毎月11日は、11を線路に見立てて名付けた鉄写同好会です
7月に帰省した折、時間があったので津山市にある「津山まなびの鉄道館(旧津山扇形機関車庫)」へ行きました。
今回はその続編です。
旧津山扇形機関車庫は、我が国に現存する扇形機関車庫の中で、梅小路機関車庫に次ぐ2番目の規模を誇っています。
躯体は鉄筋コンクリート・フラットスラブ構造で、屋根高が三種類あり、低棟6.7m、高棟8.45m、中棟7.3m。
第5線と第6線、第11線と第12線の間にはエキスバンジョイントがあります。
ジョイント部分で中棟は高棟に、高棟は低棟に乗りかかるように設計されています。
エキスバンの役割は温度によるコンクリートの収縮や、地震による揺れの違いを吸収し、
巨大コンクリート構造物を崩壊から防ぐ為です。
背面が広いガラス窓になっているのは、黒い蒸気機関車と煤煙によって暗くなりがちな庫内に自然光を取り入れる為。
それが扇形機関車庫の特徴です。
(※パンフレットより引用)
パノラマ撮影
転車台と扇形機関車庫はこんな感じです~
では、機関車庫に収蔵されている13両を順にご紹介します。
1、DD16形除雪用ディーゼル機関車(1983年 旧国鉄松任工場改造)
ローカル線用に65両製造。2015年まで大糸線で排雪列車として活躍していた。
2、DE50形ディーゼル機関車(1970年 日立製作所製造)
日本最大の2000馬力の機関を搭載した液体式ディーゼル機関車で1両のみ製造された。
3、10t貨車移動機(1974年 協三工業製造)
入換作業機械化の為製造され、当時の中小規模貨物取り扱い駅や車両工場で使用。
分類上は車両ではなく機械として扱われる。
4、DD51形ディーゼル機関車(1977年 日立製作所製造)
客貨両用の大型液体式ディーゼル機関車で649両製造。
山陰地区で長く活躍し、お召列車を牽引したこともある。
5、DD15形除雪用ディーゼル機関車(1964年 日本車両製造)
蒸気機関車とラッセル車を置換える為、50両製造。
北陸本線などで使用していた。
6、DD13形ディーゼル機関車(1967年 日本車両製造)
日本で初めて量産された入換・小運転用で418両製造され、蒸気機関車が主力だった貨物入換作業ディーゼル化に貢献。
晩年は姫路の貨物駅で活躍した。
7、DF50形ディーゼル機関車(1958年 新三菱重工・三菱電機製造)
幹線用として日本で最初に量産された電気式ディーゼル機関車138両製造され、
北海道を除く全国の亜幹線活躍した。
8はD51形蒸気機関車・・・・・・後で登場しますヨ~
9、キハ52形気動車(1965年 新潟鐵工所製造)
急勾配があるローカル線用の気動車として112両製造。
当形式は走行用エンジンを2基搭載しており、強馬力と両運転台の特徴を生かし山間地の線区で活躍。
10、キハ28形気動車(1964年 帝国車両工業製造)
日本全国の線区で急行列車に使用。 走行用エンジン1基と冷房電源用エンジンを搭載。
晩年は芸備線の急行「みよし」や、「みまさかスローライフ列車」などで活躍。
11、キハ58形気動車(1964年 新潟鐵工所製造)
同系列のキハ28、キハ56などを含めると日本最多の1.823両製造され、全国の線区で急行列車に使用。
走行用エンジンを2基搭載。
12、キハ181形気動車(1969年 日本車両製造製)
非電化急勾配路線へ特急気動車列車を投入する目的で158両製造。
画期的な大馬力機関を装備、気動車特急の勢力拡大とサービスアップに貢献した。
晩年は播但線・山陰本線などで特急「はまかぜ」に使用していた。
13、キハ33形気動車(1988年 後藤車両所改造)
オハ50形客車にエンジンを積んで気動車に改造した車両で、2両のみ登場。
当車は山陰地区で普通列車に使用していた。
ぐるっと車両を撮っていたら、館内アナウンスがあり、汽笛を鳴らすと言うので待っていると・・・
職員の方が、棒を引いて、汽笛を鳴らしました。
『旅立ちの汽笛』・・・昭和45年糸崎機関区(広島県三原市)を最後に廃車となったD51形蒸気機関車755号機の汽笛が復活しました。
8、D51形蒸気機関車(1936年 川崎車両製造)
日本を代表する貨物用機関車で、機関車としては国内最多の1,115両が製造され、全国の幹線で活躍した。
当機は初期型で、煙突、給水暖め器、砂箱が一列につながった姿をしていることから、
「なめくじ」の愛称を持ち、関西本線などで活躍していた。
自称・鉄子には、なかなか面白い場所でした~
鉄写同好会の詳細は→てくっぺさん までどうぞ~
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