの紫陽花が出迎えてくれます。
紫陽花大好きな私にとってはちょうど良い時期でした~
上水と新堀用水の間の散策路にフェンスで囲まれて、大切に育てられています。
散策中、癒される空間です。
「鷹の橋」と、「東鷹の橋」の間は、上水橋梁で西武国分寺線が走っています。
画面中央先が、「鷹の台」駅です。
この場所は左岸は通れず、右岸側に踏切があるので迂回しなくてはなりません。
さらに進み、久右衛門橋から南に100m、府中街道沿いの、下見のときにも行った「ふれあい下水道館」に立ち寄りました。
団体なので職員の方が説明してくれました。
地下25mにある直径4.5mの実物の下水道管の中を体験。
いつもは下の方に下水が流れているだけですが、集中豪雨の時には管いっぱいに水が流れたそうです。
潜水艦と同じハッチが2重についていて、建物には水は流れ込まない造りにはなっていても、
管の中の造作物は水の勢いで流されてしまったそうです。
この下水道は小平市と近隣の6市の下水が流れています。
建物の中にあるマンホール
同じものが1つだけ、外の道路にもあるそうで、久右衛門橋の左にあるというので探しました~
外に、ありました~使い込まれ、色は薄くなっているようですが、こんなマンホールがあると楽しいですね!
(CANON PowerShot S120)
続きます~
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「玉川上水に親しむ会」第224回例会
玉川上水43km探索3回目は玉川上水駅(清願院橋)~一橋学園駅(桜橋)まで、小平市の上水辺りを約6km歩きました。
集合場所の玉川上水駅付近は立川面と武蔵野面との境目になり、武蔵野台地の尾根筋に到達です。
ここからは関東ローム層が厚く、堀は深く、素彫りの状態が観察できるところです。
羽村堰で多摩川から取水した水道原水は、小平監視所から東村山浄水場に送られます。
小平監視所から下流は、昭島市にある「多摩川上流水再生センター」から送られてくる再生水(下水処理水)が放流されています。
上水と並行して流れる新堀用水は今も多摩川の水です。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
散策開始です!
下見では橋を順に載せましたが、本番の例会では省略して、下見で分らなかった事、撮りもれた場所などを載せます。
今回は清流復活に尽力された小平市のS氏が参加しており、所々で詳しい説明がありました。
玉川上水駅前の広場にはこんな木が植えてあります。
“やまもも”です。先輩方は真っ赤に熟した実を採って食べていました。
私もひとつ・・・甘酸っぱくて美味しかったです~
小平監視所
ここは重要な場所なのでまた撮りました。
昭和38年(1963)、不足する都の飲料水を利根川に求めた為、淀橋浄水場を新設した東村山浄水場に移設。
小平監視所はその時開設された水道施設、羽村から導水された水道原水はここでゴミを取り除き、土砂を沈殿させて、
送水管で東村山浄水場へ送っています。管の太さは2mだそうです。
昭和55年に上流の「熊川水衛所」と「砂川水衛所」を統合し、開設当初「小平水衛所」の名称を「小平監視所」と改めました。
今回の資料には昭和30年頃の写真があり、
この場所の左岸に野火止用水分水口、新堀用水分水口があり、水量もかなり多い状態でした。
放流口
少し歩いて行くと水辺に下りる場所があり「上水小橋」を渡って左岸へ行けます。
下見の時には柵の所まで歩けたのですが、今回は水量が多く、水没しています。
(↑ 因みに、4月25日の下見時に撮った画像) 水量の違いが分ります。
左岸へ上がっていくと、こんな石碑があり、
案内板も設置されています。
その北側にはこんな建物が。
コントロールタワーです。 東村山浄水場に行く管と、野火止用水の管の2本があり、
水量の管理をしていると説明があったような気がします。
この辺りに堰があったそうです。
小川橋の手前、覘きこむと分水口が見えます。
前回も見た小川分水
交通量の多い小川橋交差点。
こんもりとした緑のところが玉川上水です。
6キロ歩くので、荷物はなるべく軽めにしたいので、コンデジ使用
(CANON PowerShot S120)
昨日(6月13日)のトータル歩数19556歩、脂肪燃焼量34.1g、総消費カロリー2073kcal マーク点灯
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